偉そうに言ってしまうけれど。 | ディーダラスのひこーき工房 ~Dedalus's Aviation Studio~

ディーダラスのひこーき工房 ~Dedalus's Aviation Studio~

「ホップ、すてっぷ、ジャンプしたらそのまま飛んでいけ!」
 "Hop, step, jump and fly away!" This is the studio to build "airplanes" from materials in the storehouse in my brain...

子供が大きく、そして可愛くなってくると、親である俺が喜ぶのと同様、家族や親戚も喜んでくれる。

特に悪気はないのだろうが、そうやって可愛がってくれる人たちから、たまにこんなことを言われることがある。

「亡くなったおばあちゃんにも顔を見せてあげたかったでしょ。もう少し早く生まれていればねえ」ところが、そういわれる俺自身は、実は全くそう思っていない。といっても別に、祖母に自分の子供を見せたくなかったということではない。人が人生の選択をするには、それに適した時期があると思っているからだ。そして、俺の子供は、この時期に、生まれるべくして生まれたと思っているからだ。生きていると、周りの人がたびたびいろいろなことを言ってくる。「○○高校に入れ」「××大学に行け」「就職は▲▲にしろ」「そろそろ結婚しろ」「子供を作れ」「家を買え」などなどなど。アドバイスはアドバイスとしてありがたく受け取るとしても、俺は自分で納得してもいないのに、そういう言葉に押されたからという理由だけで行動するのが大嫌いだ。自分以外の力にコントロールされて下した決断は、絶対に後悔すると知っているからだ。進む方向を決めるときには、必ず自分の乗っている馬の手綱は自分が握っていなければならない。まだまだ若造の俺だが、人生で学んだ大切なことの一つは、「最終的に責任を取るのは誰なのかを考えろ。責任のない人間の言うことを聞くな」ということだ。たとえ親戚であろうが親であろうが、自分が人生の選択をしたときにその責任を取ってくれはしない。自分の人生の責任を取るのは、自分しかいない。子供を生むと決めれば、その選択に最後まで責任を持つのは自分だ。周りが何と言おうと、言った人間がその子供の親になるわけではない。もし、周囲からの「早く子供を作れ」という言葉になんとなくのせられて子供を作れば、これから先子育てに迷ったとき、「なんで俺はこんな子供を作ったんだ。そうだ、あのときは周りが…」なんていう思いを抱きかねない。俺はそんなことをちらりとでも思うのが嫌だった。そして祖母が亡くなる前の俺は、自分の人生を鑑みて子供を持とうと決断できるほど、精神的に大人ではなかった。祖母が治らない病気だと分かってから、俺は愛や命についてこれまでにないほど考えた。そして、自分が受けた愛情やその他の大切なものを、次の世代に渡さなければならないと決めた。言葉で言えば簡単なそのことを、頭で理解しただけでなく、心で感得した。そしてこれから祖母の想いを託し、次の世代へつないでいく人間として、自分の子供に生まれてきて欲しいと思った。そうして自分自身と対話を繰り返し、その結果、心から生まれてきて欲しいと願って生まれてきたのが、今の息子だ。毎日暴れ、騒ぎ、ぐずり、散らかし放題の子供だけれど、精神が以前より大人になってからこの子を持てたことに、俺は今現在、納得している。子供を持つのはこのタイミングしかなかったと確信している。俺がこれまで周りから言われてきたいろいろなことを、二人の妹も同じように言われているのだろう。ときにはその言葉に傷つくこともあるのかもしれない。もしそれで思い悩むことがあるのなら、自分の経験からこうアドバイスしたい。「悪意からにせよ善意からにせよ、周囲の人間はいろいろなことを言ってくる。そのときには、まず考えてみよう。『この人は自分の発言にどれだけ責任をとってくれるつもりで喋っているのだろうか』と。そして、『自分はこの人にアドバイスを求めただろうか』と。その人間が部外者だと分かったら、一切聞く耳を持つな。求められもしないのに責任のないことに口を突っ込んでくる人間は、ただの愚か者なのだから。愚か者に、自分の人生の手綱を引かせてはいけない」