子育てしていると、愛情の注ぎ方って難しいなと感じます。
娘は身長が高くて、顔も大人っぽいようですが、私をはじめ、見る人が見れば、明らかに二歳児の表情です。
娘のイヤイヤは少し収まりつつありますが、だいたい、何かをイヤイヤしたとき、
『じゃ、ママが抱っこしてあげるから!』
と言うと、旦那さんも爆笑するぐらい、
『だっこぉ~?だっこぉー!!』
と満面の笑みで走って来ます。
それがとても可愛いです。
ただ、こう言う子なので、本当に甘ったれ。起きてママがいないと号泣。私が病気で寝ていても、『ここ、いれてよ~』と布団に入って来ます。
もしも、私が子供との時間をとれていなければ、きっと、スキンシップ不足だ、さみしいんだ、と勘違いしていたと思います。
でも、ず~っと、ず~っと、私がいても、飽きもせず、こうなんです。
体調が悪かったり、一人になりたい時間もあり、困ります。時には、一人で昼寝していることに気がつき号泣して泣き止まなかったりで、『うるさいよ、静かにしないといかないよ!』とか、『いい加減にしなさい!』とか、言ってしまいます。
良くないなと思っています。
ただ、まあ、こんなの多分、かなり遅くても小学校低学年までかしら。あとは、ママばいばいで反抗してくるんでしょうね。だから、今を大切にしなくちゃと思い直し。
自分が親になって見ると、自分の親が自分にしたことを回想することがあります。良いことももちろんあり、真似したり。悪いことは、『ああして欲しくなかったから、私はこうしよう』となるわけですが、ふと、この悪いことについて、親のせいではないことに気がついたのです。
各々、親は色々いるので、当たり前のようにダメなこともあります。例えば暴力とか。でもそれではなく、一般的な子供に愛情を注ぐ親が子供にして悪かったこと、は、もしかしたら、愛情を受ける子どもの側に問題があった、と言うか、双方のキャッチボールがうまく行かず、子どもが勘違いしていた、なんてことがあるのでは?と思うようになりました。
私は我が家では『勉強ができなければ価値がない』ぐらいに思って生きてきましたが、一体誰がそんなこと言ったかなあ?と思ったり。親のことを考えるとそんな発言はしないし、自分がそう受け取ったのです。
もちろん、勉強は大事だと育てられ、そのことは本当に良かったと思うけれど、『なぜ大事か?』『なぜ勉強するのか?』『世の中、どんな選択肢があるのか』と言うのを常々フランクに語り合えたなら、もっと違うニュアンスで私は受け取ったかもと思います。
勉強は一つの例で、このような行き違いがたくさんあるように思います。
今ぐらいの年齢ならば、例えば、子供は好きなだけテレビを見られないとか、ずっと外で遊んでいたいとか、そういう願望があった場合、『見過ぎると目が悪くなるから』とか、『あまり良い内容ではないから』と言う理由をわからないから、『うちはお母さんが厳しくてテレビを見られないんだ』と思うかもしれません。でも、そのお母さんの真意を知るのはだいぶ後になるでしょうね。
その子によって愛情をはじめ、物事の受け取り方は違います。『ずっと私は見ていた』と思っても、『見ていて欲しい時は見てなくて、嫌な時ばかり見ている』なんてこともあるかもしれません。
子供と常に感情のキャッチボールをしながら過ごして行かないといけないなと思います。
iPhoneからの投稿
娘は身長が高くて、顔も大人っぽいようですが、私をはじめ、見る人が見れば、明らかに二歳児の表情です。
娘のイヤイヤは少し収まりつつありますが、だいたい、何かをイヤイヤしたとき、
『じゃ、ママが抱っこしてあげるから!』
と言うと、旦那さんも爆笑するぐらい、
『だっこぉ~?だっこぉー!!』
と満面の笑みで走って来ます。
それがとても可愛いです。
ただ、こう言う子なので、本当に甘ったれ。起きてママがいないと号泣。私が病気で寝ていても、『ここ、いれてよ~』と布団に入って来ます。
もしも、私が子供との時間をとれていなければ、きっと、スキンシップ不足だ、さみしいんだ、と勘違いしていたと思います。
でも、ず~っと、ず~っと、私がいても、飽きもせず、こうなんです。
体調が悪かったり、一人になりたい時間もあり、困ります。時には、一人で昼寝していることに気がつき号泣して泣き止まなかったりで、『うるさいよ、静かにしないといかないよ!』とか、『いい加減にしなさい!』とか、言ってしまいます。
良くないなと思っています。
ただ、まあ、こんなの多分、かなり遅くても小学校低学年までかしら。あとは、ママばいばいで反抗してくるんでしょうね。だから、今を大切にしなくちゃと思い直し。
自分が親になって見ると、自分の親が自分にしたことを回想することがあります。良いことももちろんあり、真似したり。悪いことは、『ああして欲しくなかったから、私はこうしよう』となるわけですが、ふと、この悪いことについて、親のせいではないことに気がついたのです。
各々、親は色々いるので、当たり前のようにダメなこともあります。例えば暴力とか。でもそれではなく、一般的な子供に愛情を注ぐ親が子供にして悪かったこと、は、もしかしたら、愛情を受ける子どもの側に問題があった、と言うか、双方のキャッチボールがうまく行かず、子どもが勘違いしていた、なんてことがあるのでは?と思うようになりました。
私は我が家では『勉強ができなければ価値がない』ぐらいに思って生きてきましたが、一体誰がそんなこと言ったかなあ?と思ったり。親のことを考えるとそんな発言はしないし、自分がそう受け取ったのです。
もちろん、勉強は大事だと育てられ、そのことは本当に良かったと思うけれど、『なぜ大事か?』『なぜ勉強するのか?』『世の中、どんな選択肢があるのか』と言うのを常々フランクに語り合えたなら、もっと違うニュアンスで私は受け取ったかもと思います。
勉強は一つの例で、このような行き違いがたくさんあるように思います。
今ぐらいの年齢ならば、例えば、子供は好きなだけテレビを見られないとか、ずっと外で遊んでいたいとか、そういう願望があった場合、『見過ぎると目が悪くなるから』とか、『あまり良い内容ではないから』と言う理由をわからないから、『うちはお母さんが厳しくてテレビを見られないんだ』と思うかもしれません。でも、そのお母さんの真意を知るのはだいぶ後になるでしょうね。
その子によって愛情をはじめ、物事の受け取り方は違います。『ずっと私は見ていた』と思っても、『見ていて欲しい時は見てなくて、嫌な時ばかり見ている』なんてこともあるかもしれません。
子供と常に感情のキャッチボールをしながら過ごして行かないといけないなと思います。
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