愛してる愛してる大好き誰にも渡したくない一時も離れたくない抱き締めたい閉じ込めたい僕のそばにいてよ僕だけを見て僕のことだけ考えてずっとずっとずっと大好き本当だってば歪んでる?それでもいい僕には君しかいないけど君にはたくさんいるから独り占めなんて無理だってちゃんとわかってるからいい子にするからお願い捨てないで


どこに行ってもいい何をしててもいいだから最後には必ず僕のところに帰ってきて僕を選んでくれればそれでいいから



はい。病み期。


Am I worth being?





Is it worthwhile for the world that I am here?


文法まちがってたらすいません←
し-ね-ば-いいのに-



「死」なんて軽々しく使っちゃいけない言葉だが


「死」がなければ「生」なんて概念もなく

思うに死から遠ざかるからと生を実感できなくなるんじゃないか、なんて



この言葉をつぶやくことで「生きている」と思えるなら


誰もいないところで




学びへの欲求は人間が人間たる根本的な欲求でありそれがなければ動物となんら変わりはない

と思う。

世界では

泥の中で汚れた川の中で暗い炭鉱で命を賭した戦場で働くしかないこどもたちがいっぱいいて

学びたくても学べない子供たちがいっぱいいて


なんで学びたくもない学びとは言えないオベンキョーをして

学べる環境にあるのに勉強=嫌いという等式を子供たちにうえつけるような学校にして

学校=居たくない場所と思わせるような環境にして


それはこどもがわるいの?


なんで僕達はこんなに安全が保障されたセカイに生きていられるんだろう
なにがちがうんだろう
なんで学べる環境にいるのに
いきてるのにいきていると感じられないのだろう




どこか狂ったこの世界の
どこか不健康なこのくにで

誰もがみんな何かに絶望しながら自分の命が尽きるその時まで暇潰ししてるんだろう
必死に。あるいは、漫然と。
それだけの違いだ
と僕は思わずにはいられない


今日の倫理講習、
実存主義でカミュ・ニーチェ・サルトルなどなどだったんだが


実存主義というものを知る前から猿がニンゲンに進化したのも生命が生まれたのも地球ができたのすら全部偶然なんだから僕らの存在に必然性なんかない

と思ってた僕は実存主義なのか?←

中学のときの国語の教科書に載ってた偶然が合わせ鏡のようにどうこうどうこうで今があってっていう評論を読んだときからそう考えはじめたのだけれども


そんでどうせ必然性も意味もないんだから好きなことして過ごしたほうがいいじゃんという結論にたどり着いたが

ニーチェ的にはそれじゃダメで
自己を高めようとする生命の根源的な力に従って自分で自分の人生の価値とか目的を造って力強く生きる超人になるのが理想
だそ-うです

ニーチェ読もうかしら
あとサルトル

プリント読んだ限りだと自分の考えてたことがカミュの思想みたいな感じでどうしたらいいかわからなくて

ニーチェが答えくれた

みたいな


でも僕めんどくさがりやなので-・・・・
自己を高めようとか・・・・・前は思ってたけど・・・・・

なんか・・・う-ん・・・・・・・・・・

疲れました-(早っ


それにしてもキリスト教批判すさまじいなニーチェ氏
尊敬←