攻城日:2018年3月3日

↑横堀と土塁↑

山崎城は、埼玉県比企郡滑川町にある城跡デス♪

↑花木園の梅①↑

城跡は、東武鉄道 東上本線 森林公園駅の北西およそ3kmにあり、現在は公園になっています。

↑主郭 南西隅 城塁↑

"山田城"に続く国営武蔵丘陵森林公園の中にある中世城郭シリーズ 第二弾はココ"山崎城"


まぁ、シリーズ完結編ですけどねww

↑主郭 南側 城塁と横堀↑

山崎城は、山田城の北東およそ500mという非常に近い位置にあります。

但し、城跡への案内板や解説板がある山田城と違い、山崎城に関する表示物は一切ありません...

↑主郭 内部↑

同じ公園内にある中世城郭同士なのに、この扱いの差はいったい...

まぁ、どちらも歴史不詳な城跡ではありますが、山田城の方はいろいろと伝承が残っているのに対して、山崎城の方は伝承すら全く残っていませんので、そこら辺がこの格差の理由なんでしょうね。

↑主郭内 西側 土塁↑

城跡の中心部は、森林公園の中でも"花木園"という植物園になっています。

狙ったワケではなかったのですが、時期的にちょうど梅が満開で、図らずも娘たちとお花見をしながらお弁当を食べるコトになりました♪

↑主郭 北側 横堀↑

城跡の遺構としては、土塁と横堀が比較的良い状態で残っています♪

主郭は、花木園の東側すぐにあり、そこら辺までは整備されているのですが、主郭の更に東側にあるⅡ郭は未整備で結構なヤブだったため、子供連れというコトもあって突入は自重ww

ちなみにⅡ郭の更に東側は森林公園外となり、神社があるそうですが、その神社周辺にも横堀が残っているそうです。

↑Ⅲ郭 Ⅳ郭 間 横堀と土塁↑

花木園の南側には"寺沼"という結構大きな沼があり、山田城が落城した際に姫が身を投げた、というベタな伝承があります。

その寺沼の外周にも横堀や土塁があるため、寺沼も城域内とされていますが、そうするとかなりの巨大城郭だった、というコトになります...

そんな巨大城郭が、文献どころか伝承すら残ってないとは...

↑花木園の梅②↑

ところでお隣の山田城は、秀吉の小田原征伐の際、前田 利家軍によって落とされた、とされています。

おシロの記録も伝承も残らなかった理由のひとつとして、所謂"陣城""付城"といった、他のおシロを落とすための攻城拠点として作られ、戦いが終わったらそのまま廃城となったため存在期間が極めて短い、というのが考えられます。

仮にココ山崎城が、山田城攻略のために利家軍が築いた陣城だったとしたら、巨大城郭なのに伝承すら残っていない、という点についてはクリアになるのですが...

前田 利家/上杉 景勝/真田 昌幸という何とも豪華メンツな北国勢は、1590年4月20日に松井田城を落城させると、箕輪→新田金山→鉢形→松山→八王子といった順番で北条氏の支城を次々と攻略していきますが、立地的に松山城の支城だったであろう山田城の攻略拠点として築かれた、なんてコトだったりすると山崎城の格もググっと上がるんですけどねぇ。

実際のところ、松山城攻略はかなり短期決戦だったようで、鉢形城落城が6月14日で八王子城の落城が6月23日なので、その間に落城した松山城のさらにその支城である山田城の攻略に陣城を築いたとも思えず、またそもそも山田城自体、攻略するのに陣城が必要なほどの規模も要害性もありませんので、その線はまず無いでしょうねww

まぁ妄想するのはタダだし、それが楽しかったりするので、ワタシの脳内ではそーゆーコトにしておきますww

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山崎城は、誰がいつ築いたのか、どの勢力によって使われたのか等、詳しいことは何もわかっていません。

山崎城の周囲には、山田城/谷城/城原城と狭い範囲に城郭が密集していますが、山田城以外はいずれも歴史がわかっていません。

山崎城には伝承も残っていないことから、一時的に使用された陣城あるいは山田城の一部といった説もあるそうですが、いずれにしろ現時点では憶測の域を出ないようです。

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城跡は、国営公園の中にあり、整備状態は良好です。

逆に整備され過ぎていて部分的に改変されている感がしますし、遺構のように見える部分を全て城域とすると規模が大き過ぎると思うのですが...

いずれにしろ有料の公園内ですので、どうせなら山田城とセットでどうぞ~

〔余湖くんのホームページより借用〕