攻城日 : 2018年4月16日


↑南東側からの遠景↑
(この写真のみ 2022年11月撮影)

岩下城は、群馬県吾妻郡東吾妻町にある城跡デス♪

↑城跡北東側下の駐車スペース↑

城跡は、JR吾妻線 岩島駅の北東およそ1.2kmにあり、現在は神社や山林になっています。
 
↑林道から城跡方面を見上げて↑

岩下城は、続100名城である "岩櫃城 "の西側およそ3kmにあり、城跡の南側を流れる吾妻川からの比高が150mほどの山城です。

↑城跡へのアクセス↑

あの "岩櫃城 "の支城と言われる岩下城、正に "大堀切 "と言える大規模な堀切をはじめ素晴らしい遺構が残っているのですが、残念ながら一般的な認知度はあまり高くなく、現地には城跡に関する表示物が一切有りません...

↑余湖くんのホームページより借用↑

そんな岩下城へのアクセスですが、Ⅱ郭が神社になっており、南側からの参道があるようです...

が、それだとイチから歩いて登らなくてはならないので、城跡の東側を走る林道からちょいちょいっと直登しました ww

林道の入口は、国道145号線を西に向かって走っていくと右手に旧岩島中学校の校舎 (現在は一般企業が入っている模様 )が見えてくるので、その手前を右折して吾妻線の線路の下を潜ればOKデス♪

↑登った先 (Ⅶ郭 )↑

林道からは比高差で30mくらい。

5分もあれば城内に着地出来ます♪

↑石積み↑

ココ岩下城は、所謂 "一城別郭 "のおシロで、中央部にある大堀切で城域は2つに分断されています。

今回は東側の林道から侵入しているので、大堀切の東側の郭群から見て回ります♪

↑Ⅶ郭 南側の段郭群↑

着地したところが Ⅶ郭の辺りだったので、まずは南側へ。

こちら側は小さな郭が連なっており、石積みの残骸のようなモノがチラホラ...

↑Ⅶ郭から Ⅲ郭を見上げて↑

Ⅶ郭の上には Ⅲ郭があり...

↑Ⅲ郭下から大堀切を (最奥が主郭 )↑

その向こうにはお楽しみの大堀切がこんにちは♪

一旦お楽しみはオアズケして、大堀切の東側の散策を続行します ( ºωº Ξ ºωº )

↑Ⅵ郭 (左手上が Ⅲ郭 )↑
 
Ⅶ郭の北側には Ⅵ郭があり、その西側は一段高くなって Ⅲ~ Ⅴ郭があります。

↑Ⅲ郭を南側から↑

Ⅲ郭は三角形に近い形をしており、一辺の長さはザックリ30mくらい。

上の写真だと、左側の外に大堀切があります。

↑Ⅲ郭 Ⅴ郭間 堀切 (Ⅲ郭側から )↑

Ⅲ郭の北側には Ⅴ郭があり、Ⅴ郭の南北には小規模ながら堀切が穿たれています。

↑Ⅴ郭 北側 堀切① (Ⅴ郭側から )↑

↑Ⅴ郭 北側 堀切② (堀底から )↑

何故かココの堀切の写真をたくさん撮ってるんですが、何でだろ? ww

↑大堀切をⅣ郭から (写真奥が主郭 )↑

さて、そろそろココの一番の見どころである城域中央部の大堀切に ((((っ・ω・)っ

↑大堀切を堀底から①↑

この大堀切、深さ/上幅ともに20mはある大規模なモノで、正に圧巻の "特大サイズ "...

なのですが、大きすぎて全容がフレームに収まりきらず、写真だとそのスケール感が伝わりません...

 ↑大堀切を堀底から②↑

堀切愛好家 wwの方であれば見て損はしませんので、是非その目で確かめてみてくださいな (っ´ω` )っ

↑大堀切を堀底から③↑

あ、もう堀切はいらないですか? ww

↑主郭 北東側 虎口↑

基本的にココは特に整備はされていないので、大堀切にも階段のようなモノはありません...

そも堀切は防御施設なので当然急斜面ですが、気合と根性で登り降りしてください ww

往時も木橋をかけるのは難しいかったと思われ、この大堀切を挟んで東側と西側の行き来はさぞかし不便だったかと。

 ↑主郭↑
 
大堀切を渡ったトコが主郭。

おシロの一番高いトコ (標高 : 545m)にあり、広さは20m四方くらい。

大堀切 (東 )側にのみ、土塁があります。

↑主郭から Ⅱ郭を↑

主郭の西側には、一段下がって Ⅱ郭があり、秋葉神社が祀られています♪

 ↑秋葉社 (写真奥が主郭 )↑

秋葉社は、ちゃんと現在もお手入れされている感じだったので、ワタシのように斜面を直登せずにすむフツーの方でも来れるルートがあるハズです ww

未確認ですが...

↑Ⅱ郭 (秋葉社の裏側 )↑

Ⅱ郭も、広さは主郭と同じくらい。

秋葉社があるためか、ココの郭のみ整備されている感じです。

Ⅱ郭の北側下や西側下にも郭と思われるスペースがありますが、ヤブっていたので未突入です。

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岩下城の築城年代は分かっていませんが、岩櫃城主 岩櫃斎藤氏の一族である岩下斎藤氏によって築かれたとされています。

室町時代の吾妻地域は当初岩櫃斎藤氏が支配していましたが、15世紀後半に入ると一族の稲荷城主 大野氏が主家を凌ぐ力を持つようになります。

やがて、大野氏は植栗城主である植栗氏と揉めて岩下斎藤氏に救援を要請しますが、当主だった斎藤 憲次は大野氏を助けると見せかけて逆に攻撃して大野氏を滅ぼして実権を握り、岩櫃城主となります。

その後、岩下城には斎藤氏の家臣である富沢氏が入り、斎藤氏が真田 幸隆によって滅ぼされた際も内通して所領を安堵されています...

と、ものすごくザックリまとめましたが、吾妻地域の中世史はとにかく諸説入り乱れていて何が正解なのかよく分かりません...と、この地域のおシロの記事で毎回書いている気がします ww

岩下城も、従来は岩櫃城の支城とされていましたが、最近では "元々は岩下城が本城で岩櫃城が支城 "とか、"岩櫃城が元々は岩下城と呼ばれていた "といった説もあるそうで、もはやカオスな状態です。

歴史の世界も日々研究が進んで定説もどんどん上書きされていますので、この地域の中世史も解明される日が来る...かもしれません ww

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おシロは、なんと言っても大規模な堀切があり、全体的にも遺構は良い状態で残っています。

城跡として整備されているワケではないため、山城慣れしていない方には若干敷居が高いかもしれませんが、この地域の中世城郭の中では岩櫃城の次くらいにはランクされる遺構が残っているおシロだと思います。

この記事を書くに当たってたまたま見た某読者投稿型おシロサイトでの評価が5段階の1.50(松本城は4.32 / 岩櫃城は3.49)という目を疑うような低評価になっていましたが、遺構面では十分におススメ出来る良い中世城郭です。

補足と独り言 : 上述の評価は、投稿しても一定期間が過ぎると集計対象から外れるシステムのため、直近の投稿分しか反映されない仕様。

恐らく現在の集計対象期間には2人しか投稿しておらず、5段階評価の1と2が付けられたものと思われます。

感想は個人の自由ですが、ココに1を付けるヒトは、中世城郭や山城には向いていないので、そも行かない方が良いと思います ww

〔基本データ〕
読み方 : いわした じょう
住所 : 群馬県吾妻郡東吾妻町岩島
標高 (比高 ) : 545(155) m
築城者 (築城年 ) : 岩下斎藤氏?(不明 )
主な城主 : 岩下斎藤氏 / 富沢氏
駐車場 : 東側林道にスペース有り
駐車スペースからの比高 : 35m
訪問する際の目標物 : 旧岩島中学校
残存遺構 : 郭 / 土塁 / 堀切 / 石積
城跡に関する表示物 : 無し
史跡指定 : 無し
見学時間の目安 : 30分~

〔主観的評価 (最大 : ★★★★★)
疲労度 : ★★☆ (林道から直登すればスグです)
ヤブ     : ★★★ (未整備なので夏場は厳しいかと)
遺構     : ★★★☆ (良好な状態です)

〔場所〕 



〔周辺マップ〕

〔余湖くんのホムペより借用〕