攻城日:2019年1月4日

↑北の丸 下 竪堀①↑

西方城は、栃木県栃木市にある城跡デス♪

↑登城口↑

城跡は、東武鉄道 東武日光線 東武金崎駅の北西およそ2.8kmにあり、現在は山林となっています。

↑"西方城(鶴ケ岡城)城郭図"↑

この西方城、県下では最大級の山城で、縄張りも技巧性が高く、整備状態も良好とあって、とてもおススメの城跡デス♪

↑攻城路↑

と言っても所謂中世城郭ですので、天守も無ければ石垣も無く、こちら方面に興味が無い方にしてみれば"何にも無いタダの山"でしかないのですが...

↑分岐点↑

ワタシのように"ビョーキ"に感染している"城キチ"にとっては、正に"宝の山"デスww

↑北の丸 下 竪堀②↑

城跡へは、麓の長徳寺から道が整備されており、解説板が設置された駐車場も完備されています (`・ω・´)b

↑北の丸 下 竪堀③↑

駐車場から10分ほど登ると、"見事な竪堀"が出現
  ( *˙0˙*)

道は竪堀をそのまま登っていく形になるのですが...

この竪堀、複数箇所で折れており、"横矢"がかかるようになっています。

このおシロが技巧的と言われる要素のひとつで、見どころと言ってよいでしょう ╭( ・ㅂ・)و

↑"みどころ② 北側の堡塁"解説板↑

竪堀を登りきると、開けた場所に出ます。

左手には、本丸へと続く"北の丸"があるのですが...

↑"北側の堡塁"(馬出し)と横堀↑

右手にはこんなモノが Σ(゚д゚)

北の丸を攻めようとすると背後の堡塁から攻撃されるコトになりますし、堡塁を先に攻めると背後の北の丸から(略

↑堡塁の上から横堀を↑

横堀にワラワラと群がる敵兵を、上からプスプスと射抜くワケですな
Σ>─( ꒪Д꒪ ;;)→ ヒデブ…

↑堡塁から北の丸を↑

写真正面奥が北の丸。

北の丸にワラワラと群がる敵兵を背後からプスプスと(略  Σ>─( ꒪Д꒪ ;;)→ アベシ…

↑北の丸↑

北の丸は、およそ60m×20mと南北に長く、土塁に囲まれています♪

また、北の丸の南側は...

↑"みどころ④ 屈曲する進入路"解説板↑

一段高くなっていると共に、進入路が折れ曲がって且つ絞られており、簡単には奥へと進めないよう工夫されています ...φ(・ω・*)メモメモ

↑進入する屈曲路(北側)↑

あまり良い写真が無いのですが...

正面上からの攻撃に晒されながら、狭く曲がった路を進まされるワケです (((( ;゚Д゚)))

↑土橋↑

そして、屈曲する進入路を通り抜けるると、土橋が ( ̄□ ̄;)!!

土橋の左右は当然ガッツリ削られており、ココでも導線を絞りにきています。

↑三の丸(仮)↑

土橋の先の郭。

現地の縄張図には名称の標記が無かったので、ひとまず三の丸(仮)としておきます。

↑三の丸(仮)から二の丸を↑

当然、三の丸(仮)から二の丸へも、すんなり進入させてくれるハズもなく...

↑三の丸(仮)/二の丸 間 空堀↑

土塁と空堀で、きっちりガード ( ・ㅂ・)و"

↑二の丸↑

写真左手奥が本丸デス♪

↑二の丸からの眺望(東方面)↑

本丸はあまり眺めが良くないので...

↑本丸 北側 虎口↑

ようやく本丸へ...

ココまで来るのに何回タヒんだでしょうかww

↑本丸↑

本丸にも周囲には土塁が。

広さはおよそ40m×20mくらいと結構広く、きちんと削平されています。

↑本丸 南側 横堀↑

そして本丸の南側にも、仕掛けが盛り沢山♪

堀で導線を絞ったり...

↑屈曲する進入路(南側)↑

北側同様、道をクネクネさせて、攻め手側の直線的な進入を防いでいます♪

↑"みどころ⑤ 屈曲する進入路"解説板↑
 
こういう風に図してくれると分かりやすいですね♪

↑本丸 南西側の郭から↑

クネクネ道を避けるとなると、ココをよじ登るコトに...

この郭の更に西側には"西の丸"があったのですが、ゴルフ場造成時に消滅しています
 (๑•́ ₃ •̀๑)

↑南の丸↑

城域の南端には"南の丸"

広さは本丸と同じくらいで、やはり周囲には土塁が。

↑"武者溜"案内板↑

南の丸の更に南側一段下には、"武者溜"とされる駐屯スペースもあります♪

↑水の手↑

南の丸から北東側にしばらく下ると"東の丸"があるのですが、その道中には"水の手"が。

馬出しのような形状をしています。

↑南の丸~東の丸の道を下から↑

この南の丸から東の丸へと続いている道、写真のとおりやたらと地面がウネウネしています。

↑東の丸 虎口付近の竪堀↑

そして、ようやくラストの東の丸ですが、ココの虎口も複雑な形状になっています。

↑(分かりにくいですが)枡形虎口↑

どうやら、大手筋はこの東の丸を経由するルートだったようで、防備が厳重なのもそのせいかと思われます。

↑東の丸↑

広さは北の丸と同じくらい。

更に東側下には段郭が数段見られます。

〔オマケ〕
↑"西方城主後裔の墓所"解説板↑

城跡から南東およそ1kmにある実相寺には、城主だった西方氏の墓所があります。

↑西方さんのお墓↑

ちなみに実相寺には、西方城のお隣の二条城主だった"藤田 信吉"のお墓もあります♪

北条→武田→上杉→徳川と諸勢力を渡り歩いた人物故にあまり人気の無い武将ですが、ワタシは好きなんですよねww

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西方城は、1293年に宇都宮氏7代当主であり鎌倉幕府の評定衆だった下野守 景綱もしくはその子 遠江守 景泰(景泰は景綱の子 武茂 左衛門尉 泰宗の子とも)によって築かれたとされています。

景泰の子孫は代々西方氏を名乗って西方城を拠点とし、重臣として宇都宮氏領の西側を守る役割を担っていましたが...

戦国末期になると、西方氏と本家の宇都宮氏の関係はだいぶギクシャクしていたようで、当時の当主だった西方 綱吉は、上野国へ進出してきた織田家中の滝川 一益と誼を通じるようになります。

1585年に、北条方に付いた近隣の皆川氏と争いになり、西方城は落城しますが、1587年、一益との関係を良く思っていなかった宇都宮 国綱によって綱吉は幽閉され、獄中死させられます。

1588年に国綱は佐竹氏の助力を得て西方城を奪還し、1590年の小田原征伐の際には所領を安堵されますが、1597年に改易となり、その際に西方城も廃城となったようです。

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城跡は、大規模な中世山城で、一部消滅はしているものの大部分が往時の状態で残っています。

信州の山城のように、見映えのする石積や迫力ある大堀切などはありませんが、細部にまで趣向を凝らした縄張りは非常に技巧的です。

整備状態も良く(というかヤブの写真はカットしましたが、整備されていないトコは激ヤブだったりします)、表示物も豊富で駐車場も完備と、なかなか親切設計でもありますww

建築物があるワケではないので、万人が楽しめる城跡ではありませんが、好きなヒトには強くおススメしたい城跡です♪

ココが楽しいと思ってしまったアナタ、"城キチ"という重い"ビョーキ"に感染していると思った方が良いでしょうww

〔基本データ〕
読み方:にしかた じょう
住所:栃木県栃木市西方町元
標高:220m
駐車場からの比高:130m
築城者(築城年):西方 景泰?(1293年?)
主な城主:西方氏
駐車場:長徳寺の前に見学者用有り
訪問する際の目標物:長徳寺
残存遺構:郭/土塁/横堀/竪堀/
城跡に関する表示物:案内板/解説板
史跡指定:無し
見学時間の目安:60分~

〔主観的評価(最大★★★★★)
疲労度:★★★(広いです)
ヤブ    :★★☆(未整備箇所は激ヤブ)
遺構    :★★★★☆(関東の山城ではTop class)

歩行距離:2.2km


〔攻城ルート&周辺マップ〕

〔現地解説板より〕