攻城日:2018年7月14日

↑主郭 Ⅱ郭 間 堀切①↑

上入野城は、茨城県東茨城郡城里町にある城跡デス♪

↑小松寺 入口↑

城跡は、JR東日本 常磐線 内原駅の北およそ7.5kmにあり、現在は山林となっています。

↑"小松寺"解説板↑

城跡へのアクセスは、北東側麓にある古刹 小松寺から道があります。

小松寺は、寺伝によると天平17年(745年)行基によって開山されたとされますが、この寺院が有名なのはあの"平 重盛"のお墓があるコトでしょう。

↑小松寺 唐門(表)↑

"平 清盛の嫡男"として活躍し"日本三忠臣"のひとり(他の二人は"楠木 正成""万里小路 藤房")に数えられる重盛ですが、父に先立って治承3年(1179年)に病没し、家臣の平 貞能がその遺骨を持って全国を行脚した末に平氏一門である大掾氏を頼って常陸へ流れ着き、養和2年(1182年)にこの地で手厚く葬られたとされます。

寺号は、"小松内大臣"と称された重盛に由来しており、実際の開山はこの時であったと思われます。

↑"唐門"解説板↑

重盛ほどのBIG BOSS NAMEになるとお墓もあちこちにあったりしますが、重盛の場合もココ以外に広島や福岡などにもお墓があるので、どれがホンモノなのか?あるいはどれもニセモノなのか?は今となっては誰にもわかりません...

とは言え、ココ小松寺はそれなりに信憑性はありそうで、あの"水戸黄門"こと徳川 光圀も再三訪れており(←信憑性の根拠はソコ?ww)、光圀お手植えの桜があったりします♪

ちなみに、京で没した重盛は当初京都の法性寺に埋葬されましたが、平家の都落ちの際、墓を荒らされるのを嫌がった貞能が遺骨を持って常陸へ流れ着いたとか。

↑唐門(裏)↑

小松寺ネタが長くなりましたが、城跡はかつて寺院が築かれたいた裏山(南側)である白雲山にあり、重盛の墓もそちら側にありますので、寺院/お墓/城跡をグルッと見て回ればとってもお得(←ナニが?)ww

もちろんワタシもそのつもりで小松寺を訪問したのですが...

↑観音堂↑

ワタシが訪問した時は、ちょうど本堂が改修中で、あまり広くない駐車場には工事関係者と思われるトラックが数台止まっており、事務所?のプレハブまで...

しかもタイミング悪くちょうどお昼休憩で作業員の方々が駐車場周辺にワラワラといらっしゃって、皆さんに注目される中、ソコに車を止めて裏山に登る、というのは小心者にはムリでしたww

というコトで、小松寺の参拝だけしてスゴスゴと退散したので、残念ながら重盛のお墓は見てません                     ( ´ Д`)トホホ…

↑攻城路↑

んじゃ、あっさり諦めたのかと言うとそんなワケは無く、"一の矢"が折れても"二の矢/三の矢"があるんです(←嘘ww三の矢は無いww) (-ロωロ-)✧キラーン

城跡の西側麓には、"城里町総合野外活動センター ふれあいの里"という施設があります。


キャンプ場やバーベキュー場、キャビンやバンガローなどもあるアウトドア施設なのですが、その敷地内からも山への道があるんです♪

施設は当然有料ですが、通過するのは無料ですww

↑城跡 西側の四阿↑

訪問したのは7月半ばの土曜日というコトもあって、施設内はたくさんの家族連れで大賑わい                     ♪⁽⁽٩( ᐖ )۶⁾⁾ ₍₍٩( ᐛ )۶₎₎♪

そんな楽しげな集団を横目に、クソ暑い中あえて山に登るシロキチ約1名ww

山も施設の一部なのか、道はちゃんと整備されており、所々に案内表示もあったのがせめてモノ救いww

但し、表示はあくまでもハイキングコース(森林浴の道)のモノで、城跡に関するモノは一切ありません...

↑所々に設置された案内表示↑

10分強ほど登ると、四阿のある開けた場所に出ます。

展望台も設置されているこの場所、かつて小松寺があった場所でしょうか?

ココも郭であった可能性も十分にあります。

城跡主要部はココから南東側の尾根伝いに行けばスグなのですが、何を思ったか北東側に行ってしまい、ヤブの中しばらく山中を彷徨いました _:(´ཀ`」 ∠):_

今でこそ地形図アプリを駆使して常にGPSで現在地を確認しながら山歩きしていますが、当時は余湖さんの図を片手に方位もナニも確認せずに歩いていました...

地形図アプリを導入したのは、ココで暑い中放浪し、散々蜘蛛クンと戯れた苦い体験がキッカケですww

↑Ⅱ郭 西側 堀切↑

しばらく時間を浪費した後、辛うじて現世に復帰しww、今度はちゃんと城跡方向へ (~´ω`)~

四阿のある平場の端には堀があり、その先に道も見えているのですが、ナゼ道も無いヤブに突撃してしまったのかww

↑Ⅱ郭から堀切を挟んで主郭を↑

遠回りの末ようやく辿り着いた城跡、喜び勇んでⅡ郭へ突入...しようと思ったのですが...

この城跡、堀切など道として使用されている部分は整備されていますが、郭内部は道として使われていないため、未整備デス ᔪ(°ᐤ°)ᔭᐤᑋᑊ

Ⅱ郭内は結構な"jungle"だったので、ひとまずスルー           =͟͟͞͞ ( ꒪౪꒪)

↑主郭 Ⅱ郭 間 堀切②↑

Ⅱ郭には侵入せず、南側外の整備された道を通って主郭へ♪

主郭とⅡ郭を仕切っている堀切は、場所によっては深さ5mほどもあり、なかなか見事デス Σ(,,ºΔº,,*)

↑主郭 内部↑

そして、いよいよ主郭内部へ。

主郭内は、上の写真のようにヤブの無い箇所もあるのですが、歩けないホドではないものの全体的にヤブは多めで、スケール感がわかるような写真は撮れませんでした...

↑主郭 虎口↑

主郭は、部分的に歪な形になっていますが1辺70mほどの方形で、北西側の1区画が1段高くなっています。

この城跡、山城にしてはかなりのスペースがあり、主郭以外の郭もそれぞれまとまった広さがあります。

↑主郭内 北東側 土塁↑

よくわからないと思いますが、奥に写っているのがいちお土塁デスww

土塁の更に奥には、前述の立派な堀切があります♪

↑主郭 南西側 城塁を外から↑

写真の奥が主郭になります。

かなりの鋭さがあり、草が無ければ結構カッコいい絵面だと思うのですが...

冬場だったらもうちょい良い感じの写真が撮れるでしょう♪

↑主郭 Ⅲ郭 間 堀切↑

主郭の外に出た後は、その周りをグルッとお散歩 ε”ε”ε”(ノ*˙꒳​˙  )ノ

もちろん左手が主郭ですが、なかなか良い角度でしょう?ww

↑堀切と出城への道↑

堀切の先へと進むと、出城や重盛のお墓、小松寺へと行けますが、放浪してだいぶ時間をロスしていたので今回はココまでww

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上入野城については、記録や伝承が残っていないため、その歴史は一切不明です。

遺構からは戦国期まで使用されていた可能性が高く、佐竹氏一族の藤井氏や石塚氏が使用していたと考えられそうです。

戦国期以前より存在していた場合、古くは大中臣姓那珂氏、あるいは常陸平氏の大掾氏の手によるものと考えられますが、いずれにしろ詳細は不明です。

‹‹(´ロ` )/››‹‹(  ´)/›› ‹‹( ´ロ`)/››

城跡は、比高差もあまり無く、道も整備されており、アクセスにはそれほど苦労しません。

比較的単純な作りで技巧性は高くありませんが、遺構は良く残っており、なかなかおススメ出来るおシロです♪

なお、道が整備されているとは言え山城ですので、特に郭内まで散策したい方は涼しい時期の方が良いでしょう。


〔基本データ〕
読み方:かみいりの じょう
住所:茨城県東茨城郡城里町上入野
標高(比高):145(120)m
築城者(築城年):いずれも不明
主な城主:不明
駐車場:小松寺参拝者用/野外活動センター
駐車場からの比高:90m(小松寺駐車場から)
訪問する際の目標物:小松寺→白雲山山頂
残存遺構:郭/土塁/堀切
城跡に関する表示物:無し
史跡指定:無し
見学時間の目安:45分~

〔主観的評価 (最大★★★★★)
疲労度:★★☆(傾斜は緩やかです)
ヤブ    :★★★(道はキレイに整備されています)
遺構    :★★★(よく残っています)



〔周辺マップ〕


〔余湖くんのホームページより借用〕