攻城日:2019年8月12日

↑"史跡 御城"石碑↑

御城は、栃木県小山市にある城跡デス♪

↑石碑(裏)と境内↑

城跡は、JR両毛線 思川駅の北西およそ2kmにあり、現在は御城稲荷神社となっています。

↑"皇太子御成婚記念"石碑↑

かつては現在の神社を主郭として、"中城""西城"といった郭が周囲に展開されていたようですが、大半は宅地となってしまっており、面影は残っていません。

↑御城稲荷神社 本殿↑

境内には、ちょっとした遊具が設置されており、広いスペースもあるので駐車も可能です。

車は、神社の北側の道から境内に入ることが出来ます♪

↑境内↑

↑神社南側入口↑

神社には南側にも入口がありますが、見てのとおりこちら側からは車では進入出来ません。

↑神社参道↑

↑鳥居と本殿↑

なんだか神社紹介のブログになってますねww

まぁたいした遺構が残ってないとこうなりますww

↑神社南側の堀跡①↑

さて、肝心?の城郭遺構ですが、神社の北側を除く三方は水路になっており、これがかつての水堀の跡なんだとか (ΦωΦ+)ホホゥ....

↑神社南側の堀跡②↑

この写真なんかは堀跡に見えなくもないような...

そう思って見るからそう見えますが、知らなければまぁまず気がつかないレベルです...

↑神社東側の堀跡↑

=͟͟͞͞ (`ᾥ’ )/=͟͟͞͞ (   `)/=͟͟͞͞ (  `ᾥ’)/

御城は、源 頼朝の寵臣だった梶原 景時の八男である景則が築いたとされています。

頼朝の死後、景時の一族は1200年の梶原 景時の変で景則も含めて滅亡したとされていますが、難を逃れた景則が、小山 朝政の庇護を受けてこの地に城を築いたという伝承があるんだとか。

朝政は、景時を糾弾した連判状にも名を連ねており、どちらかというと景時とは敵対していた印象があったので、その子を庇護したというのはにわかには信じられませんが、城跡の東側にある称念寺は梶原氏の菩提寺であり、梶原氏に関する文書を多数所蔵していることからも、景則かどうかはともかく梶原氏の一族がこの地にいたというのはある程度信憑性が高そうです。

城跡のある小薬郷は、戦国期には小山氏家臣の岩上氏が領していたようですが、それまでは梶原氏だったり小山氏だったり小山氏一族の結城氏や長沼氏だったり、記録によって領有者がバラバラでよくわかりません。

立地的には小山氏のテリトリーかと思いますので、小薬郷も御城も今風に言うと小山ホールディングスwwの範疇で運用されていたのでしょう。

=͟͟͞͞ (`ᾥ’ )/=͟͟͞͞ (   `)/=͟͟͞͞ (  `ᾥ’)/

城跡は、住宅地の中の神社という立地の為、ヤブも無く、夏でも見学可能です。

その立地のおかげで遺構の状態は非常にビミョーな感じですが、駐車スペースもありますので、同じ小山市内の祇園城や鷲城などを訪問したついでに足を伸ばしてみては如何でしょうか♪

なお、この城跡を小薬(こぐすり)城と紹介されている方も多いですが、石碑が"御城"となっていることと、近隣の鷲城の別名も小薬城の為、敢えて"御城"としています。

鷲城と混同しないようご注意くださいww

〔基本データ〕
読み方:み じょう
住所:栃木県小山市小薬
標高:40m
駐車スペースからの比高:無し
築城者(築城年):梶原 景則?(鎌倉時代?)
主な城主:梶原氏/結城氏/長沼氏/岩上氏
駐車場:御城稲荷神社境内にスペース有り
目標物:御城稲荷神社
遺構:水堀跡
表示物:石碑
史跡指定:無し
見学時間の目安:10分くらい

〔主観的評価(最大★★★★★)〕
疲労度:★(無し)
ヤブ:★★(少ないです)
遺構:★☆(一応ある...ような...)


〔周辺マップ〕

〔余湖くんのホームページより借用〕