攻城日:2019年8月22日

↑"史跡 曲輪跡"石碑↑

曲輪は、栃木県小山市にある史跡デス♪

↑石碑と草ボーボーの土塁①↑

史跡は、JR東北本線 小山駅の西南およそ800mにあり、現在は宅地及び線路になっています。

↑石碑と草ボーボーの土塁②↑

しかし、名称が"曲輪"ってww

この、実も蓋もないというか、ある意味斬新な名称の"曲輪"ですが、ナンと小山市の指定史跡デスww

名称はアレですが、ちゃんと発掘調査もされており、道路跡や3基の堀立柱建物跡、20基の井戸跡が確認された立派な(?)史跡なんです。

また、大量のカワラケや青磁などの輸入陶磁器、朱塗りの椀といった様々な遺物も出土したそうです。

↑土塁を反対(線路)側から↑

往時の館?跡は、東北本線の線路によって分断されてしまっていますが、遺構として高さ4mくらいの土塁がおよそ50mほど残っています。

小山駅からそう遠くない市街地の中に、これだけのモノが残っているのは、かなり貴重と言えるでしょう ヽ( ´∀`)

名前がアレですけどねww

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曲輪は、平安時代末期~南北朝時代の小山氏の屋敷跡とされています。

1380年に起きた小山義政の乱の際、義政は①鷲城/②岩壷城(→中久喜城と推定)/③新城(→長福城と推定)/④祇園城(小山城)/⑤宿城の5城に拠って鎌倉公方 足利 氏満軍と戦ったという記録があり、ここ"曲輪"が宿城ではないかとされています。

また別の記録では、"義政屋敷 西木戸口"で合戦があったとされており、それもココではないかと。

いずれにしろ、発掘された史跡は、小山氏関連の可能性が高いようです。

その一方で、この地には江戸時代に青蓮寺という尼寺があったという記録もあり、結局のところ遺構が何であったのか、特定には至ってない模様。

そこら辺が、"曲輪"なんていうビミョーな石碑になっている理由のひとつなのかもしれません。


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とりあえず、小山氏関連の史跡とされているこの"曲輪"、現状では土塁しか残っていませんし、訪問したのが真夏だったこともあって角度によっては草ボーボーで土塁かどうかもわからない状態でしたww

但し、その土塁は断片的にしか残っていないものの、残された部分は高さ・幅共にかなりのもので、重厚感のある立派な土塁です。

これが城もしくは居館のものであれば、往時はかなりの規模だったと思われ、小山 義政ファンとしては今後の研究に期待したいところです。

〔基本データ〕
読み方:くるわ
住所:栃木県小山市
標高:36m
駐車スペースからの比高:無し
築城者(築城年):小山氏?(平安時代末期?)
主な城主:小山氏?
駐車場:道は狭いですが、石碑の辺りはスペースがあったような...
目標物:小山パレスホテル
遺構:土塁
表示物:石碑
見学時間の目安:5分

〔主観的評価(最大★★★★★)〕
疲労度:★(無し)
ヤブ:★☆(住宅地なので少ないです)
遺構:★★(土塁のみですが、立派です)
〔余湖くんのホームページより借用〕