攻城日:2019年5月15日

↑"花澤城址"石碑↑

花沢城は、静岡県焼津市にある城跡デス♪

↑"花沢城址(登り口)"案内板↑

城跡は、東名高速道 日本坂PAの北東およそ1.5kmにあり、登城路や表示物など、きちんと整備されています♪

↑攻城口その①↑

城跡へのアクセスは、城跡西側およそ300mの位置にあるこの場所からになります。

ココに、城跡の解説板と入口標柱が設置されています。

周辺の道は狭いですが、ここより先に駐車するのは難しいので、ここら辺で頑張ってスペースを探してくださいww

ちなみに、写真左側の階段はダミーで、城跡へは正面の舗装道を進みますので、騙されないように(←騙されたヒトww)。

↑"花沢城跡入口"標柱↑

↑"花沢城跡"解説板↑

↑縄張図をアップで↑

現在地や登り口も記載されていますので、基本的にこの地図どおり進めば迷うコトはありません │ε:)⁾⁾ピコン🚩←フラグ

↑北へと伸びる道↑

解説板によると、この解説板から北へと伸びる道も堀跡だとか (ΦωΦ+)ホホゥ....

↑分岐点↑

さて、解説板&標柱のところから奥(東)へと進むと、およそ100mほどで上の分岐点に出ます。

まぁ右手の道の先には案内表示も見えているので敢えて左手へ行くヒトはいないと思いますが、ココは右です (<●>ω<●>)

いいですか、ミギですよ <●><●>カッ

↑攻城口その②↑

分岐を右へと進むと、50mほどで案内表示が出ています♪

↑攻城道中↑

まわりの風景はこんなですが、登り道はちゃんと整備されていますので、ご安心をww

↑山頂が見えてきました↑

"案内表示その②"の位置から山頂までは比高でおよそ50m、傾斜もそれほどキツくありません。

10分もかからず山頂まで登れマス ₍₍ (ง ˙ω˙)ว ⁾⁾

↑主郭を下から↑

正面が主郭、右手がⅡ郭になります。

↑主郭Ⅱ郭間 堀切①↑

主郭とⅡ郭の間には、しっかりとした堀切が残っています。

↑主郭Ⅱ郭間 堀切②↑

ちなみに明確な遺構はほぼコレだけ、唯一の見どころと言ってよいでしょう。

↑堀切を上から↑

↑石積...というか石列↑

こんなのもありましたが、遺構...ではないんでしょう。

↑Ⅱ郭内部①↑

Ⅱ郭はそれなりの広さがありますが、ヤブになっている箇所も多く、そうではない箇所もこんな感じです。

土塁などもありません。

↑Ⅱ郭内部②↑

↑主郭をⅡ郭側から↑

Ⅱ郭の北側が主郭。

こちらも広さはありますが、削平はビミョー。

↑稲荷神社↑

主郭の中央には、稲荷神社が鎮座しています。

奥には土塁が残っているとのことですが、よくわかりませんでした...

↑主郭をⅢ郭側から↑

↑Ⅲ郭↑

主郭の北側には、Ⅲ郭。

こちらはかなり狭いデス。

↑主郭Ⅲ郭間 堀切↑

↑主郭からの眺望↑

【オマケ】
↑城跡北側の行き止まり↑

さて、いかにも楽チンに攻城したかのように書きましたが、実は結構苦労して登りました。

攻城を開始したのが17時半近く、既に暗くなりつつあった為にかなり焦っており、"攻城口その①"の解説板をロクに読まずに先を急いだ結果、分岐を左に行きましたww

事前に地形図を見て、何となく北側から登るのかな、とイメージしていたのもあって、分岐で右手をよく確認もせずに左手へと進んだおバカさんはワタシですww

左手の道をしばらく進むと、上の行き止まりに出ます。

その先は斜面しかありませんので、一応、ココまで車で来るコトは可能です。

↑急斜面を直登↑

城跡の直下までは来ており、戻るのもメンドいので、こうなったら直登デスww

写真はそこまでの傾斜には見えませんが、場所によっては両手を使ってよじ登るような角度でした (;`Д´)ゼェゼェ…

ちなみに、写真にあるようにレールのようなものが通っていたので、行き止まりの道も何かの作業用なのかもしれません。

↑石積↑

後世のものでしょうが、こんな石積もありました。

まぁ、そんなこんなで比高60mほど直登すると、Ⅲ郭の辺りに出ましたとさ ╮( •́ω•̀ )╭ヤレヤレ

なので、今回の記事は実際に登ったのとは逆の順路で書いていますww

↑城跡遠景↑

( °-°)/≡(  °-)/≡(  °)/≡(-° /)≡(°-° )/

花沢城の築城年代には諸説ありますが、天文年間(1532年~1554年)に今川義元によって築かれたようです。

日本坂の街道を抑える要所にあり、駿府城の南西側を守る拠点として機能していましたが、1570年に武田信玄によって攻められ、1ヶ月近く耐えたものの落城しました。

その後、用いられた記録が無いようなので、その際廃城になったと思われます。

( °-°)/≡(  °-)/≡(  °)/≡(-° /)≡(°-° )/

城跡は、それなりに整備はされており、比高もそれほどではない為、山城の中では比較的楽に攻城出来る部類かと思います。

遺構は技巧的とは言えず、いかにも古い時代の山城といった感じで、とても信玄の攻撃から1ヶ月も耐えられるような作りには見えませんが、何故信玄が攻めあぐねたのか?、そんな視点で訪れてみるのも面白いかもしれません。

〔基本データ〕
住所:静岡県焼津市高崎城山
標高:141m
駐車スペースからの比高:76m
築城者(築城年代):今川義元?(天文年間?)
主な城主:関口氏/大原(小原)氏
駐車場:解説板付近にスペース有り
目標物:八幡神社もしくは鳴沢不動尊
表示物:石碑/解説板/案内板/標柱
史跡指定:無し
見学時間の目安:30~40分くらい

〔主観的評価(最大★★★★★)〕
疲労度:★★☆(ちょっとした運動レベル)
ヤブ:★★☆(攻城路や郭は整備されています)
遺構:★★(地形頼みであまりパッとしないです)

歩行距離:2.0km


〔攻城ルート&周辺マップ〕

〔余湖くんのホームページより借用〕