攻城日:2020年1月9日

↑権現山城から見た青木城遠景①↑

青木城は、神奈川県横浜市神奈川区にある城跡デス♪

↑権現山城から見た青木城遠景②↑

城跡は、横浜駅の北東約500mほどの場所にあり、現在は本覺寺になっています。

場所が場所ですので、遺構は残っていません。

↑青木橋交差点↑

城跡の前には第二京浜(国道1号線)が通っており、線路を挟んで南側には第一京浜(国道15号線)も走っていますので、交通量はメッチャ多いです (๑ * ₃*๑)

ちなみに余談ですが、城跡である本覺寺という寺院があるのは看板などで知っていたのですが、上の写真の中央に写っている緑色の屋根の"地震があったら崩れ落ちそうな"お寺がそれだと思ってました(実際の本覺寺は写真の外、右手すぐにあります)ww

↑本覺寺解説板↑

城跡としての記述は無く権現山合戦にのみ触れるという、権現山城にあった解説板と同じパターンですね...

横浜市はあまり城跡には触れたくないんでしょうか?ww

↑本覺寺参道↑

この場所は、かつては線路を挟んで向かい側にある権現山と尾根続きだったとも言われており、権現山城とはある程度セットで考えた方が良さそうデス♪

↑青木城から見た権現山城↑

↑本覺寺山門と"アメリカ領事館跡"石碑↑

またこの場所は、青木城跡であるとともにアメリカ領事館跡でもあり、1862年に起きた生麦事件の際に負傷したイギリス商人が逃げ込んだ場所です (ΦωΦ+)ホホゥ....

↑"岩瀬肥後守忠震"石碑↑

また山門の手前には、幕末に外国奉行など要職を歴任し、水野忠徳/小栗忠順と共に"幕末の三俊"と唱われた岩瀬忠震の石碑がヒッソリと♪

横浜開港に尽力した人物ですが、特にこの場所と繋がりがあるわけではなさそうです。

もう少し目立つ場所に建ててあげた方が...と思うのはワタシだけでしょうか?ww

↑本覺寺境内↑

平日の午後ということもあって、境内には人気もなく...

この風景だけ切り取れば、横浜駅チカとは思えません。

↑本覺寺北西側の地形↑

本覺寺のある場所は最高所というわけではなく、北側及び西側は更に高くなっています。

この辺りの地形はだいぶ改変されていますので、今となってはココに城跡があった頃の状態は想像するしかありません。

↑オマケ↑

ちなみに、第二京浜沿いにある緑色の屋根の"地震があったら崩れ落ちそうな"お寺は、三宝寺というお寺でしたww

何であんなトコロに建てたんだろ...

=͟͟͞͞ (’ω’ )/=͟͟͞͞ (   ’)/=͟͟͞͞ ( ’ω’)/

青木城は、北条氏重臣の多目(多米)周防守によって築かれたとも、権現山城と一緒に上田蔵人政盛によって築かれたとも言われており、はっきりとわかっていません。

多目氏は、北条早雲というか伊勢盛時旗揚げ時からの家臣である後由緒六家のうちのひとつであり、川越城の戦いで活躍し北条五色備の黒備え任せられた多目周防守元忠(多目氏には周防守を名乗った人物が複数いるようなので、築城者と同一人物かどうかは不明)を輩出した、北条家中でも重きを成した一族でした。

多目氏は北条氏に従って関東を転戦し、秀吉の小田原攻めの際は群馬県の西牧城を守備しており、そこで敢えなく討ち死 0(:3 )~ =͟͟͞͞('、3)_ヽ)

青木城も北条氏滅亡と共に廃城となったようです。

=͟͟͞͞ \(’ω’ )/=͟͟͞͞ \(   ’)/=͟͟͞͞ \( ’ω’)/

城跡は、横浜駅チカということもあって、痕跡は全く残っていません。

地形から往時を想像するしかないようです。

どちらかと言うと、戦国好きの方より幕末好きの方の方が楽しめるのかもしれませんね。

〔基本データ〕
住所:神奈川県横浜市神奈川区桐畑
標高:23m
築城者:上田蔵人政盛?or多目周防守?
主な城主:多目氏
駐車場:本覺寺には参拝者用がありますが...
目標物:本覺寺
遺構:無し
表示物:城跡のものは無し
史跡指定:無し
見学時間の目安:10分

〔主観的評価(最大★★★★★)〕
疲労度:★(無し)
ヤブ:★(無し)
遺構:★(無し)


〔周辺マップ〕