攻城日:2019年4月13日

↑遠景↑

神崎城は、千葉県香取郡神崎町にある城址で、"西の城""中の城""東の城""田向城""小松城"といった複数のお城から成る、いわゆる一城別郭の城址デス♪

"神崎城郭群"という表現の方が的確かもしれません。

↑わくわく西の城↑

まずは車で、"西の城"へ。

ここは現在、"わくわく西の城"という複合施設になっています。

ちなみに、冒頭に記述したように城域はかなり広いのですが、案内板や解説板の類いは一切ありません( ˘•ω•˘ ).。oஇ

施設名称が"西の城"となっているのが、城址であったことを辛うじて表しています。

↑"西の城貝塚"解説板↑

西の城は、施設がガッツリ建ってしまっているので散策しづらいのですが、これといった遺構は無いようです。

貝塚があったようなので、古くから人々が生活を営んでいたのでしょう。

↑神宮寺仁王門↑

収穫の無い"西の城"をそそくさと退散し、"中の城"へ。

"中の城"の麓に神宮寺があり、参拝者用駐車場(5台分くらい)があるので、しばらく駐車させて頂き、ここからは歩いて移動します
₍₍ (ง ˙ω˙)ว ⁾⁾

↑"並木神宮寺仁王門"解説板↑

神宮寺入口には、立派な仁王門があります。

解説板によると、仁王門の建立は17世紀後半とのこと。

城址に関する記述はありません。

↑神宮寺社殿↑

神宮寺は、寺伝によると空海が阿弥陀三尊をこの地に安置したことに始まり、古くから神崎神社(神宮寺の北約1kmにある古社)の別当寺だったようです。

↑"神宮寺文書"解説板↑

寺院に関する解説板はいくつかあるのですが、城址に関しては一切記述されていません
(╯•ѳ•╰)

↑"並木神宮寺観音堂"解説板↑

城址に関する記述...(ry)

↑"中ノ城古墳"案内板↑

神宮寺の奥(北側)が"中の城"です。

寺院の脇にしっかりとした道があるので、迷うことはないでしょう。

徒歩3分くらいの距離で、途中には古墳の案内板が設置されています。

↑"中の城"↑

中の城は、そこそこの広さ(一辺100mくらい?)があり、キレイに削平されていますが、往時のものなのか耕作地化によるものなのかは何とも...

↑中ノ城古墳↑

北側には、中ノ城古墳があります。

古墳をそのまま土塁として活用したものと思われます。

↑古墳の上から↑

土塁というより、古墳ですねww

↑古墳の上から郭内を↑

古墳の北側には腰郭のようなスペースもあったのですが、ヤブだったのでスルーしました。

↑天満宮↑

さて、何となく消化不良のまま、"東の城"へ向かいます。

神宮寺からは徒歩10分強、最初東へ向かい、天満宮のところを北へ向かいます(最下部のマップ参照)。

↑"東の城"を西側下から↑

"東の城"の入口はわかりづらいのですが、言葉で説明するのは難しいので、最下部のマップを参考にしてください。

北側に入口があります。

↑攻城路①↑

いまいち城址っぽくなかった"西の城""中の城"と違い、"東の城"は山城の匂いがプンプンします三ヾ(*´ω`)ノ゙

↑攻城路②↑

攻城路は、堀底道のようになっており、特に主郭側(写真右手)はそれなりに高低差のある城塁のようになっています。

↑"稲荷神社入口"案内板↑

"東の城"は稲荷神社になっており、北側に案内板が設置されています。

↑稲荷神社鳥居↑

入口の案内板から3分程度で稲荷神社です。

ここが"東の城"の中心部だと思うのですが、なんか斜めってますね...

↑稲荷神社↑

稲荷神社の周囲は、それなりのスペースがありますが、きちんと削平はされておらず、あるとされる竪堀も発見出来ませんでした(´-ω-`)

↑疱瘡神宮石鳥居↑

"稲荷神社入口"案内板の北側には、疱瘡神宮があります。

↑疱瘡神宮↑

スペース的には狭いですが、低いながら明確な土塁に囲まれていますので、郭として用いられていたものと思われます。

↑疱瘡神宮周囲の土塁↑

さて、最後に"田向城"へ向かいます。

来た道を神宮寺まで戻り、そのまま神宮寺を通過して南側の線路を渡った先の台地が"田向城"です。

↑踏切の名前は"田向踏切でした↑

神宮寺からは5分くらいです。

台地の北側に、上へと上がる道がついています。

↑台地の上↑

"田向城"には土塁があるらしいのですが、かなり広くて面倒だったのと、農作業されている方々の視線がイタかったので、散策せずに撤収しました。

↑"田向城"から見た神崎城↑

↑中央が"田向城"右手が"神崎城"↑

神崎城は、千葉氏一族の神崎氏のお城だったようです。

築城時期は13世紀頃とも言われていますが、いつ頃まで使われていたのかはよくわかっていません。

感想としては戦国期以前のお城という印象で、要害性も高くないので、戦国期ではちょっと防御力が心許ないような...

また、一城別郭というには距離が離れ過ぎており、戦時に連動して機能出来たかというと疑問が残ります。

〔基本データ〕
住所:千葉県香取郡神崎町並木
標高:32m(中の城)
駐車場からの比高:26m
築城者:神崎左衛門尉(13世紀?)
主な城主:神崎氏
駐車場:神宮寺参拝者用を借用
目標物:神宮寺
遺構:郭/土塁/空堀/竪堀?
表示物:城址に関するものは無し
史跡指定:無し
見学時間の目安:一通り見るとなると結構大変。今回の私のルート("西の城"車→"中""東""田向"徒歩)で60分くらい。

〔主観的評価(最大★★★★★)〕
疲労度:★★☆(登りは少ないですが広いです)
ヤブ:★★(全体的に少な目)
遺構:★★("東の城"以外はイマイチ...)


〔攻城ルート〕
"西の城"は車で行ったので、ログは記録していません。