攻城日:2019年3月24日

↑主郭↑

柏久保城は、鎌倉時代に狩野氏によって築かれた城址デス♪

↑天桂寺↑

城址南西側麓にある天桂寺の駐車場をお借りしました。

城址への攻城口は山の西側と東側にあります。

西側の攻城口は、天桂寺のすぐ西側の一之宮神社にあり、修善寺駅からも近いのですが...

こちらから登ると、いきなり主郭裏に到達します。

一方、東側の攻城口は修善寺体育館の東側にあり、こちらから登ると複数の郭を経由し、何となく大手っぽいです。

実際ワタシは西側から登って東側から下ったのですが、たぶん東側から登った方がこの城址を堪能出来るので、あえて東側から登った風で記述します。

↑城址遠景/右手の建物が体育館↑

天桂寺の東側200mに修善寺体育館があり、ここの真北の山の山頂が城址になります。

体育館の駐車場は広いので、短時間の駐車であればご迷惑はかからないかと思います。

↑グラウンド東側にある案内板①↑

体育館の東側はグラウンドになっており、グラウンドの東側には"愛宕山"の案内板が設置されています。

↑東側攻城口の案内板②↑

案内板①から表示のとおり北に向かうと、案内板②が設置された分岐に出ます。

ここの手前までは車で来ることも可能で、周辺には路駐スペースもあるので、帰りもこちら側へ下るのであればここまで車で来ると良いでしょう。

↑門跡?ここから城域?↑

案内板②から表示のとおり西へ向かうとすぐに尾根筋に出ます。

左右が土塁になっており、門跡っぽかったので、テキトーにラクガキしましたww

↑門跡?を逆(城址)側から↑

↑中央が攻城路↑

門跡?を通ると、ダラっと下ってはいるものの、かなり広いスペースがあります。

↑尾根筋の平場↑

その先は緩やかな傾斜の尾根筋を登っていきますが、道中には郭と思われる平場が2箇所ありました。

↑尾根筋の平場②↑

↑Ⅲ郭↑

案内板②から10分(実際は下りだったので6分)程度でⅢ郭。

先端(北東)側には、だいぶ低くなってしまっていますが土塁があります。

↑Ⅱ郭虎口↑

Ⅲ郭の西側がⅡ郭。

主郭が狭いので、実質的な中心部かと。

↑Ⅱ郭を北東側から↑

Ⅱ郭は東西に長く、南側には土塁が築かれています。

↑Ⅱ郭南側土塁↑

↑Ⅱ郭を主郭(西側)から↑

早雲がこの城を攻めた時は、北側(写真左手)の谷から攻めたので、"新九郎谷"と呼ばれているそうな。

↑主郭↑

Ⅱ郭の西側が主郭。

祠が祀られています。

↑主郭からの眺望↑

↑"北条早雲城山砦址"石碑↑

↑石積↑

主郭裏の城塁には、ささやかながら石積がありました。

↑主郭虎口↑

↑解説板↑

↑主郭裏(西側)堀切↑

主郭の裏にはなかなか立派な堀が。

空堀って表示されていますが、どちらかっていうと堀切のような...

↑堀底から主郭城塁を↑

西側から登ると、いきなりここに出ます。

↑案内板③↑

↑一之宮神社にある案内板④↑

柏久保城は、鎌倉時代に狩野氏の祖である狩野茂光によって築かれたと言われています。

狩野茂光は伊豆に勢力を持ち、1180年に頼朝が伊豆で挙兵すると馳せ参じますが、石橋山で敗れ自害したとされています。

となると、柏久保城が築かれたのは1180年以前か、あるいは築いたのは狩野氏の別の誰か、ということになりますね。

長らく狩野城の支城として狩野氏の城でしたが、1497年に北条早雲によって攻め落とされています。

また、同年狩野氏は柏久保城を奪還すべく攻城しますが、北条方についた大見三人衆の奇襲に合い、撃退されています。

〔基本データ〕
住所:静岡県伊豆市柏久保
標高:180m
駐車場からの比高:90m(天桂寺から)
築城者:狩野茂光?
主な城主:狩野氏/北条氏
駐車場:天桂寺参拝者用を借用
遺構:郭/土塁/堀切/石積
目標物:愛宕山山頂
表示物:石碑/解説板/案内板
史跡指定:無し
見学時間の目安:東西どちらの攻城口からも主郭までは15分、トータル45分くらいか。

〔主観的評価(最大★★★★★)〕
疲労度:★★☆(傾斜は西側からの方が若干キツいか)
ヤブ:★★(道中及び中枢部は整備されています)
遺構:★★☆(パンチには欠ける)


〔攻城ルート〕

〔縄張図/余呉くんのホームページより借用〕