攻城日:2019年3月23日

↑古城天満宮↑

春休みに入り、ヒマをもて余している娘たちを遊びに連れて行く名目で連れ出したこの日。

ちゃんと遊びに連れていった実績を作るためww、まずは羽生水郷公園内のさいたま水族館へ(∵ )∋ )3

↑城址石碑↑

水族館の後は公園で遊んで、作ってきたお弁当を食べて、午前中の子供タイムは終了
Ωヾ(・ε・`*)チン チン チーン♪

さぁ、ここから大人タイム(=お城タイム)のハジマリデスww

↑石碑の裏側↑

んで、まずは羽生城♪

城址石碑と解説板がある古城天満宮の前の道は幅が広いので、しばし路駐させて頂きました
(*˙˘˙*)

↑古城天満宮縁起↑

羽生城の築城時期は定かではありませんが、1536年に広田直繁とその弟木戸忠朝の記録があることから、その前後と考えられています。

木戸氏は(真偽の程はともかく)藤原南家熱田大宮司家の出とされ、鎌倉公方に仕え、上杉憲方が下野守護になった際には守護代を務めた一族です。

木戸氏の本流は、戦国期には古河公方の側近として活躍しますが、羽生の木戸氏は傍流で、上杉氏に属していました。

↑指定文化財リスト↑

羽生木戸氏は1574年に羽生城が自落するまで、主家が管領職を謙信に譲ろうが、周囲を敵方に囲まれようが、一貫して上杉家の武蔵国における対北条氏最前線として奮闘し続けます
ウオオオォォ(๑و•̀ω•́)وォォェェァァ

あ、1554年に一度落城してますね...

1560年に謙信によって取り返された羽生城は、再び木戸兄弟に託され、木戸兄弟はその後も毎年のように襲来する大型台風"ケンシーン"の元にフル参陣し、馬車馬もとい上杉方の先兵として北条氏と戦い続けます( ◞•̀д•́)◞⚔◟(•̀д•́◟ )

↑縄張図↑

しかし、関東の趨勢は北条氏に傾いていき、1572年の相越同盟破棄や1574年の新田金山城主由良氏の離反などによって羽生城は孤立を深め、最終的には謙信の命により羽生城は破却、木戸兄弟はその際落命したとも厩橋城に退去したとも言われています。

その後、羽生城には北条方の成田長親が、北条氏滅亡後は大久保忠隣が入りますが、1614年に忠隣が改易されると再度破却され、天領となりましたとさ。

そんな関東戦国史における重要拠点だった羽生城ですが、見事に何にも残っていません。

沼沢地に囲まれ、相当な規模の要塞だったと思われますが、周囲は宅地となり残念ながら遺構どころか面影すら全くありません ( ´•̥̥̥ω•̥̥̥` )



余談ですが、かつての城址の一画には世界でも有数のブレーキメーカーである曙ブレーキ工業㈱があり、その敷地内には開館日が毎週水曜日の14時~16時のみという、サラリーマンには極めてハードルの高いブレーキ博物館がありますので、興味がある方は是非ww

【おまけ】
↑陣屋跡地の高山稲荷神社↑

古城天満宮の西側300mくらいのところにある高山稲荷神社は、幕末の慶応3年に築かれた羽生陣屋の跡地だそうです。

神社周辺は密集した住宅地となっており、道幅も狭く駐車スペースも無いため、車中から1枚写真を撮って通過しましたww

遺構も無いそうです。

〔基本データ〕
読み方:はにゅう じょう
住所:埼玉県羽生市東
標高(比高):15(0)m
築城者(築城年):木戸氏(1536年頃)
主な城主:広田直繁/木戸忠朝/成田長親/大久保忠隣
駐車場:古城天満宮前のスペース
駐車スペースからの比高:無し
訪問する際の目標物:古城天満宮
残存遺構:無し
城跡に関する表示物:石碑/解説板
史跡指定:羽生市指定史跡
見学時間の目安:10分くらい

〔主観的評価(最大★★★★★)
疲労度:★(無し)
ヤブ    :★(無し)
遺構    :★(無し)


〔周辺マップ〕