受験の思い出 ブログネタ:受験の思い出 参加中
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こんばんはラブラブ



さっきね



ウフ(/ω\)



5連発もアレしてしまいました。


気持ちよかった~~~ラブラブ




屁 (`∀´)



5連発こいてきましたクラッカー



M嬢に冷ややかな目で見られつつ( ̄Д ̄;;



目の前で5連発こいてやりましたγ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞケッケッケ~








ネタですね目


お受験といえば話せば長いですよ~~DASH!


なんせ、大学2つ入学して、どっちも中退してますし( ̄Д ̄;;


ウフ音譜






一つ目の大学は、現役で、なぜか某東京のマンモス大学の建築工学科に受かってしまい入学。


高校生の頃は、成績極端に悪いし、偏差値なんか35もなかったような・・・( ̄ー ̄;


なんやかんや諸事情で、1年で退学。




ちっさいころからの夢やったお医者さんになるために親父から2年間の時間を頂き、浪人することに。


浪人1年目は、神戸の某国立大学の医学部をお受験。


予想通り見事敗退。





浪人2年目は、センター試験こそ800点満点中740点クラッカーほどをとり、


こりゃいけそうやな・・・


と安心したのものの、二次試験で大失態・・・汗


結局、某国立大学医学部は諦めざるをえんかった(。-人-。)チ~~ン。ナ~ム~~。




医者が無理なら、なにか仕事をしようと考えてたんやけど、


お世話になりっぱなしの両親の希望で、とりあえず私立大学も受験。


同志社、立命、関学、関大の席を確保。




同志社の化学系の学科がまだ面白そうやったから、とりあえず入学。


そんな動機の為、ろくに大学もいかず、数年いって中退。


最低の親不孝者。




とまあそんな具合です。





このブログをどれだけの受験生・学生が見てくれるか分からないけど、


こんなおじさんが言えることは、

大学にいける環境にあるなら、行くべき。


なぜなら、その後の人生における選択肢の幅が広がるから。





それこそ、昔は中卒で手に職のある調理人さんや職人さんになる人もいたはずやけど、

大学にいってからでもなろうと思えばなれる。

学生のうちからアルバイトでもして、その職の経験を積めばいい。

学と腕があればさらにイイ仕事ができる。




就職や国家資格、色々な場合において、学歴が必要になる場合は多い。

実力社会と言われても、多くの人はまずはどこかへ就職し経験を積む。

学があるのとないのとでは、そのスタートラインが違うケースもある。


公務員が一番イイ例。





大手の商社や、都市銀行、一部上場企業などは、やはり採用は大卒がほとんど。

そんな中で経験を積み、一生サラリーマンとして勤め上げたとしても、独立したとしても、

出会いう人々、環境、全てが違う。





また、受験は、一つの糧となる。


私が浪人生の、特に2年目は、一日15時間は勉強した。


睡眠時間、食事、フロなど、生活に必要最低限以外の時間は、全て勉強に費やした。


遊び盛りの21歳位の頃に、勉強だけしてた。





結局、高校時代あれだけアホやったのに、同志社の受験なんか屁~みたいやった。


成せば成るし、努力は必ず実る。


そう確信した。


ただ、もっと高い目標をクリアする為には、まだまだ努力と工夫と要領と情報が足りなかった。






たかがお受験、されどお受験。


私の受験の経験は、その後の人生に大きな自信を与えてくれている事に、間違いは無い。




ではパー