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どれぐらいの人が他人を恐れているのだろうか?
自分だけ、と思いがちだが
意外と多くの人が‘人間’を恐がっているのだろう。
―ビリヤードのように人を突いてみる―
自分の中にそんな手段は浮かびもしなかった。
突いて みて、ポケットに入るかどうかを確かめる。
素晴らしい手法である。
いつかそんな人に
なりたい・・
ならなければ・・
いや、
なれればいいな・・。
嘘は色々な顔があり、様々な役割を果たす。
嫌な嘘はつきたくない。
その中でも1番嫌なのは、自分への嘘・・・
勇気があればこの嘘はなくなるのであろうか?
そんな弱々しさを否定してしまいがちだが
自分への嘘により傷を付けてしまうことを
もっと自覚しなければ・・・。
自分自身をどの位置に置くか
それぐらい自分自身で決めたいものである。
しかし、そういう訳にも行かず
大方が勝手にその位置へと導かれている。
そこが居心地の悪いもので、あっちの方が心地の良いものである
―そう知っていたとしても
そこを離れようとしない。
逆に心地の良い所に行けば
そんな雑草魂は完全に忘却し、常に見下している。
見下していると言えば聞こえは悪いが
断然その方が正解、なのであろう。
どちらにせよ・・
たいていの人は、他人に
「今現在の自身の位置」を明かそうとはしない。
・・・本当は見抜いて欲しいはずなのに。
青の絵の具に白を混ぜる
青の絵の具に赤を混ぜる
物事を単純化できることに何故か安心する。
当たり前に行われているからこそ
そこに安心感が存在する。
確実にわかっている結果がそこにある、
それだけで実は幸せだったりするのかもしれない。
煩悩のない人間になりたい―そう願う日々である。
自分に対してどれだけ卑しさを感じるか・・。
もちろん「煩悩のないヤツなんて人間じゃない」
そういう意見もわからなくはない。
がしかし、突き詰めてみると
生きていく上で・・・やはり煩悩は邪魔な 存在である。
そう、本当の意味での煩悩とはそういうものであるはずだ。
だから多くの人間は年を重ねても、過ちを繰り返す。
煩悩とは自分自身を傷付けるものなのであろう。
人としての痛みを受けるため。
ココロが体から離れてどこかに行ってしまった。
いつ帰ってくるのだろうか?
いつもみたいに笑えない
楽しめない
泣くこともできない
良い夢を見たら
いつもならその余韻に浸っていられるのに
それもなく
すぐ現実的になってしまい
その夢を消去する。
ココロが離れている必要性が
あるのか、ないのか、それさえもわからない。
ついこの間までこの体の中に存在してたものが
なくなっている。
頭と体とココロがだんだんと離れていく。
何かのきっかけで、またすぐひとつになるであろう・・
しかし、忘却した感情はなかなか取り戻せない。
おそらくこういう時に「人間は、たった一人では・・・・・」
と、言いたくなるのだろう。
人間のチカラはすごい。
明日を生きるチカラ、昨日までを生きてきたチカラ
それはすごいとしか言いようがない。
自分のチカラをもっと信じてあげること、
さらに敬うことは、今以上に必要なのかもしれない。
言葉―それが凶器のように恐い存在に思える時がある。
しかし、本当は全く恐れるものではない。
責任や虚実、色々なものが一瞬にして頭をよぎり
自分の中で凶器と化してしまう。
ココロの掃除が必要だ。