この世の中には「怒る」ことが愛情表現の人がいます。

いっしょにいたいと言って怒る人、
愛してほしいと言って怒る人、
あなたのためだと言って怒る人……。

しかし、それは一部の人です。

許すことが愛だと思っている人は怒りません。
尽くすことが愛だと思っている人も怒りません。
邪魔しないことが愛だと思っている人も怒らないのです。

怒らない人たちは、怒る人の愛がわかりません。
わからないどころか、愛がないから怒っているとさえ思っています。

愛のために怒る人は、怒られると愛を感じる人々です。
彼らに「怒ったら嫌われるよ」と言ってもやめられないのは、そのためです。
愛のために怒る者同士の夫婦は毎日ケンカしています。
「ケンカするほど仲がいい」とは、彼らのことを言っているのです。

愛のために怒る人が、怒らない人を愛したとき、嫌われたくないなら怒らないでほしいのです。
なぜなら、相手の心が傷つくからです。

怒らない人が、愛のために怒る人を愛したとき、嫌われたくないなら怒ってあげてほしいのです。
なぜなら、相手が寂しがるからです。
愛のために怒る人々の寂しさは、誰にもわからないほど深い悲しみを含んでいます。

愛の難しさとは、愛の形がこれほどちがうからです。
愛にひとつの方法はありません。

もし唯一の本当の愛はなにかといえば、
「相手が愛を感じる愛し方をしてあげることこそ、愛」
それ以外にはないのです。

心のきれいな方へ

この世の中では、誰も心をきれいにする方法を教えてくれません。

すねてしまった人、
悲観してしまった人、
攻撃されているとかんちがいしてしまう人……。

心がきれいな方は、
こういった方々に誤解されてしまいます。

幸せでいいよね。
自分が正しいんだね。
私のことダメだと思っているでしょ?

心がきれいな人は、そんなつもりもなく接しているのに、
苦労していることを理解されず、
責めていないのに責めていると言われ、
正当化していないのに、正当化していると言われてしまいます。

傷ついても、腹を立てていない限り、あなたはきれいな心の人です。

どうかあなたは悲しまないでください。

だってあなたは悪くないのですから。
あなたは悪くない、それだけは絶対なのだから。

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対面鑑定あるいはワークをご希望の方がいらっしゃれば、できる限り対応したいと考えています。

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なにか人から親切にしてもらったとき、
思わず「すみません」と言ってしまう人がいる。

他人にドアを押さえてもらって「すみません」
落としたものを他人が拾ってくれて「すみません」
店員に案内してくれて「すみません」

赤の他人に言ってしまう分にはまだいいのですが。

友人に協力してもらい「ごめんね」
親が車で送ってくれて「ごめんごめん」
親戚の子どもにスマホの設定を直してもらい「悪いね~」

そしてあなたの最愛の人にまで。

送迎してくれて「すみません」
食事をおごってくれて「すみません」
贈り物をされて「こんなことしてくれて申し訳ないです……」

あなたは悪くない。

誰もあなたに謝ってほしくない。

言ってほしい言葉はただひとつ、

「ありがとう」

「ホンマでっか!?TV」の今日の放送で、「タイプ分け診断」として、性格分析が解説されていました。

わかりやすく説明するために、レギュラー出演者が分類されていましたが、その分析を見ていて違和感を感じました。

その違和感を確認するべく、番組で紹介されていた分析方法をインターネットで検索してみました。

紹介されていた性格分析方法は、正しくは「矢田部ギルフォード性格検査(YG性格検査)」というようで、5タイプに分類されます。
 1.アベレージタイプ
 2.ブラックリストタイプ
 3.カームタイプ
 4.ディレクタータイプ
 5.エキセントリックタイプ

テレビ番組とはいえ、心理学者が出演者を分析して発表するのですから、いい加減な分析はしていないと考え、YG性格検査とはなんたるかを理解するために、私の性格分析とどうちがうかを、私の性格分析と比較しながら視聴しました。

結論から言いますと、性格分析とは名ばかりで、性格ではなく行動傾向分析という印象でした。

いわゆる「行動傾向の平均値を探し分類した」的なもので、なぜその行動傾向になるかという性格の本質に掘り下げたものがないために、共通の人間同士の共感度が低いように見受けられました。

どういうことかと申しますと、番組でエキセントリックタイプと分析されていた学者ふたりは、私から見てユング心理学でいう「内向的直観型(思考型寄り)」でしたが、そこになぜか明石家さんままで含めていました。
明石家さんまは明確な「外向的感覚型(思考型寄り)」です。
「内向的直観型(思考型寄り)」と「外向的感覚型(思考型寄り)」は同じ思考型寄りとはいえほぼ正反対の性格で、まったく性質を異にする、別次元と言えるほどのちがいがあります。
その正反対の性格をなぜ同じ分析にしたか、そこには単純な理由があります。
ブルクリで発見した「性格は演技すると反対の性格になる」というものです。
「外向的感覚型」は外向的なので演技力に安定感があり、正反対の性格を貫くことができますが、「内向的直観型」は内向的なので演技力に安定感がなく、正反対の性格を貫くことができません。

そのほかにも、ディレクタータイプの分類が大雑把すぎ、番組の出演者に限っても大人数になってしまっていました。

そこで私なりにYG性格検査とユング心理学の心理学的類型を対比してみようと思います。

アベレージタイプ感覚型
ブラックリストタイプ感情型
カームタイプ内向的直観型
外向的思考型
ディレクタータイプ外向的直観型
外向的感情型
エキセントリックタイプ内向的直観型
内向的思考型

カームタイプ、ディレクタータイプ、エキセントリックタイプそれぞれに2種類ずつ混在してしまい、あやふやで特定できない事態になっています。
同じカームタイプでも、直観型と思考型では話が合いませんし、同じディレクタータイプでも直観型と感情型では話がかみ合いません。

なぜこのようなあやふやさがあるのか考えました。
YG性格検査では「外向的か内向的か」と「安定しているか不安定か」というふたつの座標軸のみで分類します。

同じ心理学でも学派によって「外向的」「内向的」の意味はちがうのでしょう。番組を見ている限り、分析した心理学者ふたりは「外向的」=「自分の哲学を持たない人」、「内向的」=「自分の哲学を持っている人」としているフシがあり、明石家さんまは「自分の哲学を持っている」と判断されて、誤診したように思われました。
ユング心理学において「外向的」「内向的」は説明が難しいところがありますが、「外向的」とは「内情よりその場の流れを重視し、相手に合わせた対応をしても、自分が折れたとは取らない」といった柔軟な人を言い、「内向的」とは「その場の流れよりも、各自のこだわりを重視し、人に関知しないかわりに自分も自由に振る舞う」といった気ままな人を言います。気ままなため、自分が正しいと思うことは相手に取っても正しいと思い込む嫌いがあり、相手のこだわりを悪意なく全否定することをいとわないところがあります。
まして「自分なりのこだわりをもたない性格」なんて存在しません。

「安定しているか」「不安定か」に限っては、心理学的に意味不明です。たとえ情緒不安定に見える人がいても、本人にとっては理由なり哲学なりあるものであり、理由なく不安定ということはあり得ませんし、理由があっても不安定になってしまう人という意味でも、自我の問題であるとすれば通らないことだと思います。

これらを踏まえて、混乱が起きている原因を私は次のように分析します。

「人の性格を理解するということは、高度な心の理論を必要とするが、相手の立場に立って考えられない内向的な性格の人間が研究しているために、正しい判断ができない」

先ほどの「外向的」「内向的」で例えるなら、内向的な人間が外向的な人を分析するとき、外向的とは何かを理解してからでなければ、分析不能だということです。
「安定しているか」「不安定か」については顕著で、相手の立場になって考えるという努力すら捨ててしまっており、行動傾向のみ見て結論としてしまっているのは致命的です。
これを例えるなら、「明石家さんまはなぜ冗談ばかり言っているのか」を「そういう性格だから」と言っているようなものです。明石家さんまは仕事のため責任感をもって演じきっているのであり、プライベートでも変わらないのは「冗談ばかり言う性格の証拠」なのではなく、「感覚型はひとりになるまでずっとプライベートにならない」という性格だからです。

心理学者は、自分とはちがう性格をどうちがうか理解しないと、判断を誤ります。

あまりにもYG性格検査のお粗末さに疑問をもっていましたら、やはり他の心理学者で否定的な主張をしている方がいるようですね。

心理学は心理学なのですから「心の理論」を使いこなせる方が心理学者になってほしいものです。

ただいま「カンブリア宮殿10周年記念波瀾万丈スペシャル」を見ています。

ニトリを始め、名立たる有名企業の名物経営者が次々と登場し、波瀾万丈の半生が紹介されています。

どん底を体験し、あきらめずに破天荒な挑戦をして、見事に当ててきた経営者たち。

その誰もが「自分に才能があったんじゃない」と言い、さらに「運がよかっただけ」と口を揃えて言うのです。

なぜ運がよかっただけと言えるのか……。

もし本当に運がよかっただけならば、何もしなくても、勝手にいい話が来て、全自動的に成功した場合を言うと思います。

しかし、実際の彼らは「何もしなかったわけじゃない」のです。

必ず「何かをした」のです。

つまり、彼らは「何かをすれば必ずうまくいくものではないから、何かをしてうまくいったのは、運がよかったからだ」ということなのです。

「何もしなくても、運だけで成功した」わけではないのです。

「何かをした」のに、「運がよかったからだ」と強く主張するのは、「必ずうまくいくという確証が何ひとつなかった」からです。

必ずうまくいく方法を誰だって知りたいし、成功する確証のない方法に取り組むのはたいへんなストレスがあります。

失敗したらどうしようとか、お世話になった人々に顔向けできず死ぬしかないとまで思うほど、確証のないものに挑戦した結果、彼らは成功を運よく手に入れることができ、その経験が全国に100店舗、1,000店舗と事業展開していく「さらなる挑戦」を当たり前にしていくのでしょう。

このことから、後継者を抜きにして、創業者が成功するケースに限り、ひとつのことが言えると考えられます。いわゆる今風で言う「ベンチャー企業」の特徴です。

「やると決めて、やり始めてから、問題点に取り組みながら、走り続ける」

ということなのです。

まさに確証はないし、むしろ「なんの裏付けもなくやろうなんて、無責任だ」と、何もしない人から説教されかねない無鉄砲な格言です。

このことから、インタビュアーである村上龍は、番組の結びで「同じようなどん底を味わい、同じように破天荒なチャレンジをして、成功する者はわずかだ。同じようなチャレンジをして成功する人と成功しない人のちがいはなんだろう」と自分なりの解釈を添えていましたが、「おそらく、彼らは常に、自分より、他人(ひと)の幸福に関与したいと思い、実行してきた」から成功したといった、とても歯切れの悪い内容でした。

多くの経営者にインタビューした作家も、成功した経営者本人も、なぜ成功したかはわからない……。

どんなに成功している本人から、思いや哲学を語られても、それが本当に成功の鍵かは、実は実際のところ、誰もわかっていないという衝撃の事実がここにあるように思います。

実際、数十年前は「薄利多売のスーパーマーケットが未来の商売のあり方だ」と誰もが当たり前に思っているなかで、「定価で小規模のコンビニエンスストアが今日のような成功を収める」とは誰も予測できませんでした。

「やってみたら成功した」
「やってみたら意外とニーズがあった」

結局これに尽きるわけですが、では誰がやるか……。

それはふたたび繰り返しになりますが、「確証はないが、ニーズを信じ、実行した」者が、まさに彼らなのです。

「成功する確証」はこの場合、まったく意味がないのです。

「信じたニーズが、時代に合っていた」ということが、村上龍が見抜けなかった本質でしょう。

それを成功者たちは「運がよかった」と言っているのです。

前例がないために「時代と自分の狙いが一致していた」という確証がないまま、どん底から抜け出すためにがむしゃらに取り組んだら成功した……。

これは私がワークで、まさに教えている内容と一致する原理です。

裏付けや確証に無関係に「やると決める」ことと、「ニーズがあると信じる」きっかけになる「自分に降りかかった流れに乗る」ことこそ、運をつかむコツと言えます。

実際、経営者たちが失敗した事業は「流れに無関係なもの」ばかりです。

「流れに乗る」と「アイディアがひらめき、狙いが次々と当たる」ことは、多くの成功者が体験していることでしょう。

「流れに乗る」ことこそ、「時代と自分を一致させる」ための「人間の本能」。

それを知らずにどん底のなかで生存本能に任せて実行し、奇跡を具現化したのが、創業者の彼らなのです。

私は実践的心理学として、このような考え方をこれからも提示していくことを私の使命と信じています。(←この考え方ですね)

衝撃的な事実になるかと思いますが、性格分類において、認知症的習慣が見受けられることがあります。

ただいま「林修の今でしょ! 講座」の再放送を見ていて、認知症の特集で医師が語っていたことから、やはりそうかと確信しました。

性格分類では、性格タイプごとに記憶の仕方がちがいます。

そのため、完璧な記憶をできる人はいないことはわかっています。
事情は記憶できても、人の気持や自分の気持は記憶できないタイプや、未来のことは記憶できても、過去のことは記憶できないタイプなど、4タイプの傾向は非常におもしろいものがあります。

そのなかで、認知症に似た傾向を感じるタイプがありました。

再放送番組の医師の話では、次のように解説されていました。
「認知症の方は、忘れていることが多いので、取り繕うことが日常化しています。
覚えているか聞かれると、試されている気持になってしまいます」
「感情は記憶に残りやすいけれど、なぜそうなったかは覚えていません」

まさにあるタイプの日常的傾向と似ています。
細かいことは覚えていないけれど、感情的になってしまうのです。
なぜなら感情だけ記憶しているからです。

このことから、以前テレビで紹介されていた、認知症の母親とトラブルなく生活を実現しているドキュメンタリー番組を思い出します。

その番組では、まじめで働きづめだった母親が認知症になり、暴力的になって孫にも暴力を振るうようになってしまった認知症の女性が紹介され、その暴力をやめさせることができたご家族のドキュメンタリーでした。

認知症の親を介護することは、まじめなご家族であればあるほど苦痛を伴います。
欽ちゃんファミリーの女性のニュースは有名ですね。

まじめな人にとって、認知症の方の悪気ない言葉は、言葉の暴力になってしまい、精神的苦痛は計り知れないものがあります。

その苦痛を簡単に乗り越える方法がドキュメンタリーで語られていたのですから、私は目を疑うほど驚いたのです。

そのドキュメンタリーでは、非常に簡単な方法で取り組んでいました。

ただひとつの方法、それは「笑い飛ばす」ということでした。
事情を記憶できる人にとっては「なぜそこで笑う?」として嫌味になってしまいますが、事情を記憶できない認知症の方にとっては「笑う喜び」だけが記憶に残るようです。

つまり、認知症により家族のことを忘れ、誰かわからない人に囲まれ、嫌な気分で拘束されているかのような苦しみから解放され、いい人に囲まれ、楽しい毎日を過ごしている気分になり、感動するべきところとして、家族として新しく記憶する可能性があるということです。

この努力によって、認知症の母親はよく笑うようになり、孫ともじゃれ合うようになり、徘徊も減り、安心して介護できるようになったというのです。

このことから、認知症的傾向があるタイプの性格に対し、どう接したらいいかの大きなヒントが見えてきます。

あなたの周りにもいませんか。感情的で細かいことを覚えていない上司や同僚、親戚やご近所など……。
彼らと接するよい方法は、まさに「笑顔で接する」「冗談を言う」ということと言えます。
もちろん認知症ではありませんので、ただ笑い飛ばすだけでは失礼です。

笑い合える環境こそ、平和を生む最後の砦といえるでしょう。
お知らせです。

有料ブログ「巻山紗依公式サイト」の解説を掲載してきましたが、アメーバの巻山紗依公式ブログ「笑える~こわい話」に順次、転記していくことが決まりました。

今までは、

有料ブログ「巻山紗依公式サイト」の解説を、
「笑える~こわい話」解説として、
アメーバ・ブログ「ブルーム・クリエーション」に掲載

していました。
これからは、

有料ブログ「巻山紗依公式サイト」の解説を、
有料ブログ解説」として、
アメーバ・ブログの巻山紗依公式ブログ「笑える~こわい話」に掲載

していきます。

アメーバ・ブログ「ブルーム・クリエーション」では引き続き、心理学について掲載していきます。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
さまざまな業界のクレームについて、統一性のない議論がなされています。

サービス提供業者が顧客からクレームを受けますと、クレームを出した顧客は依頼主であり、支払った料金に見合ったサービスを受けられなかったとした場合、顧客は「今後、依頼しない」という自由選択の権利を有しておりますので、クレームはただちに解決したいというところが、サービス提供業者の本音です。

その意味では、サービス提供業者とクレームを出した顧客の関係性の問題であり、社会問題とはなりえません。

ここで取り上げたいのは、
「サービス提供業者とクレームを出した顧客の間に、
今後の関係性の変化がないのに、クレームを出す顧客」

のことです。

どのような顧客かと申しますと、以下のものが考えられます。

A.クレームを出した顧客は、クレームを出したことにより解決が見られなかったとしても、変わらず顧客であり続けようとするケース
 例1 近所には他の店がないため、クレームをつけた店を
    今後も利用せざるをえない
 例2 近所には他の店があるが、クレームをつけることで、
    今後もその店を利用する際の不便を解決したい

B.そもそも関係性は薄いのに「不快に感じたのでやめさせたい」または「社会通念上許されない行為を正したい」とし、自分は顧客代表であるかのように強く主張するケース
 例1 ファンタジスタさくらださんの乳房を露わにして
    我が子に授乳した放映は非常識だと視聴者からクレーム
 例2 大島美幸さんの出産のドキュメンタリーは、
    出産を芸にしているとして視聴者からクレーム

A.もB.も、法律上でいわれる「クレームを出す側の選択権」を利用して、要望を受け入れられようとする正当な取引に値しません。

従って、法律では争えない、別の解釈・分析が必要になります。

A.のケースでは、顧客はサービス提供業者を今後も利用したいのですから、完全に弱い立場になります。
すなわち、
「顧客がサービス提供業者にお願いする」
という立場関係になります。
この場合は、法律で争うケースとはまったく意味が異なりますので、「顧客の自由選択の権利」を振りかざすことはできないばかりか、今後のサービスを断られる権利がサービス提供業者側にもあることを忘れてはなりません。

B.のケースでは、自分が「不快に感じた」場合は個人の問題ですし、「社会通念上許されない」と判断した場合は、その判断が社会ではなく自分自身であることを忘れてはならず、社会通念が自分と同じ考え方とは限りません。
いずれにしても個人の問題となってしまい、ただの言いがかり、嫌がらせとなってしまいます。
B.のケースに限り、クレームを出した者が暴挙に出て、インターネットに誹謗中傷を掲載するという事件に発展することがあります。

この理由は、心理学的に見てハッキリしたことが言えます。
「関係性が薄いため、相手にクレームを強く伝えたところで、自分は何も困らない」ので、「日頃のストレスの発散先がないため、自分が困らない相手が何かミスをしたとき、歯止めが利かない怒り方をしてしまう」

これらの興味深い特徴として、次のことが上げられます。
「観念複合体(コンプレックス)を原因にして怒りの感情が込み上げるため、自分が望まずに我慢していることと関係があることに限定される」

つまり、あなたが思わず不快に思ったことは、その事情や内容にかかわらず、あなたが日頃我慢していることで、納得していないことに関係しているといえます。

例えるなら、もし私が「酒税増税に怒りを感じた」なら、「妻の節約でお酒の購入を制限されているストレスをもっている」ということになり、周囲の人にバレバレなのです。

本当の意味で公序良俗に反するものへのクレームはよろしいのですが、個人の問題だと気づかないでクレームをつけてしまった場合、「真剣なクレームをつけたつもりが、ただ自分の恥をさらしただけ」ということになるのです。

自分が思わずこぼす愚痴にはお気をつけください。
あなたの日々の恥ずかしいところが全部バレバレです。

8月7日(金)から今日までの4日間、全国からの受講者を迎え、過密スケジュールでした。

当協会で新設予定の「ブルーム・クリエーション心理学講師養成講座」の無料モニターでは、目から鱗の気づきに、感嘆の声が上がりました。

8月8日(土)夜には、夏祭と題して懇親会を催しました。

アメージュ夏祭2015刺身

たいへん盛り上がりました。

ご参加くださったみなさま、ありがとうございました。
そして、お疲れ様でした。

これからもブルクリをどうぞよろしくお願いいたします。