映画評:Vol.1「バベル」- その1 | Blonde Fake!

映画評:Vol.1「バベル」- その1

このブログを始めた一番の理由でもある映画評の第一弾。

シネフィルでも学術的に映画を学んだ訳でもないので

評論にならない感想のような文になるかと思いますがあしからず。


一回目はアレハンドロ・イニャリトゥ監督『バベル』を取り上げます。

注:日本ではまだ未公開でネタバレもあるため以下に読み進める人は
その事を念頭に置いてください。



最近見た映画ではかなり良い方で映画館に3回見に行きました。

簡単なあらすじは地球上の4つの異なる場所(東京、モロッコ、メキシコ、カリフォルニア)
で起こる物語が微妙に関連しながら交差していき、それぞれに影響を与えるというもの。

まずこの映画で自分が感じ取った事は人間の「性(さが)」というか「」みたいなもの。

そしてそれには愚かな部分と良性な部分両方合わせ持つ。

映画は全編を通じて観客にそれを提示してくる。


登場人物達は映画の中でそれぞれに苦しんでいる。

しかしそれらの苦しみは人間という生き物が本質的に持つ

生命活動や人間性に由来し、決して「悪」なものではない。


菊池凛子演じる女子高生とモロッコのジプシー少年が異性に

興味を示したり相手を求めるのは本来自然な行ないである。

しかし女子高生は聾唖という障害のため拒否され、

ジプシーの少年は宗教に基づいた道徳観のためそれを否定されてしまう。

一方で息子の結婚式のために故郷に帰って来たメキシコ人家政婦は

年齢や貞操感で一旦ためらうが、異性を受け入れる。
(「求めて受け入れられない」のと「求められて受け入れる」の違いはある。)

この時間を生きてきた人間のキスの美しさよ。暖かさよ。

人間が異性を求める行為というもはやはり正しいんだと示している。

これこそが人間賛美とも言えるのでは。

同様にブラット・ピットとケイト・ブランシェットの夫婦が交わすキスは

人間の強さを表している。生命の危機に扮している妻が尿を漏らし

再びもよおした時にそれを2人して笑い、くちづけができるのは

人間が備え持つ強さであろう。

- その2につづく -