昔読んだ渡辺淳一の小説「阿寒に果つ」の中に
こういう一文がある。
「おおぜいの人に看取られようとも、ただ一人原野に果てようとも、
死は その人だけのものである」
これは真実だ。
僕は、ただ一人で死と向き合いながら死んでゆきたい。
おおぜいの人に看取られながら死にたくなんかない。
もしもそういうシュチュエーション(おおぜいの人に看取られる)になってしまった時、
僕はきっと頑張って死なないでいるだろう(笑)。
「この分なら、大丈夫そうだね!」と人々が言って立ち去ってから、
僕はゆっくりと自分の死と対峙して、
一人会議をしながら、
今世に僕と出逢ってくれた人たちひとり一人を思い浮かべて、
それぞれの人に
「ありがとう」「あの時は、ごめんね!」と言い、
最大の感謝をしながら死んでゆきたい。
そして、僕の肉体に降りてくれた魂にも「ありがとうございます」と言ってから
死んでゆきたい。
僕が死ねば、世界も同時に終わる。
僕の目の前に拡がっている世界は、全て僕が創ったもの。
この地球、日本という国、僕の人生ナラティブに登場してくれた沢山の人たち
(僕のソウルメイトたちが、いろんな役を演じてくれて僕に人生を教えてくれた)
それから僕が目にしている植物や鉱物、動物、食べ物、車、道路、家、様々な商品、
歩いている他人、みんな皆、僕が創造したんだ。
元々地球があって、日本という国があって、そこに無の世界から来たのではない。
僕の想念が、宇宙も太陽も地球も火星も、日本の歴史も世界史も、地震や台風などの天変地異も、
全部ぜんぶ創造したんだ。
だから僕の死後、残された家族はどうなるのだろう?なんて、
ちっとも心配なんかしていない。
だって僕が死ねば、同時に家族も消滅してしまうのだから。
娘は娘の想念の中で生きている訳だし、
君は君の想念の中で生きている。
地球上に70億人の人たちが存在していれば、
70億個の想念があり、70億個の地球がある
70億個の宇宙があるんだよ。