村上春樹さんの短編「我らの時代のフォークロア」は、非常に面白い小説だった。
氏が小説の中で述べられている通り、1960年代というのは、ものすごくシンプルな時代だった。
テレビはただテレビだったし、駅はただ駅だった。
そこに複合的なものは一切ついていなかった。
今みたいにdボタンとかもなかったし(リモコン自体がなかった)、駅ナカなんてものもなかった。
すべての物は、ただひとつの目的のために作られていた。
テレビは地上波の映像が流せればよかったし、駅は電車が止まって乗客の乗り降りができれば、それでよかったのだ(それ以外は、むしろ必要がなかった)。
今はすべての物に複合的な機能がつき、更にややこしいオプションもいろいろ付いている。
昔のように、果実店でバナナを買うようにシンプルに買うことはできない。
モノを買う度に、何かしらの手続きが必要とされるようになった。
コピー機にはFAX機能が付いているし、携帯だって当初は電話だけだったのに、メールやカメラや様々な機能が付き、契約の仕方にもいろいろなオプションがあり、より複雑化している。
車だって、以前はただ走れればそれでよかったのだが、今はまるで動くコンピューターのようだ。
アパートへ入居する際にも、いろいろなオプションが付いている。
銀行で口座を作るのにも、今は本人確認書類が求められる。
60年代は、ただ印鑑一本を持ってゆけば、誰であれ簡単に口座を作ることができたものだ。
今や銀行以外のあらゆる所で、本人確認書類が求められるようになった。
昔からの知り合いの幼なじみが窓口にいても、「やあ!」「こんにちは!」「元気そうだね」「君もね」と挨拶を交わしながらも、本人確認書類の提示を求められたりするのだ。
コンビニも当初は朝7時から夜11時までで、ただ食品を売っていただけだったが、今は毎年のように次々と様々な機能を盛り込み、まさに複合店舗となった。
ドラッグストアも、生鮮品のないスーパーのようになった。
複合化(あるいは、オプション付き)というのが、世の中の流れなのだ。
二刀流あり、副業あり、バイセクシャルあり、なのだ。
今の時代の方がいいのか?
昔の方がよかったのか?
考えても結論は出ない。
ps
おかげさまで、僕のブログも今回の記事でちょうど300回めを迎えた。
2015年2月6日からだったと思うので、約4年近い歳月が流れたことになる。
僕の過去ブログたちは、今も深海の中で泳いでいるのだろう。
そして、誰かの手によって釣り上げられるその時を、待っている。
もしかしたら、そんな日は永遠に来ないかもしれないのにね。
いつも同じ人たちが、僕の拙いブログを読んでくださっています。
本当にありがとうございます。
これを励みに、来年2019年もブログは書き続けてまいります。
どうぞよろしくお願い申しあげます。
あなたに、よいことが雪崩のごとく起こりますように。