安部公房が病床に臥していた時に書いた最後の小説「カンガルーノート」は、とても笑えるが、同時にとてももの哀しい。
むかし 人さらいは
子供たちを探したが
いまは 子供たちが
人さらいを探している
オタスケ オタスケ オタスケヨ オネガイダカラ タスケテヨ
のフレーズがなかなか耳から離れない。
「あたしって、死んでるのかな?」
と陽子は、この見知らぬ街へ迷い込んだ時に、ふと感じた(前回の雑文の続きです)。
<不識>
「対立するものにとらわれてはいけないよ」と、ひなびた町の雑貨屋さんのおじさんから教えてもらったことがある。
現実世界とそれに対立する非現実世界。
これって対立しているんじゃなくて、共存しているのだろう。
案外あっけなく死後の世界に行けるものなのだ。
生と死の境目がはっきりしていない。
だから同じ道を歩いていても、たった10cm左に寄っただけで、非現実世界に迷い込んでしまうのだ。
死んでみると、案外こっちもいいものだな、と思える。
このままずっと死んでいたいな。
あたしたちは、カオス(死)の中で、永遠に生きることってできるのかもしれない。
自分がそう望みさえすればね。
それにしても、この街はとても棲みやすそうだ。
あたしは子供の頃から、タレ目だった。
そのタレ目で、人さらいのおじさん(おばさんかもしれないが)を探していたのかな?
ps
むかしは、お客がお店を探していたが
いまは、お店がお客を探している。
むかしは、仕事が人を求めていたが
いまは、人が仕事を求めている。
むかしは、雑踏があって、そこに人が集まったが
いまは、人が集まって、そこが雑踏になる。
貧乏と富裕は、対立しているものではなく
共存しているものだ。
貧乏の中に富裕があり
富裕の中に貧乏がある。