お父さんと小4ぐらいの女の子が二人で買物に来た。
女の子は前日に来た時に見ていた3つの物を買って欲しいと思っていた。
(シャープペンとゲルペンと消せるボールペンだ)
お父さんは、どれか一つにしなさいと言った。
女の子は、どれも必要な物で、学校で使うものだからと主張した。
お父さんは、ママが買っていいと言ったものしか買っちゃあ駄目だ!と言った。
女の子は3つ買うことにどうしても同意しないお父さんに、「じゃあ2つなら、いい?」と言った。
お父さんは「それなら、2つまでならいいよ」と折れて、結局シャープペンとゲルペンを買っていった。
2点で合計300円ちょっとだった。
3つ買っても400円ぐらいなものなのに、お父さんはママのおかんむりに脅えていたのだろうか?
昨今、このような家庭が増えている。
一家の中での、絶大な最高権力者(専制君主)が母親なのだ。
しかし、こういう家庭で育った子供は不幸だ。
やがてその子が大きくなって母親になれば、当然のように、そのように(母親のコピー)になるだろうことは目に見える。
最近の男性は、自分の妻のことを、第三者の前で「奥さん」と言う。
僕はこの言い方には、どうしても馴染めない。
「奥さん」というのは、本来は他人が相手の妻なる人に対して呼ぶ敬称なのだ、からだ。
明治から大正の頃は、自分の妻のことを、男は妻君又は細君(さいくん)と呼んだり、妻(さい)と呼んだりしていた。
昭和の頃は、家内と言ったり、女房と言ったり、妻(つま)と言ったりしていた。
「奥さん」なんて、誰も言ってはいなかった。
あるIT企業の社長だった人が結婚した時に、妻になった人が彼に対し「お金の管理はすべて私に任せてくれる?」と言ったので、彼は即座に離婚した。
「冗談じゃない!オレの個人資産は数十億円もある。女の君なんかが簡単に管理できるものではないよ」と、そう言ったそうだ。
女が専制君主の家庭は、大体においてスノッブな一家になっている。
(僕が見る限りでは。中にはもちろんそうではないご家庭もあるだろうけれど)
専制君主や家庭内の財務大臣にならずとも、母親というのはいつの時代も、子供たちにとっては、最も大きな精神的なよりどころになっているものだ。
子供たちは、母の愛をいつも求めている。