昔、日本では、ひとつの地域がいくつかの字(あざ)に分かれていて、それぞれが独自のコミュニティーを構成していた。
ぼくが少年時代のことだった。
5Kmほど離れた隣りの町に、親戚があった(母の実家だった)。
そこへ、母から何か用事を言い付けられる度に、ぼくは身震いをしたものだった(母には、心の動揺を隠していたが)。
当時、ぼくが住んでいた地区と隣り町の間には、別の地区があったからだ。
ぼくの地区の方が町の中心部にあり、しかも大きかった(人の数や、あらゆる面で)。
別の地区の少年たちが、ぼくの地区に買い物などの為に出て来ると(別の地区には、まともな商店がなかった)、ぼくの地区の悪童らから、恐喝まがいのことをされていたのだろう(帽子を盗られたり、金銭あるいは金目のモノを奪われたのだろうと、容易に想像がつく)。
この時代、隣り同士の部落(コミュニティー)は、日本国中どこでもこんな具合であった(互いに反発しあっていた)。
ぼくは慎重に目立たぬように自転車を走らせて、その別の地区をいつも通り抜けるのだが、一度その地区を通る時に、相手側の少年たちに見つかってしまったことがあった。
彼らは、自転車で走るぼくに胴間声を上げながら、大きな石を次々に投げつけてきた。
幸いどこにも当たらずに、その場を逃げおおせることが出来たが、それはとても怖い思いをしたものだった(耳のすぐ脇を、大きな石が飛んできたのだから)。
かつての日本には、そのような小さなコミュニティーが無数に存在をし、それぞれが独自の決まり(掟のようなもの)を作っていた。
その決まりごとに違反する行為をすると、いわゆる村八分という制裁を加えられた。
村八分とは、火事と葬式が出た時は協力してくれるが、それ以外の一切については、コミュニティーとの関係を断絶されることであった。
村八分にされてしまうと、何か困った時に誰にも助けてはもらえないのである。
その上、まったく人としては扱ってはもらえない。
家畜並みと云ってもいい。
地区の人たちからは、さげすみの目を向けられる。
誰も口をきいてはくれない。
そういう局面に、自分たち家族がなってしまうことを、かつての日本人たちは極端に怖れた。
それ故に、突飛なことをしないで、大人しくみんなのように生活して生きるという、いわゆる横並びの文化(パラダイム)が、日本人の間に定着してゆく。
実は、その横並びの文化(パラダイム)が、日本人のDNAの中にいまだ残っているのだ。
多くの日本人は、他人と違うことをしたがらない。
お隣りがそうしているからと云って、自分たちもそうしようとする。
他人の目を気にして、人から目をつけられないように生きている。
そうして気づけば、自分の人生を生きていないのだ。
自分の意見を封印して、他人の意見を自分の意見として、生きてしまっているのだから。