ミクコが降り立ったその小さな地方都市は人口が7万人だと聞いていたが、駅舎から真っ直ぐに伸びているカントリーサイドの商店街の半分ぐらいはシャッターが閉まっていた。
駅舎のすぐ前のロータリーには、制服姿の女子高生たちがあちこちに数人ずつ固まって、お喋りをしながら、🚌や🚃が来るのを待っているようだった。
しかし彼女たちには、現実感がなかった。
どこかメタフォリカルであった。
それにしても多少メタフォリカルではあっても、女子高生たちには清涼感が漂っていた。
これがもしもオバさんたちの集団であったら、そこには清涼感が全く感じられないのだ(一人一人がどんなに清潔にしていたとしても)。
それは穏やかな平日の小春日和の午前11時に、ミクコが見て感じたことだった。
お店というものは、その都市の人口に比例して存在するのだろう、とミクコは思う。
人口が一千万人を超える大都市東京には、それらの人たちの需要を満たすために、多数のお店が必要ではある。
だが7万人の地方都市の場合は、7万人分の需要を満たすだけのお店のみが、その存在を許されているのだ。
需要オーバーとなれば、必然的にオーバー分のお店は淘汰されることになる。
1万人の町には、1万人分のお店があればいいのだし、3000人の村には3000人分のお店があればいいのだ。
そうは思うものの、駅舎から見た商店数(シャッターの閉まった所も含めて)は、人口7万人規模としては適正であるように思われる。
おそらくは見えないお店(ネット上のお店)が、本来の適正数のお店の半分を奪ってしまったのだろう。
見えないお店も存在するし、見えないお金も、そしてもちろん見えない世界も存在しているのだ。
でも目の前の女子高生の中に、一体どのぐらいの人が、見えない世界の存在を信じているのだろう?
(見えないお店や、見えないお金は信じているはずだが)
おそらく世界の99%以上は、見えない世界で出来ているのだ。
たった1%未満の見える世界の中に、あたしたちは生きている。
見える世界からは、見えない世界が見えない。
同じように、見えない世界からも、見える世界は見えていないのだろう、とミクコは思っている。
次の🚃が来るまで、駅舎内の待合室で待ち、次の目的地に向かおうとミクコは思った。
どうやらこのカントリーサイドの地方都市は、歩いても意味がなさそうだった。
直感が、そう感じさせたのだ。
ミクコは、直感のままに生きる38歳の女性なのだ。
コスモスの女なのである。
それにしても日本の地方都市はどこに行っても、同じような町並みをしている。
まったく個性的な装いの町並みというものはないのだ。
ps
blondcocoの人生相談では、心の問題ならどんなことであれ、解決のためのお手伝いをさせていただいております。
料金は、リーズナブルな4000円(60分)です。
コメント欄からも、お気軽にご質問、お問い合わせ等お受けしています。