とりわけ現代ほど、不安定な時代はないだろう、とぼくは思う。
それなのに、多くの人は安定を求めている。
そもそも現実世界において、安定なんか存在していないのに。
たとえ、宝くじで7億円当たったとしても、芸能界でスーパースターになれたとしても、スポーツ界で大成功をおさめたとしても。
それは、一瞬の花火の如きの輝きでしかない。
(そのことで、未来が保証されている訳では決してない)
それでも1QQ8年までは、多少の安定感はあった。
普通に生きていれば、普通に幸せになれた。
人々の影は、はっきりと黒々としていた。
空気に、情感が含まれていた。
1QQQ年以降、人々の影は薄くなった。
第一今の人たちは、自分の影などをいちいち確認しなくなったし、そこに影が存在していることなど、全くどうでもよいことになった。
空気からは、情感(ある種の湿度)が抜け落ち、乾燥したものになった。
実は、そうしたことが由因となって、不安定な時代(あるいは、うつの時代)を形成していったのだろう、とぼくは思っている。
地球上にはたくさんの電波が飛び交い、そのことが人間の体調に悪影響を与え、1QQ0年代までは存在しなかった難病が増えている。
少なくとも、アナログの時代であった1Q80年代までは、これほどの電波は飛んでいなかったし、1Q50年代以前にまで遡ると、全く電波というものは世界中のどこにもほとんど存在していなかった。
それ故、難病もなかった。
人々は自分の生活範囲内の出来事しか知らなかったし、外国で何が起ころうとも、日本のどこか遠くの地方で事件や事故が起ころうとも、彼らは関心を示さなかった。
ただ自分の目の前に起こった出来事にだけ、目を向けていさえすればよかった。
幕末の長州では、自分の居住している家から半径100メートル以上先に出ることなく、一生を過ごしていた婦人が多くいたという。
情報というのは、その当時の人々にとっては、それほど重要なことではなかった。
明日の天気のことが分からなくても、困らなかった。
☁の動きや風の匂いから、異変を感じることは充分にできた。
話が横道にそれてしまったので、元に戻します。
今現在は不安定な時代なのだからと腹をくくって、その不安定さをむしろ愉しんで生きて欲しいのです。
刹那的と思われるかもしれないけれど(決して、そうではないのですが)今この一瞬を、どんな状況下であれ、愉しんで生きて下さい。昔の人のように。
我々の先輩のかつての日本人の奥さんたちは、太平洋戦争のさなか、都会の片隅での井戸端会議の中、ペチャクチャと次のように話していました。
「今日は爆撃機が飛んで来なくて、少し寂しいわね。アハハ!」
明日はどんな日になるのかなんて、誰にも分からないのです。
昨日の敵は今日の友にもなり(その逆の場合もあります)、明日はどんなアクシデントに巻き込まれてしまうのか?どんな人と出逢うのか?
それらのこと全てがぶっつけ本番で、一方通行に進んでゆくのが人生なのです。
そこには留保もなく、リハーサルもありません。
喜びがあり、悲しみがあり、驚きが、そこにはあります。
絶望の中ですら、愉しんで生きてゆく。
そうやってぼくは、今日も生きています。