墨汁一滴
母が他界してから、早いもので9年の年月が経つ。
生前母が起居していた部屋には、母の使いかけの墨汁と朱墨液が残されていた。
つい最近まで、母の部屋に放置されたままだったのだが、昨年10月からのセールを始める時、ふとその朱墨液の方を使ってPOPを描いてみようと思ったことがあった。
父が元気であった30年前の文具店時代の残骸(売れ残り)の太い画筆を、その時たまたま見つけたぼくは、躍るように白い画用紙に向かってPOPを描いていた。
人は死ねば、思想しか残さないが、その人が使っていた物は、形のある限り、その人よりもはるかに長くこの世に存在をし続け、その人の気配をそこに残しているものだ。
ぼくは今も、母の使っていた二つの墨汁と、父の残した画筆を使ってPOPを描いている。
母と父を、そこに感じながら。
節約
節約というのがお金を貯める方法だと、勘違いしている人が多い。
マカ君は、赤字続きでお店の仕入資金が枯渇している今、普通の人は仕入を控えるだろうから、思い切って逆に仕入を増やすという策を立てた。
もしもそれらが売れなければ、一気に廃業に追い込まれるのだ。
それでもかまわない。なんとかなるだろう。
人は損をするのが怖くて、そのために損をしている。
バランスの取れた生き方を選ぶ人は、結局どこへも行きつけはしない。
退路を断ってこそ、道は開けるのだ、と強く思う。
節約というのは、結局お金をどんどん遠ざけてしまうものだ。
後悔
夏目漱石の短編「夢十夜」の中に、自殺しようと思い、船の甲板から海に飛び込んだ刹那、「しまった!これでは死んでしまう」と、心の底から後悔する人の姿を描写しているくだりがあった。
もしかしたら、自殺してしまった人の多くは、案外こんな思いを一瞬抱いたまま、逝ってしまったのかもしれないな、と思った。
瞑想
吉川英治著「親鸞」を読んでいる。
この小説を読んでいると、不思議と瞑想状態に入ってしまう。
聖徳太子の古廟に入って、七日間何も食べず、一睡もせずに、座して法華経を詠んでいる範宴(のちの親鸞)の姿を想像するに、自分もそこに参籠して求道しているような気がしてくる。
自分の人生の迷い。過去の後悔。これからのこと。
さまざまなことが、瞑想の中から答えを導き出されようとしている。
あと、もう一歩だ。