明治30年代後半、当時の東京には電気はなかった。
まだランプを灯して暮らしていた。
もちろんガスもなければ、水道もひかれてはいなかった。
そんな時代、女たちの一日の家事は、苛酷をきわめた。
朝早く起きてご飯を炊き、おかずを作り、洗濯をし、午後には繕い物をし、歩いて買い物に行き、夕方にはお風呂を沸かし、晩ご飯をこしらえた。
電子レンジもなく、冷蔵庫もなく、洗濯機もアイロンもなかった。
家事とは関係ないが、テレビやラジオも、自動車も電話もなかった。
本を読むことすら、女たちにはできない相談だった。
第一にそんな時間はとうていなかったし、仮にあったところで、女たちのほとんどは学校に通ってさえいなかったので、文字を読めるべくもなかった。
女たちに求められたのは、炊事、洗濯、裁縫のみだった。
主婦はつらかったろうと推測されて、ため息が出そうだ。
当時、中流の上以上の家庭には、下女と呼ばれている娘たちがいた。
のちに女中と呼ばれ、やがてはお手伝いさんとかメイドとか呼ばれるようになったが、下女たちの仕事も相当に苛烈であったろうと推測される。
その家の奥さんが産気づけば、夜中にたたき起こされ、走って産婆の所まで呼びに行くこともあった。
彼女たちの多くは、貧しい地方から、口べらしの為に都会に働きに出て来たのだ。
当時の日本の人口は、3700万人ぐらい。
ざっと現在の1/3の数だ。
すべてのことが手作業で行われていた時代だったから、人手は全くといってよいほど足らなかったろう。
女たちは、男を支える為に、一日中身を粉にして働かなければならない時代であった。
学問などをする余裕は、全くなかった(良家の子女以外は)。
「道草」は、夏目漱石の自伝的小説である。
亡くなる前の年の大正4年に書かれた。
おやっ!と思った。
これまで読んだ「こころ」「坊ちゃん」「三四郎」「吾輩は猫である」と、まだ4冊しか読んではいないが、それらとは全然おもむきと文体が異なっていた。
明治の匂いと、そこに漂う生活臭が色濃く感じられた。
親族からお金の無心をされ、しだいに影のようなものに怯える主人公の様子が、1970年代の映画「ジョーズ」の不気味さにも似ているな、と読み始めて直ぐにそう思った。
現代でも、殺人事件の半数以上が、親族間によるものだ。
親族間の不和ほど辛いものはない。
他人ならば会わないですますこともできるが、親族同士の場合はそうはいかない。
樋口一葉が、女三人で月9円で暮らしていた時代に、夏目漱石は大学の先生と高校の教師をしていたから、合わせて120円ぐらいの月収があった。
今でいうと、おそらく月収100万円ぐらいだろう。
それでも所得が増えれば、支出もそれに伴って増えてゆくのが世の常なので、生活はそれほど楽ではなかったようだ。
でも、いろいろと考えさせられて、いい小説だった。
ぼくにとっては、深く考えさせてくれるのが良い小説の条件だから。