
欽ちゃんこと萩本欽一さんの著書の題名を、そのままブログタイトルとして使わせてもらいました。
この本は、ぼくのバイブルになっています。
ダメなとき(落ち込んでいるとき)に読むと、元気になれるのです(表紙を見るだけでも元気がもらえます)。
自己啓発本を書かれている方は沢山おられますが、ぼくにとっては欽ちゃんと浅見帆帆子さんが最高かな、と思っています。
欽ちゃんがコント55号で活躍されていた頃から、ぼくは欽ちゃんに何故か惹かれるものを感じていました。
欽ちゃんのコントには、哀愁(ペーソス)があるのです。
笑いの中にセンチメンタル(感傷的)な部分が含まれているのです。
下ネタは一切やりません。
人を攻撃するようなギャグはやりません。
欽ちゃん以降、残念ながらこのような芸人さんは一人も出てきていません。
(小堺一機さん、関根勤さんらが、彼の芸風を継承してはいますが、彼らには哀愁は感じられないのです)
プロレスラーでありながら、相手と戦うことを好まなかったジャイアント馬場さんや、寅さんを演じた渥美清さんとも通底した、あの人たらしさは、欽ちゃんが持つ独特の〈哀愁〉からにじみ出ているのかもしれません。
〈哀愁〉という言葉。最近ではほとんど使われなくなりましたね。
どこかもの哀しい風情を持った人が少なくなってきたことに、おそらく由因しているのでしょうか?
往年の銀幕スター鶴田浩二さんにも、ぼくはいつも〈哀愁〉を感じていました。
彼は生涯を通して、心の底から笑ったことのない人でした(ぼくが知る限り)。
マカロニウエスタンで一世を風靡したクリント,イーストウッドさんの、ニヒル(虚無的)な〈哀愁〉にも、心惹かれたことがありました。
シンガーソングライターでもあり、作家でもある、さだまさしさんにも、ぼくは〈哀愁〉を感じます。
2009年に読んだ小説「精霊流し」は圧巻でした(泣けて泣けて仕方がなかった)。
ぼくは、この作品を読んだことがきっかけで、やがて村上春樹さんの小説を読むようになっていったのです。
欽ちゃんのお弟子さんの一人、風見しんごさんにも〈哀愁〉を感じます。
彼は、人を許すことができる天才ですが、これも欽ちゃんの生き方から自然に受け継いだものだろうと思うのです。
風見しんごさんは10年ぐらい前に、長女(当時10歳)を交通事故で失いますが、その直後に加害者を許しました。
「娘は、人と争うことが好きではなかったので」は彼の弁ですが、これは彼自身がそうだったからだし、そして師匠の欽ちゃんも又そうであったからなのです。
人とは争わない。どんな人でも味方にしてしまう。
まさにこれが、運が良くなる奥義でもあります。
なんだか今回は雑文になってしまい、うまくまとまりませんが、「ダメなときほど運はたまる」は最高の哲学書にもなっています。
よろしければ、是非ご一読してみて下さい。