ひなびた町の雑貨屋さんに買い物に来られる方の中に、店内をグルグルと回り、何か探し物をしている様子の人が時々います。
そういう方は、○○はどこにありますか?などとは、おしなべて訊きません。
こちらから声かけをしない限り、彼女たちは目的の商品が見つからなければ、さっさと帰ってしまうのです。
(欧米人や南米の人は、必ず訊いて来ます。彼女らは先ず笑顔を作り、それから言葉を発します)
国際的に見ると、よく日本人はシャイな国民だと思われています。
(親しくない人には、笑顔を向けようとはしません)
同じ東洋人でも、韓国人や中国人は、もっと感情をむき出しにします。
彼女らは、家族が事故や事件で犠牲になったりした場合は、声を荒げて当局に抗議します。
そして誰にもはばかることなく、大声で泣くのです。
日本人は、たとえそういう状況下でも、そっと涙を隠すようにして、人前で乱れた振る舞いをしません。
それは震災時においても、整然と黙して列に並んだりする光景からも見て取れます。
何故、日本人だけがそうなってしまったのか?と考えるに、
その原因を作った大元の人は、平清盛であった、と井戸端は推測しています。

この国は、平清盛が、武士として初めて太政大臣となり権力の座についた平安時代の末期から、明治維新に至るまでのおよそ700年間、武士によって治められてきました。
武士は日本刀を腰に差していて、その力は強大なものがありました。
(考えてみれば、武士は長い包丁のような物を常に持ち歩いていたわけですから、当時の市井の人々にとっては、彼らの存在が相当に怖かったものと推察されます)
庶民たちは、ちょっとでも口答えしようものなら、その場で切り捨てられても文句は云えない時代が700年も続いていたのです。
それ故に、日本人の心の中には「黙して語らず」「目立たないように生きる」「自分の意見を人前で云わない」という、不思議な文化が根づいていったのです。
この傾向は、先の大戦下においても厳然と続きます。
時の政権に批判的な言葉を吐いたり、そのようなことを文章に書こうものなら、即座に捕らえられ、若者であれば危険な最前線へ二等兵として送り込まれ、40代以上の者は牢獄に繋がれたりしたのです。
(軍人〈国家権力〉も又、武士同様に怖かったのです)
それ故に国民は、尚一層あからさまに物を語らないようになりました。
そうして、短い言葉の中に、いろいろな想いを隠し込めたりもするようになっていったものと思われます。
俳句や短歌が、日本の700年の武士社会の中で息づいていったのは、そのような時代背景があったのではないでしょうか?
平安時代中期までは、日本人はもっとおおらかに(韓国人や中国人のように)生きていたのです。
(平清盛が政権を取る以前には、人々は今様(流行歌のようなもの)を町中で声だかに詠じていたのですから)
「源氏物語」が書かれて以降、長文による小説は、明治に入り、森鴎外や夏目漱石が近代小説を書き始めるまでは、ほとんど書かれていなかった最大の由因も、武士の存在にあったと、井戸端は思っているのです。
表現の自由が憲法によって認められたのは、戦後になってからのことです。
それでも日本人は、憲法で保障されているのにもかかわらず、自由に自分の意見を述べないという時代が、昭和末期まで続いていました。
人々がようやく自分の意見を口にし出したのは、ごく最近のこと(平成になってから)です。
それでもまだ口をつぐんで、自由に自分の意見を述べない人が多いことも事実。
今も尚、多くの日本人は、どちらにも取られるような、曖昧な表現をしてしまうのです。
武士の700年に及ぶ呪縛から、コンプリートに解放されるのは、まだまだだいぶ先のことになりそうですね。
もう今の日本には、武士も軍人もいないのだから、もっともっと自由に生きてもいいのにね。

昭和の子どもたちは、親から怒られた時、よくこう云われたものです。
「云うことを聞かないと、お巡りさんに連れて行かれるよ!」
この科白には、大人たちの間に綿々と、国家権力や武士の怖ろしさが、DNA として根底にあったからこそ発せられていたのですね。