●*あなたの近くにいる、無条件の愛の存在。
自分では
気付こうとしない限り
気付くことは
難しいものなのです。
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あなたのごく近くに、
愛情と優しさに飢えている人々が、
きっといます。
どうぞ
その人たちを見捨てないで下さい。
彼らに
人間としての尊厳を認め、
あなたにとって大切な人たちなのだと、
真心こめて認めてやって下さい。
あなたからの
愛と
優しさに
飢えている人とは
誰なのでしょう。
イエスご自身に
他ならないのです。
苦しんでいる人の姿のもとにまします、
イエスご自身なのです。
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イエス・キリストに
無理やり当てはめなくても大丈夫。
表現上の例えと思うことでも
十分に価値があります。
キリストは貧しい人
貧しい人とは、
会いに溢れた人のことを
言っていると思うだけでいいのです。
お友達が何かに悩んでいる時。
あなたはどうしますか?
どうしようもなくなって
夜中に電話をかけてきたり、
ただ、喚き散らすかのようにして
愚痴を言い続けたり。
その信号を受けたあなたは
彼らに対し
何をしようと思いますか?
できるのに、しない。
というのは
無関心でいることと同じです。
について、
先日書かせていただきましたが
その無関心さが
また、
あなたの
ご友人=大切な人を傷つけること
になるのです。
自分ばかりが損をしているように
感じることもあるかもしれません。
けれど、
そのお相手からは
何も返ってこなくても
あなたの心にある
優しさという愛情は
誰かに与えたとき、
必ずまた、
あなたの元へと返ってきます。
思いもしない、形となって。
損だと思わず、
あなたにできることで構わないのですから
条件付けをせず、
誰かを、
あなたの傍にいる
大切で、愛すべき彼らに
手を差し伸べて
あげてください。
雨宮でした☆彡
■*我が辞書に、不可能という文字は無し。
ちょっと難しくなってしまいました(汗)。
我が辞書に不可能という文字は無し。
有名なセリフも存在する
フランス皇帝
ナポレオン・ボナパルト
百日天下という言葉も残していますね。
*1815年に、一時的に帝位を取り戻したが、
100日で(実際には95日)で再び戦いに破れ、
失脚したことから。
*三日天下は明智光秀の天下のこと。
ずっと、マザー・テレサに触れていたので
その中でも登場していただいた
彼にも少し触れておきます。
読者様には
男性の方も多くいらっしゃいますので
興味を持っていただければ幸いです。
ナポレオンは、
その、非人道的な戦い方から、
「食人鬼」
「人命の浪費者」
「コルシカの悪魔」
と国内外から酷評を受けたとされていますが
彼の栄光が、
どのようにして作られたものなのかが
それだけで解るような気がしませんか?
彼は、人を人とも思わず、
配慮に欠け、
一種、独裁的な行動と
力による圧力において
この地位を築きました。
彼は、フランス国民にすらも、
今だにあまり、
愛されておりません。
悪名高きは・・・・・・・
で、名を残した彼は、
一体
その人生において
何を手に入れることができたのか。
セントヘレナ島で書かれたとされる
彼の遺書には、
悲痛なる、
彼の声が残されています。
長いようで短かった人生。
その全てをかけて、
最期を目の前にして
やっと手に入れることができた真実。
権威主義を貫いてきた彼は
その人生を通じて
私たちに何を教えてくれたのでしょう。
雨宮でした☆彡
●*ノーベル平和賞の「本来あるべき」意味。
私は受賞に値するような
人間ではないけれど、
世界の最も貧しい人々に代わって
この賞を受けます。
ノーベル平和賞授賞式での
マザー・テレサのスピーチより。
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私は
皆さんが考えておられるような
ノーベル平和賞の受賞者には
あたいしません。
でも、だれからも見捨てられ、
愛に飢え、
死に瀕している世界の
もっとも貧しい人々にかわって
賞を受けました。
私には、
受賞の晩餐会は不要です。
どうか、
その費用を
貧しい人たちのために
おつかいください。
私にあたえられるのは
祈りの場だけしかないのですから。
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ノーベル平和賞にふさわしいのは
自分ではなく、
キリストと同じく素晴らしい
貧しい人々なのだ。
彼女は、
キリストという象徴を背に
貧しい人々が持っている
私たちが忘れてしまった大切なそれを
上手に、
公の場で
解いているのでしょうね。
こんなエピソードもあります。
上流階級の方々が
マザー・テレサを称賛しようと
たくさんの豪華な御馳走を用意して
パーティーを開催したそうです。
ですが、マザー・テレサは
「断食の時だから。」
と、その食事に手をつけなかったそうです。
マザー・テレサが食べなければ
パーティーに参加している彼らもまた
食べることができません。
そこで、彼女は、
「だったら、この豪華なお料理を、
貧しい人たちに分けたらどうでしょう?」
と言い、その場を離れたそうです。
彼女をここまで侮辱する行為があるでしょうか?
彼女が身を呈して行ってきた全てを
意味もなく、ただ、
騒ぎたてたいだけのように
感じます。
無駄に豪華な食事や
人が浪費することを
マザー・テレサという人が
喜ぶと思ったのかと。
私は感じました。
この女性は、本当に強く
そして優しく、
しっかりとした目と、
耳を持っています。
彼女の着ている
は、
貧しい人々と同等だというしるしです。
その彼女にだけ対して
特別扱いをすることを
彼女が望むわけがない。
そう思いませんか?
チャリティー番組が放送されると
「その番組を作るだけの
お金があるなら
それを寄付すればいい。」
という声を、たまに耳にします。
ですが、
私たちは、そういった番組がなくては
世の中がどういったものに苦しみ
何をすれば助けとなるのか、
それに気付くことができません。
それをしようと思い立つことすらできません。
思い出さなければ、
促されなければ、できないのです。
番組制作費を寄付・・・・・・・
というのは、
きっと、
私たちの心がそこに
しっかりと向けられない限りは
行われないこと
なのではないでしょうか?
すくなくとも、
番組制作をされている皆様は
募金活動をする場所を
私たちに
与えてくれているのですしね。
雨宮でした☆彡