★*会話術~褒め上手と叱り下手
想いやりの表現手段として
では、子供さんや、友人。
会社の部下などに
もっと頑張ってもらうこと。
向上して、さらに楽しんでもらうためには
どうしたらいいのでしょう?
「お前は本当に仕事(勉強)ができないな。
何をやってもダメなやつだ。」
なんて、頭ごなしに言ってしまっては
ただ、やる気をそいでしまうだけ。
その上、ストレスまで与えてしまって
色んな部分に支障が出ます。
「○○さんを見てみろ。
こんなに立派にしているのに・・・・・・・。」
ということも言ってはいけません。
兄弟や、同僚などと比べられるということは
個人のありかたを否定することになります。
それに、
関係のない○○さんにまでコンプレックスを抱き、
間違うと、
怒りや、不満の矛先がずれて
いらぬ衝突を招くことになります。
これが叱り下手です。
叱り下手というのは、
ただ、叱るだけしかしないこと。
褒め上手と叱り下手と書きましたが
結局のところは
叱り上手と、叱り下手
ということなのです。
では、
叱り上手になるための
褒め上手については、次の記事に
書かせていただきますね。
雨宮でした☆彡
●*聞くための耳と、話すための口。
神様は家族。
あなたが大切に思っている誰か。
祈ることは
想いやりを持って接すること。
これに変換してみてください。
*******
救われるためにはどうしたらよいでしょう
と尋ねる人があったら、
私の答えは
「神さまを愛することです。
そして、何よりもまず祈ること。」
*******
誰かに対して
代わってくれと言うだけではだめです。
じゃあ、あなたはどうなの?
と、返されるのがオチ。
家族に、自分を大切にしてくれ。
と言ったところで
その本人が、家族に不平不満ばかりを
言っていたら
良くなんてなりません。
恋人もそう。
私は○○なんだから、
あなたがそれに合わせてよ。
はないですよね。
みんなが、自分を受け入れてもらいたい。
そう思っているのです。
だから、あなたが受け入れてほしいひとたちは
あなたにもまた、
受け入れてほしいと思っています。
でもね、
色々頑張ってみても
何も変わらないこともあるんです。
やってみたけど、ダメだった。
そんなこともあります。
がっかりするし
残念だけれど、
もし、そうなったとするなら一度
しっかり話し合ってください。
話し合いもせず、
パチン!
と切って終わらせることは
なんにも生み出さないし
ただ
人を孤独にしてしまいます。
聞く耳も
話す口も持たずに
「あいつダメだ、終わってる。」
なんて言ったところで
誰も賛同できませんよね。
全世界で正しいのは
自分だけではありません。
後から後悔したところで
何もかもを失った後です。
再び関係が戻ったとしても
上辺だけの
何も実りのない
お付き合いばかりになりますよ。
雨宮でした☆彡
●*やりたくないなら辞めたらどう?
面倒だと思ったり
嫌々御もてなしをされたとしても
なんにも嬉しくありません。
*******
あなたの愛を、
喜びの心をもって与えるように。
真の愛のあるところには
喜びの心がある。
*******
あまりに悲惨な光景を目の当たりにし
悲しみに打ちひしがれて
俯いて歩いていたシスターに
マザー・テレサはそう言ったそうです。
そのシスターの考え、
状況は計りしれません。
例えば、
自身の大切にしている誰かが
亡くなってしまった後。
落ち込むことなく、
笑顔で人と接しなさい。
きっと、それに似ていると思います。
ですが、
流石にそこまでシビアではなかったかとも
想います。
一生懸命今を生きている方たちに
落ち込んだ顔を見せてしまっては
彼らが心配するでしょうし
彼らが不安になりますよね。
シスターたちは、
まるで天使のようなひとたちですが
お母さんでもあるのではないでしょうか?
お母さんは、
ちょっと具合が悪くても
落ち込んだことがあっても、
子供が
「お母さん大丈夫?元気出して。」
と言えば
「大丈夫よ、お母さんは元気だから。」
と、例えそれが嘘だったとしても
「子供に心配させるべきではない。」
と思いますよね。
・・・・・・・最近ではそういう方も
少ないかなとも思いますが。
ところで、
やりたくないなら、
辞めたらいいよ。
というタイトルですが。
ご飯を作って御もてなしをされて
「私は疲れているし、面倒だと思ったけど、
あんたが食べるって言うから
作ってあげているの。
だから、ありがたいと思って食べなさい。」
と言われたら、あなたはどう思いますか?
私は、
「だったら作らなくていいよ。
どこか外で食べるし、
自分で作って食べるから。」
と言います。
面倒だ、疲れてる、なんで私がこんなこと。
と思われながら作られた料理なら
美味しくないですから。
ありがたいと思って食え。
と言われても、
ありがたさが一瞬で失われますので。
御もてなしには、
心が入っていなければ
意味がないですよね。
慈善事業でも
募金も同じです。
募金したくないし、
どうでもいいけど、
仕方ないから10円あげる。
だからありがたいと思え。
という募金ならいらないと思いますよ。
私だったら、そんなお恵みいりません。
その10円を、その人の気持ちのよいことに
使えばいいと思います。
と、
ここまで書くとキツイ、
意地悪な感じになりますが
不満を持って何かをすると
自分の心に喜びなんて
一欠片もないでしょう?
私はね、
その人が楽しいと思ったり、
やりたいと思ったことを
まず、
一生懸命、
真剣にやるのが
一番いいと思うんです。
そうすれば、
楽しくて
面白くて、
そんな時間を過ごすことで
笑顔になって
人に優しくなれるのなら
自分のためにまず、
自分を喜ばせる何かを
するべきだと思うのです。
自分が満たされていなければ
人に対して優しくなんてできません。
お金をもらって作られた優しさには
心のひとつもこもっていない。
上っ面の優しさなら
なんの意味もないんです。
上っ面の優しさで
自分に対して何かをされても
そこに、
想いやりという愛情んなんて
どこにも存在しないのです。
雨宮でした☆彡