【前回までのあらすじ】
報酬を受け取る遅延が近づくに連れて、その魅力は急激に上昇する。物資的な利益にしか関心のない人は、合理的でないときでもしばしばその誘惑から逃れることができない。

復讐について考えてみよう。

完璧に自分をコントロールできる合理的な人なら、復讐を行うことに対するいまのコストよりも未来の評判のほうに価値があるときには、いつも復讐を行うだろう。注


つまり、復讐をいま行うのは、面倒だし、こっちもタダではすまないかもしれない。一方、こいつはやったらやり返す奴だと相手に思わせておけば、相手は攻撃してこないかもしれない。そういう評判のこと。

問題は、復讐にかかるコストが今すぐ課せられるのに対し、手強いとの評判は未来にならないと得られない点にある。したがって、評判を得るためにはコストをかける価値があると思っても、そのためにかかる現在のコストを避けるよう誘惑されてしまうかもしれない。しかし、仮に不当な扱いを受けたときに「怒る」傾向を持っていれば、この誘惑、つまり衝動コントロール問題は解決する。怒っている人が衝動をコントロールしているというのは変な感じがするが、評判が意味をもつ状況では、実は、怒っている人のほうが、怒れない温厚な人よりも賢明な行動をする可能性が大きい。

次に
結婚について考えてみよう。

結婚をちゃんと維持することで得られる報酬は中身のあるものだ。(胸に手をあてて考えてみよう。。。。)

よし。

そうとはわかっていても、浮気の誘惑に負けてしまうかもしれない。浮気からはその場ですぐに報酬が得られるのに対して、結婚を維持することで得られるものほとんどは、未来にならなければ手に入らない。これはまさに衝動コントロール問題そのものなのである。

復讐のときが怒りだったように、婚姻問題では愛情がこの罠から救ってくれる。こういった感情が僕たちを救ってくれるのは、誘惑への抵抗が簡単なときではなく、とても困難な時である。

一方、とても打算的な人は、合理的でないときでもしばしば誤魔化しをする。利益はすぐに手に入るが、そのためのコストは後回しになるからである。

今まで一度も誤魔化しを見つかったことがない人の場合、その人の行動が、少なくても部分的には非物資的報酬によって動機づけられている可能性が大きい。

誘惑への抵抗が容易なとき、評判は実はあまり役に立たない。なぜならとても打算的な人でも、合理的に判断できる可能性があるからだ。前述のとおり、問題は、誘惑への抵抗が困難とき、物資的利益だけを気にする打算的な人は、遅かれ早かれ誤魔化しをして、それが発覚してしまうだろう。


参考文献
ロバート・H・フランク,1995,「オデッセウスの鎖」(山岸俊夫 監訳),サイエンス社