【前回までのあらすじ】
協力を大規模化するには徹底した分業すなわちモジュールと官僚制が最強の組織として富を拡大してきたわけだが、ある地点で、それは内部を蝕んでいたことがわかった。大組織に見られる「ただ乗り」問題で、それは単なる報酬や待遇の改善だけでは解決できない複合的なものだったのである。

【動機付けの失敗】
官僚組織が現代においても最強の組織であることに変わりはないが、官僚制は、インセンティブを減じさせ、人々の積極的な創意を喪失させ、危機回避的な保身的行動をとらせる傾向を生む。つまり、安全制と保全制とが求められ、冒険的な企業家的動機は退けられる。一般的に、企業が少人数で和気合あいあいと営まれているような企業では、従業員の労働意欲は大変強い。ところが、人数が増え、大企業組織になるに従って、構成員の労働意欲が次第に薄れていく。この原因は、組織の中での個人の貢献が実際には正確に測定できないからであり、このことは大規模集団になればなるほど、困難な状況が顕著になるからである。営利企業であれば、売上など、利益の貢献が一応の目安になるが、公共団体、公務員、非営利組織(ブラ三の同盟もw)では、このような利益への貢献から離れた部門、つまり事務サービス部門が増大するため個人の業績の評価は困難になる。また事務サービス自体は経済的には存在しないまたは無視されることの方が多いのも現実。

労働意欲を引き出すためには、個人業績の評価を正当に行わなければならないが、これが組織上の限界といってもいい。毎日一緒に仕事をして、個人の貢献をすべて観察することができれば正当な評価に限りなく近づくことができるかもしれないが、大企業になるに従って人事評価が形式化され、標準化された尺度が使われる傾向がある。会社からみれば、公平に評価するにはある尺度が必要だという言い分になるが、評価される側の個人にとっては全体的な評価ではなくて一面的な評価に陥りやすいと感じる場合が多い。つまり、個人が考えている貢献度と会社からの評価が一致せずにギャップが生じると、その個人は次第に動機付けを失って、労働意欲は低下する可能性が出てくる。


【ルーチン化と硬直性】
組織の長所の一つはコミュニケーションを慣例化して、無駄なやり取りを条件反射的に省かれる点が指摘されてる。阿吽の呼吸や、「アノの件は、アレなんで、いつも通り、アレしといください。」という指示語に代表されるアレですw。けれども、これが「馴れ合い」になり「惰性」で動くようになると、組織は新たな試練に対して、柔軟な意思決定を行うことが難しくなると言われている。


【組織化費用とセクショナリズム】
官僚制の優位性は、専門家集団による分業の徹底でにより、精確で効率的に仕事の能率を高めることにある。しかし、問題は、権限が専門によって分離され区分される点にある。これにより悪い局面で働くと、縄張り根性で、部門間の意思疎通が機能不全に陥ってしまうことになる。組織はこれに見合うだけの組織化費用を支払ってでも、内部の調整問題を解決する体制を持っているかが最重要ポイントとなっている。


過去の歴史を振り返れば、経済的合理性を追求した結果、官僚制による分業を高度化させてきた。合理化が進めれば進むほど、最後により高度で合理的な社会が実現するはずであった。しかし、現実は皮肉にも、組織上の合理性をあまりに追求した結果、その点では合理的な目的が実現されるが、別なところでは官僚主義化の不合理な結果が待たされるという現実が待っていた。どうやら人間はこのような2次的なリスクや不確実性を完全には防ぐことができないようだ。

むしろ、不確実性とどう向き合っていくのか。そいういう問いと言い換えることができる。



参考文献
坂井素思、2014、「社会的協力論」放送大学教育振興会、p144-147