【前回までのあらすじ】
近代的組織はフォードT型大量生産方式を代表に見られるようにライン生産と互換性によるモジュール化の分業によって大規模化な協力結集システムを作り上げることに成功し、規模の経済性によって最盛期を迎えたように見えた。それは組織や会社全体で収益が飛躍的に伸び経済効果としてみれば、という条件で、実は集団の内部、細部、あるいは、集団間の関係は限界とジレンマが起こっていたのだ。

近代組織における大規模化は、賃金を上昇すれば労働者は集まり生産性が向上し、働く待遇や環境を改善すれば上司の命令に従うという、経済原理と支配原理とで成立されてきた。ところが、これらの原理原則だけでは、協力組織はうまく働かない現象があらわれてきており、「ホーソン実験」と呼ばれる一連の調査が、大規模な協力組織を見直すきっかけになったと言われている。米国AT&T関連会社のウェスターン電気「ホーソン工場」という近代組織の見本のようなところで米国経営学者メイヨーはグループに分けて「休憩時間」「給料」を上げ下げする実験をするのだが、待遇の悪化は生産性に影響を与えず、かえって生産性を上がるなどの結果を見せた。

メイヨーはこの状況を「ある一つの要素がすべての人々の上に働いて、この要素が存在すれば必ず同一の結果が生まれるものではない」と言い当てた。つまり賃金や権力だけが、絶対的な要件ではない、それ以外にも隠れた潜在力の働きを見逃すことができないと認識されたのです。


さて、大規模な協力集団の内部ではいったい何が起こっていたのでしょうか?

組織が大規模になればなるほど、「ただ乗り」が生じる問題があることが指摘されるようになったです。ブラ三でも開幕後初期や戦時において「ただ乗り」が生じないよう同盟は管理コストかけていることは皆様もご承知のとおりでしょう。米国経済学者オルソンによれば、「組織がおおきくなればなるほど、個人が集合利益から受け取る分け前は次第に小さくなるので、個人が集団の利益のために働こうとするインセンティブは減少する、というパラドックスが存在する」と言われている。これが「オルソンのパラドックス」と呼ばれ、大規模組織を形成すればするほど、個人が共同利益に「ただ乗り」する可能性がいっそう生じることになる、と考えられている。

なぜ個人が組織(同盟)に参加するかといえば、それは参加するメリットがあるからです。個人が集団のために働くのは、それだけ集団が得た共通利益が分配されるからだと期待していることになります。

⚪️小規模集団
自分の貢献 < 集団からの分配

⚫️大規模集団
自分の貢献 > 集団からの分配

結局は貢献した人にも、貢献しなかった人にも平等に分配されることになるため、誰もが集団の利益のために貢献しよう、とする積極的なインセンティブを失ってしまうことになっているのです。

小規模集団ではあまり起り得ないジレンマが、大集団になればなるほど表面化してしまうのです。

このパラドック対策として、オルソンは選択的誘因を指摘しています。皆様の会社組織や同盟でもすでに実装済みと思いますが、貢献を測定して、プラス(補助金)とマイナス(罰則)の動機付けです。補助金には財源が、罰則は、監視や密告など考えるだけで住みにくい社会になってしまうと指摘されています。

ブラ三のように個人がエンターテイメントとしてプレーし、さらに楽しむために同盟に参加しているはずなのに、強さを求め同盟が大規模化すると、そこには同盟員のただ乗り問題が生じて、同盟は監視や処罰をしないと大企業病(大同盟病)にかかってしまいます。同盟運営をする同盟幹部の方々は普通の営利企業と違って、プラスの報酬(昇級や昇進)などの選択肢が少ない分、悩ましい判断が多いと言えるでしょう。

いつもお疲れさまです、感謝していますw


オルソンのパラドックスはただ乗り問題のほかに、官僚主義化という現象としても近代の協力組織に現れます。

長くなったので、次回につづきます。


参考文献
坂井素思、2014、「社会的協力論」放送大学教育振興会、p138-142