IT大手4社、開発に生成AI適用本腰 NTTデータG「27年度に40%効率化」
鈴木 慶太、森岡 麗、渥美 友里、馬塲 貴子
日経クロステック/日経コンピュータ
IT大手4社、開発に生成AI適用本腰 NTTデータG「27年度に40%効率化」 | 日経クロステック(xTECH)
IT大手4社がシステム開発の効率化に向け、生成AI(人工知能)の適用に本腰を入れ始めた。日経クロステックはIT大手4社が2025年10月下旬~11月上旬に開いた決算会見や各社への取材などを基に、各社のシステム開発における生成AIの適用状況やその効果についてまとめた。
NTTデータグループは生成AIを用いた生産技術を、2025年度に500件のプロジェクトへ適用する考えだ。開発工程全体で20%の生産性向上を目指す。2027年度には適用する案件の比率を50%に上げ、生産性向上の目標も40%を掲げる。
生産性の向上に伴う顧客からの値下げ要求について、佐々木裕社長CEO(最高経営責任者)は「今までの人月ベースのビジネスモデルから、価値ベースのビジネスに少しずつ転換していく時代なのだと考えている。例えば50%生産性が上がって価格を変えないわけにはいかない。競争の中で適切なプライスで提供していくことになるだろう」と話した。
日立、27年度に「適用効果1000億円」
日立製作所はSI案件において、すでにプログラミングや単体テストなど一部の工程で生成AIの適用を本格化しており、2024年度における生成AIの適用効果は50億円に達した
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暴論ですが、今から対策を練らないと、この道筋が、現実になる企業も多いわけですので、”警告”として、真面目に企業内で、対策を練るべきです。
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生成AI時代に厳し過ぎる規制、従業員を解雇できない日本企業の末路
木村 岳史
日経クロステック/日経コンピュータ
生成AI時代に厳し過ぎる規制、従業員を解雇できない日本企業の末路 | 日経クロステック(xTECH)
この「極言暴論」は2026年3月で13年目を迎える。しかも、ほぼ毎週書き続けてきた。我ながらその持久力に感動し、あきれもするとともに「よくもまあネタが尽きなかったものだ」と思ってしまう。それだけ日本企業のDX(デジタルトランスフォーメーション)などが問題だらけで、IT業界の「闇」が深いということだろう。そんな中、記事のネタとしてわずか4回しか取り上げていないテーマがある。日本企業を駄目にした上、IT業界を多重下請けの人月商売に堕落させた日本の「解雇規制」である。
過去4回の記事のいずれかを読んでくれた読者なら、私が強烈な「アンチ解雇規制派」であることは認識していると思う。要するに、日本の厳格過ぎる解雇規制をとっとと緩和して、米国並みに企業が従業員を原則解雇できるようにせよ、というわけだ。だけど、いくら極言暴論とはいえ、そんな話は書きたくない。なんせ、多くの人が解雇され、場合によっては長期の失業という不幸に見舞われるからな。それに私自身、日経BPに転職する前の若い頃に職を失うなど苦労したから、なお一層のこと解雇規制の緩和なんて「嫌」なのだ。
だけどねぇ、今のままじゃ日本企業、そして日本は本当に先がない。だから、アンチ解雇規制派として極言暴論の記事を4本「も」書いたわけだ。ちなみに、日本企業や日本の行く末にとって厳し過ぎる解雇規制が最も問題となるのは、企業のDXを「なんちゃってDX」に終わらせてしまう点だ。もちろん、経営者の愚かさ故でもあるのだが、厳し過ぎる解雇規制の存在が本物のDXを阻んでしまう。そして、多重下請け構造を持つ人月商売のIT業界が日本でここまで異常に発達したのも、全て解雇規制のなせる業だ。
このあたりの話は後で改めて詳しく述べるとして、アンチ解雇規制派として5度目の極言暴論を書こうと思った理由を記しておこう。もちろん、生成AI(人工知能)やAIエージェントが人から仕事を奪う可能性が現実のものとなってきたからだ。既に米国では、ソフトウエア開発の分野で22〜25歳の雇用がChatGPT登場直前の2022年10月と比べ、約20%減ったと分析する論文が公表されている。つまり米国では、AI導入に伴う従業員解雇が始まった可能性が高まっているわけだ。
そういえば、ちょっと興味深い観点の記事が日経クロステックに出ていたな。その記事によると、日本では「AIによって自分自身の仕事がなくなる」と思う人はわずか15.3%に過ぎない。一方、米国では「AIによって多くの人が職を失うだろうか」と問いに対して、71%の人が「心配している」と答えたという。筆者は「日本人はなぜAIに対して楽観的なのか。その理由の探求は、我々メディアにとって興味深いテーマになりそうだ」としているが、私に言わせれば簡単だ。誰も自分がクビになることを心配しないで済むからだ
要するに日本人の多くが、厳し過ぎる解雇規制の恩恵を無自覚的にではあれ感じているわけだ。なんせ、これまでもそうだったからな。例えば基幹システム刷新に伴う業務改革をやれば、米国企業では確実に多くの人が職を失うが、日本企業の場合は変わらぬメンバーで仕事を続け、これをDXと称する。つまり、日本企業で働く人はDXであろうが、生成AIであろうが、自身の雇用について心配する必要がない。だけどねぇ、実は職を失う危機が迫りつつあるんだよ。かつての家電メーカーのようになれば、一気に失業じゃないか
米国では理由なしの即日解雇もOK
解雇規制に関する4本の記事のうちの1本で詳しく書いたが、今回も話の前提として日本の解雇規制がどう厳しいのかを少し解説しておこう。法律としては2008年に施行された労働契約法に次のような条文がある。「第十六条 解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を乱用したものとして、無効とする」
要するに、企業が従業員を解雇するには「客観的に合理的な理由」と「社会通念上相当である」ことが不可欠ということだ。特に「社会通念上相当」が問題で、企業が雇用を維持するために相当の努力をしていないと、解雇した人との裁判になった際、裁判所は「不当解雇」との判断を下す。経営悪化などによる整理解雇でも、過去の判例により確立された「人員削減の必要性」「解雇回避努力義務の履行」「解雇対象者の選定基準の合理性」「解雇手続きの妥当性」の4要件を満たされなければ、解雇は不当なものとなる。
4要件のうち解雇回避努力義務の履行とは、整理解雇を実施する前に配置転換や出向、希望退職の募集といった回避努力をしっかりやったかということだ。要するに「DXの結果、君が担っていた業務がなくなるから解雇する」なんてことは認められない。そんな訳なので日本企業、少なくとも「ホワイト企業を自任する」大企業は、解雇に対して極めて慎重にならざるを得ない。終身雇用を前提にしたメンバーシップ型雇用はもちろん、ジョブ型雇用であってもこの「原則」は変わらない
一方、米国の場合、雇用はいわゆる「随意契約」が原則だ。企業はいかなる理由であろうと、あるいは理由がなくても従業員を即日解雇できる。当然、従業員も理由のあるなしにかかわらず即日退職しても一向に構わない。もちろん、雇用契約違反などの不法解雇だと駄目だが、それであっても企業は損害賠償や和解金の支払いで解決できる。そんな訳なので、米国企業の間では「DXの結果、君が担っていた業務がなくなるから解雇する」なんてことは、ごくごく普通のことなのだ。
厳し過ぎる解雇規制の国と全くそうではない国をこのように比較すると、いろんなことが見えてくる。もちろん、IT/デジタル革命に翻弄されて落ちぶれていく日本企業や日本、そしてIT/デジタル革命の波に乗ってますます発展していくであろう米国企業や米国との差が最大の問題なのだが、まずは解雇規制による「ベーシックな」問題から見ていこう。それは、米国では大規模な基幹システムであってもパッケージソフトウエアやクラウドサービスが受け入れられるのに、日本企業はなぜ独自システムにこだわるのかである。
実はこれ、簡単な話だよね。日本企業は厳し過ぎる解雇規制の下、基本的に終身雇用を維持してきた。だから、経営者から末端の従業員に至るまで、自社の業務のやり方しか知らない。しかも、特に製造業は昭和から平成の一時期に絶好調を極め「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などとおだて上げられたものだから、自社のやり方は優れているとの妄想に取りつかれてしまった。今でこそ転職や中途採用が当たり前となったが、大企業であればあるほど、いまだにこうした妄想を抱く新卒採用組が大多数を占めているのが実情だ。
米国企業の場合は、解雇されたり自ら辞めたりして人はどんどん入れ替わる。経営者から末端の従業員に至るまで、幾つもの企業での業務を経験済みだ。だから「我が社」というか、今いる企業の業務のやり方を「標準化」したいというベクトルが働く。なんせ、元いた企業と業務のやり方が違うならば、経営者も従業員も面倒くさくて仕方がないからね。そして、経営者は業務の標準化で別の目的も達したいと考える。要するに、効率化や合理化だ。で、他社も使っているERP(統合基幹業務システム)などを導入し、何人もの従業員をクビにするわけだ
IT業界の多重下請けも解雇規制のせい
日本企業はなぜ独自システムにこだわるのかについても、先ほどの説明で十分に理解できたかと思う。厳し過ぎる解雇規制により、日本企業は外の世界を知らない「ムラ社会」として発展したため、自分たちのやり方しか知らないし、それが優れていると勝手に思っている。だから、基幹システムなどの刷新に当たっては、これまで通りのやり方で業務ができるように「現行通り」を求めるわけだ。たとえERPを導入したところで、ERPの機能と自社の業務のやり方との「差分」はアドオンなどで埋めることになる。
ただし「独自システムにこだわる」ということが「今使っているシステムを使い続ける」という意味ならば、理由は他にもある。その理由とは「システム刷新は無意味」と見なされるということだ。以前、ある大企業の社長にインタビューした際、こんな話をしていた。「私の手元に来る企画では、システム導入でプラスになるとの数字が並べられているが、私が見ると大概は駄目。『システムで人員が削減できます』と言ったところで、その人たちがいなくなるわけではない」。
結局のところ、基幹システムの刷新によって業務の効率化や合理化を図るといっても、ERPに合わせて業務プロセスなどを抜本的に変えるわけではなく、従業員も減らないから、企業全体で見た人件費などのコストは下がらない。余計なアドオンの開発により「無駄金」も生じる。なので、システム刷新はその投資額やリスクに見合わないものとなり、DXなどといろいろ「お化粧」してみても、経営者の承認を得るのが難しくなるわけだ。で、基幹システムを10年、20年と使い続ける事態となり、システムの老朽化などの問題も生じる。
老朽化したシステムの問題が深刻になり、ようやく経営者からシステム刷新の承認を得られたとしても、当然のことながら新システムを自分たちで内製するなんてあり得ない。「基幹システムを内製しない日本企業」については、30~40年も前から多くの識者らが問題視していたが、私からすればその議論は噴飯もの。厳し過ぎる解雇規制の下に置かれた日本企業が、基幹系のような大規模システムを内製できるわけがないじゃないか。システム開発が終われば、保守運用に携わる技術者しか要らなくなるのだからね。
なので、企業は新システムの開発などを、今ではSIerと呼ばれるようになった大手ITベンダーに丸投げすることになる。SIerは「System Integration」の略称に「er」を付けた和製英語だ。だけど、その実態は名ばかりで、複数のパッケージソフトウエアやクラウドサービスを組み合わせて最適システムを構築する本来のSIとはほど遠い。客が「優れている」と妄想している業務のやり方に沿った独自のシステムをつくる、というか独自のソフトウエア開発を「単価×工数」で受注する人月商売が実態だ。
こうした人月商売は、技術者を大量動員することになる。SIerは複数の案件を時期をばらしながら受注することで、必要な技術者の人数をある程度平準化できるが、やはり限界がある。特にコーダーを大勢抱え込んでは、解雇規制の下で事業が立ち行かなくなる可能性がある。なので、SIerは人的コストの引き下げも兼ねて、自分たちはシステム設計やプロジェクトマネジメントなどに特化し、コーディング作業などは下請けITベンダーに任せるようになった。
下請けITベンダーも解雇規制に絡むリスクを取らない。無稼働の技術者を抱えて、その「売り先」を探し回らなきゃいけない事態は避けたいからね。で、下請けITベンダーもさらに下請けに出す。こうしたことを繰り返すことで、日本のIT業界は世界でも特異な人月商売&多重下請け構造の産業となった。一点指摘しておくと、中には解雇規制なんて意に介さないブラックなITベンダーも存在するし、雇い止めのある登録型派遣で働かざるを得ない技術者もいるから、厳し過ぎる解雇規制の下でも雇用が保証されない人が大勢いるのだ
雇用奪うAIの時代に日本企業の勝ち筋なし
厳し過ぎる解雇規制の下、こうした様々な問題が生じたわけだが、実は日本経済が「最も偉大」だった昭和時代には、人月商売のIT業界の多重下請け構造による技術者「搾取」以外は、大した問題ではなかった。だって、そうだろう。昭和時代には、日本企業は製造業を中心に終身雇用の下、創意工夫やカイゼン活動で高品質の製品サービスを生み出し、世界を席巻したわけだからね。しかも、日本企業にとってはITなど「どうでもよかった」しね。基幹システムなどのITが競争力の源泉じゃなかったから、これは仕方がなかったな。
ところが、この極言暴論でも何度も指摘している通り、1990年代半ばのインターネットの爆発的普及から始まったIT/デジタル革命によって、状況が一変してしまった。なんせ、これまで「どうでもよかった」ITが個々の企業のビジネスや経済を動かす主役になったわけだから、日本企業にとっては大変な事態だ。なのに日本企業はボーっとしていたんだよね。米国企業、そして新興国企業などは、今でいうところのDXに相当する取り組みを始めたのに、日本企業は大事な時間を無為に過ごしてしまった。
そんな訳で、日本の「失われた30年」が続く中、日本企業は完全にIT/デジタル革命に乗り遅れてしまった。その結果、自動車産業と共に日本の基幹産業だった家電産業は、製品のデジタル化で後手を引くなどして壊滅した。いくら解雇規制が厳しくても、こうなってしまえば多くの人が仕事を失ってしまう。他の産業でも、多くの企業がIT/デジタル革命への対応を怠って苦境に陥った。にもかかわらず「人がいなくなるわけではない」として本物のDXに取り組まず、今に至ったわけだ。
IT産業もIT/デジタル革命の中ですっかり落ちぶれてしまった。昭和時代には富士通や日立製作所、NECのIT事業部門、それにBIPROGY(旧日本ユニシス)といったメインフレームを販売していたITベンダーは、少なくとも当時の巨人、米IBMに対抗しようという気概があった。だけど、IT/デジタル革命以降は新たなクラウドサービスでGAFAなどに歯が立たなくなり、国内に引きこもった。そして、自社の技術者を余すところなく使える人月商売の親玉、つまりSIerに成り果ててしまったのだ。
そんなこんなで厳し過ぎる解雇規制の下、日本企業はIT/デジタル革命に対応せずDXを怠って、ここまで来てしまった。そして今、特に雇用問題に直結するであろう生成AIやAIエージェントの出現という新たな段階を迎えた。「人はより付加価値の高い仕事を担えばよい」といった、きれいごとが語られているが、米国企業の場合、AIエージェントが従業員の仕事を代替できるなら、これまでそうしてきたように多くの従業員をバッサリと解雇するはずだ。そして、ますます強くなる。
一方、日本企業はAIエージェントなどを活用することになっても「社会通念上相当ではない」として余剰となった従業員の解雇はできず、「より付加価値が高い」かもしれない仕事に就かせなきゃいけない。今までもそうだったのだけど、これはどういうことかというと、米国では「より付加価値が高い」かもしれない仕事への人の移動は、解雇や転職によって社会全体で進む。それに対して日本では、「より付加価値が高い」かもしれない仕事への人の移動は企業の社内で取り組まないといけないということだ。
これじゃ、AIエージェントなどの普及が進むIT/デジタル革命の新たな段階では、米国企業、そして新興国の企業などに対する日本企業の勝ち筋が全く見えなくなるよね。だからこそ、私はあえてアンチ解雇規制派になって、日本の解雇規制の大幅な緩和の必要性を叫び続けることにした。もちろん、現状では政治的に厳しいから、一刻も早く多くの日本人が気付くことを祈っている。最後にもう一度言っておくが、DXを阻害する日本の厳し過ぎる解雇規制は、厳しい状況に置かれている人を決して守ってくれないからな