生活習慣病の予防はAIで進化する 「個人差」を乗り越える研究の最前線

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生活習慣病の予防はAIで進化する 「個人差」を乗り越える研究の最前線 | クーリエ・ジャポン

食べ物への代謝反応は一人ひとり違う


まったく同じマドレーヌを食べた人が二人いたとする。一人の血糖値は、わずかに上がってから正常に戻ったのに対し、もう一人の血糖値は急上昇した。次に別の食べ物で試すと、今度は前者の血糖値が急上昇し、後者の血糖値はわずかに上昇するだけだった。

これは2020年に英国の科学誌「ネイチャー」に掲載された研究で明らかになったことだ。食事の内容がまったく同じでも、代謝反応に最大で10倍もの個人差が出ることを研究者たちは示した。つまり、同じ食品を食べても、それに対する反応は、人それぞれというわけだ。

栄養学の世界で、これは革命だった。米国の国立衛生研究所(NIH)は早速、この研究成果をオーダーメイド医療に応用しようと決めた。そこで立ち上げられたのが、世界で最も野心的な栄養学の研究プログラムの一つといえる「精密栄養研究」だ。予算は5年間で1億7000万ドル(約250億円)。被験者の数は1万人。全米23ヵ所の研究施設や大学が参加する。

研究プログラムが目指すのは、被験者の遺伝子、マイクロバイオーム(腸内細菌叢など人体の微生物叢)、各種の生物学的変数、生活習慣、代謝、環境要因を調べ、それをもとにAIアルゴリズムを開発することだ。それが開発されれば、人が何を食べると、どう反応するかを先回りして予測でき、一人ひとりに合わせたオーダーメイドの栄養・食事指導ができるようになるという。

「これは私たちの食生活のとらえ方を変えるだけでなく、慢性疾患の予防法も変える可能性があります」

そんな期待を口にするのは、その研究プログラム「精密栄養研究」でコーディネーターを務める栄養学者のホリー・ニカストロ博士だ。

テクノロジーを駆使するこの研究プログラムは、非常に野心的なものだ。そんな野心的な取り組みをするのは、世界規模で公衆衛生の大きな問題があるからでもある。

2019年、英国の医学誌「ランセット」に掲載された重要な研究によれば、世界では毎年、1100万人が不健康な食生活のせいで、本来の寿命より早く死亡しているという(そのうち米国は67万8000人、フランス人は6万500人)。
 

オーダーメイドの食事が当たり前に?


──栄養・食事指導を一人ひとりに合わせたオーダーメイドのものにしていく必要があるとのことですが、それはなぜですか。

食生活や栄養に関する臨床試験を実施すると、毎回、そこには個人差が出てきます。効果が科学的に裏付けられている食事療法も例外ではありません。そうした個人差をもたらす要因が何なのか。その一部は、たとえば年齢や性別、体重といったものだとわかっています。

ただ、いま挙げたもの以外にも個人差をもたらす要因はあります。たとえば遺伝子、マイクロバイオーム、閉経の有無も関係していますからね。それから環境的・社会的要因もあります。たとえば「フード・デザート(食の砂漠)」といって、新鮮な食品がなかなか手に入らず、加工食品や高カロリー食品への依存度が高まってしまう地域に住んでいる人もいます。

「精密栄養研究」の目的は、こうした栄養や食事にまつわる個人差をもたらす要因が何なのかを深く理解し、何が個人差をもたらす最大の要因なのかを突き止めることです。

──遺伝子、年齢、腸内のマイクロバイオームなどの影響を考慮したとき、私たちはどんな食生活をすべきなのでしょうか。現時点でわかっていることを教えてください。

乳糖の分解に関わる遺伝子、それからカフェインやビタミンB9の代謝に関わる遺伝子に応じて、推奨する食事内容が変わってくるのは、すでにわかっています。乳製品の摂取を避けたほうがいいLCT(乳糖分解酵素)遺伝子の変異を持つ人がいることもわかっています。

私たちの研究では、こういったメカニズムをもっと見つけていき、それが食後の反応に個人差をもたらすほかの要因とどのように相互作用しているのかを解明しようとしています。

加齢によって必要な栄養素が変わってくることもわかっています。骨や筋肉、脳を健康な状態で維持していくために、高齢者は若年成人よりもビタミン12、カルシウム、たんぱく質が多い食事が推奨されています。

マイクロバイオームに関して言うと、2015年に米国の科学誌「セル」に掲載された研究が、この研究プログラムの基盤の一つになっています。この研究では、マイクロバイオームの構成が食後の血糖値の上下動に影響を及ぼしており、そこに非常に大きな個人差が出ることが示されています。つまり、まったく同じ食べ物(パンやバナナ)を食べた人が二人いたとき、その二人の血糖値の反応が真逆になることもあるのです。

このことからも、栄養や食事に関して万人に共通の推奨や指導をするのには限界があることがうかがえます。

──未来の世界では、オーダーメイドで一人ひとりに合わせた食事を用意するのが理想になるのでしょうか。

自分の特性に合わせて食事を調整できるツール、あるいは自分のタイプを知って、そのタイプに合わせて食事を調整できるツールを開発し、できるだけ多くの人をサポートしていきたいというのが私たちの願いです。これが公衆衛生の改善につながっていく見込みもあります。

もっと具体的に言うと、AIの技術を利用し、特定の食品や食餌療法に、個々人がどのように反応するのかを予測できるアルゴリズムを開発できないかと考えています。被験者の実際の食生活(食習慣)だけでなく、研究施設という管理された環境で与えられる食事への被験者の反応も調べます。この調査は、傾向や有益な情報を把握するのに欠かせません。

── 一人ひとりに合わせたオーダーメイドの栄養・食事指導は、いつ頃から利用できるようになりますか。

今回集めるデータと初期段階で開発されたアルゴリズムは、すべて2027年から研究者が利用できる予定になっています。
 

AIはどんな食事指導をしてくれるのか


──どの程度、精密な栄養・食事指導ができると考えていますか。将来的には、「〇時ジャストにこの野菜を食べるのがいいです」といったところまでいくのでしょうか。それとも、もっと大雑把な感じなのでしょうか。

私たちの予測アルゴリズムの目的は、被験者から得られた複数のデータを統合し、一人ひとりにオーダーメイドの栄養・食事指導をすることです。そのためにはゲノム情報、マイクロバイオーム、食べ物の消化や栄養の代謝に関わる体内のさまざまな細胞の生化学反応、運動習慣の有無、睡眠状況などを調べ、血糖値の持続的モニタリングをする必要があります。

将来的には、一般市民や食品流通業者など、すべての人が参考にできるツールを開発したいと考えています。そのツールが、どの程度まで精密なものになるのか。また、どのように利用されるのか。そこは利用者のニーズや、利用者同士のやりとりに応じて変わってくると思います。

── 一般人が使えるアプリを開発する予定もありますか。

何か一つ特定のツールを作るわけではなく、多様な使い道を用意して、さまざまな人のニーズに応えられるようにしたいと考えています。アルゴリズムのほかにも、この研究プログラムで集めた全データを入れたデータベースの公開も予定しています。データベースがあれば、研究者はそれを使って研究を進められますし、この研究プログラムの成果を活用し、精密栄養学の知見を誰もが利用できる形に落とし込めるかもしれません。

──糖尿病や肥満などの治療法を変える可能性はありますか。

私たちのデータベースが充実したものになれば、医師はいまよりも精密な栄養・食事指導ができるようになります。体重管理や血糖コントロールに関する目標の達成に役立つはずです。

──AIにも限界がありますので、栄養・食事指導の精度がイマイチなものになってしまうおそれはありますか。

人体内での栄養の代謝には、マイクロバイオーム、ストレス、睡眠、社会的バックグラウンドといった要因が複雑に絡んで、影響を及ぼしています。その仕組みを把握したり、モデル化したりするのは、簡単ではありません。

また、何を食べるかという選択は、その人が属する文化やその人の気分、さらに食材を調達できるかどうかといった要素にも左右されます。そういったものがあるので、AI予測の限界が露呈する可能性もあります。

AIで栄養・食事指導は改善できるはずです。しかし、AIがあれば、人間の判断力が不要になるわけでもありませんし、個別にサポートする必要性がなくなるわけでもありません。
 

研究で集めるデータとは


──研究はどのように進めていくのですか。

被験者たちは数週間、モニタリングされることになります。その期間中はアンケートに回答し、日々の食事内容を記録し、血液・尿・便のサンプルを提出してもらいます。

被験者の一部は、研究者が指定した食事を食べます。別の被験者のグループは、研究者が指定した同じ食事を食べるだけでなく、私たちの研究施設に滞在してもらいます。これは被験者の習慣をより厳密に管理し、モニタリングをするためです。

さらに一部の被験者には、「食物負荷試験」もします。これはそれぞれまったく同じの食事や飲み物を口にしてもらい、そのときの生物学的変化を測定するものです。

──不健康な食生活が多くの病気や死亡の原因となっており、それが医療制度にとって大きな負担になっています。このような精密栄養学の研究プログラムに数百万ドルを投じるよりも、ジャンクフード対策を強化したほうがいいのではないですか。

食習慣に関連する慢性疾患は、世界における病気と死亡の主要な原因の一つであり、そのための医療費は、年間数十億ドル規模に膨れ上がっています。ただ、どんな研究も単独では、すべてのニーズには応えられません。この危機に対処するためにも、さまざまな手法による研究が必要なのです。

何を食べるのか、いまよりもよい選択を下せるように、皆様をサポートし、皆様の健康を最適化し、病気を発症するリスクを下げるのが、私たちのめざすところです。

さらにこの研究プログラムで作られるデータベースは、政策立案の参考になる可能性もあります。万人の栄養状態と健康状態を向上させる取り組みに欠かせないとも言えます。

──米国とフランスとでは食文化が大きく異なります。米国で実施されるこの精密栄養学の研究成果は、フランスでも役立つのでしょうか。

被験者を募集する際、民族、居住地、所得、学歴、障がいの有無、健康状態などを考慮し、できるだけ多様になるようにしています。多様性を重視するのは、それぞれの集団ごとに、必要とされる栄養素、代謝反応、マイクロバイオームの構成が大きく異なる可能性があるからです。

幅広い人々から得たデータなので、偏りが減り、米国人以外にも栄養・食事指導を提供できる可能性はあります。たしかに、この研究は米国で実施されるわけですが、この研究を通じて作られたデータベースや予測アルゴリズムのプラットフォームがあれば、米国以外の国々でも同様の研究をしようという気運が高まり、新しい仮説が出てくる可能性もあります