ヒマラヤに残された最難の課題とされるK2西壁。日本人最強のペア・平出和也と中島健郎がこの未踏の壁に挑戦するまでの軌跡を、二人を長年取材してきたライター・柏澄子が振り返る。

文=柏 澄子、トップ写真=2019年のラカポシ南壁初登後の平出・中島ペア(RAKAPOSHI EXPEDITION 2019)

平出と中島のK2西壁

今年6月11日、平出和也と中島健郎はパキスタンのイスラマバードで落ち合った。イスラマバードでの準備を終えキャラバンを開始し、6月23日にK2(8611m)西壁のベースキャンプ(BC)を設営した。

今回の計画は前人未踏のK2西壁(西北西壁とも呼ばれる)を登攀するものだった。彼らのBCは、いまや大勢の登山者が集まる南東稜や南南東リブのBCから徒歩15~30分ほど離れ、K2の基部を西側に回り込んだサヴォイア氷河末端に位置していた。

二人がめざしたのは、ポーランドの世界的登山家であるボイティク・クルティカにより「sickle」(鎌)と呼ばれるラインだ。その名の通り緩くカーブをした鎌の形をしており、氷雪壁と岩壁のセクションが繰り返される。クルティカは、1987年から94年の間に当時のトップクライマーたちをパートナーとし4回トライしたが、いずれも6000m台で撤退している。平出・中島は、「sickle」(鎌)を登攀したのち、左上して頂上に抜けることを計画していた。この左上するラインは、1997年に日本山岳会東海支部が西稜を登ったのちに大きくトラバースをして入り込み登頂したときに、トレースしている。

二人は偵察をしたのち、5700m地点にアドバンスドベースキャンプ(ABC)を設営。その後も偵察を重ね、ABCへの荷上げを行なったが、7月上~中旬は天気が思わしくなく、停滞をする日も多かった。下旬になり天候が安定したころ、ルート工作や予備日を含めて9日間の予定でサミットプッシュに入った。

7月24日にBCを出発しABC入り。翌25日には6500m地点に設けたC1へ。26日はC2。27日、5時33分(現地時間)に平出よりC2上部への偵察を行なう旨、二人が所属する石井スポーツに連絡が入った。その後7時30分(現地時間)、ABCで待機していた撮影隊より事故の一報が入る。内容は、27日に標高約7550m地点で「滑落した」というものだった

 

 

 

 

 

 

 

もし登れなくても、次世代に

平出・中島と旧知の仲である山岳気象予報士の猪熊隆之は、二人に協力したく気象予報をすることを申し出ていた。日々の予報をインリーチで現場に送り、二人からは現地の天気がフィードバックされていた。それによると、彼らが出発した24日こそBCで一時雨であったが、以降天気は回復。まさに猪熊がサミットプッシュローテーションとして最適と予報した通りになった。二人からは25日のC1は「風、穏やか」と連絡があり、26日のBCも穏やかな天候だった。二人の計画は、ルート工作や予備日を含むが、29日に登頂し、8月1日にはBCに帰還する予定だった。

「滑落」の理由や状況はわからない。出発前平出は、「ルンゼ状ではあるが、中央を避けて登るなど必ずベターな抜け道があるはず」と話していたが、岩などの落下物に当たったのかもしれないし、そのほかの理由によるかもしれない。

石井スポーツは、事故直後から2機のヘリコプターを飛ばし上空からの救助の可能性を探っていたが、現場の状況が厳しくヘリからも地上からも救助が困難な状況であると判断。事故発生から3日経っても二人にまったく動きがないことも考慮し、救助を断念することを発表した。

K2西壁はマカルー西壁と並んで、8000m峰に残された最難関の課題だ。平出・中島がK2西壁を訪れたのは、2018年と2022年。対岸などから観察、偵察をした。一回のトライで登れるかわからない難関であることは理解していたし、平出は出発前、もし登れなくても、次世代に引き継ぎたい課題であるとも話していた

 

 

 

 

 

 

 

 

平出と中島、それぞれの足跡

平出の原点は、畳一畳分の地図にある。2002年、23歳のときにひとりでパキスタンの山岳地帯を旅した。その時の地図を貼り合わせ、すでに登られたピークやラインを書き込み、未踏峰と未踏ラインを明らかにしていった。この旅は、東海大学山岳部で当時監督を務めており、平出の恩師にあたる出利葉義次から「もっと山を見ろ。旅して歩いて山を見てこい」と教えられたことがきっかけとなっている。地図を見て、現場で山を眺め登り、パキスタンに通うこと20年以上経っていた。だからこそ、未踏のラインを探し出し、登攀できたのだ。

またK2は、2006年に母校東海大学山岳部が南南東リブから登ったが、その時平出は、前年のシブリン(6543m、インド)で負った凍傷により足の指を切断し、登山隊への参加を断念していた。それでも自転車を担いでBCを訪れ、序盤の荷上げを行ない、後輩たちを支えた。荷上げが終わると平出はBCを後にするが、どれほど無念だっただろう。出利葉は「K2は、平出が還ってくるべき山だった」という。

中島は、関西学院大学山岳部時代に他大学の山岳部の仲間たちとネパールの未踏峰パンバリヒマール(6887m、ネパール)に登頂したことが原風景となった。まっさらなところに自分たちでラインを引き登る。それがおもしろい。翌々年には山岳部後輩の山本大貴とふたたび未踏峰へ。ディンジュンリサウス(6196m、ネパール)に登頂した。未知への憧れ、未知なる世界を探っていくおもしろさにとりつかれ、国内外の山を登るようになる。特に幾度にもわたる厳冬期の黒部横断や、2013年にトライしたK6(7282m、パキスタン)は記録に残したい内容だ。

K6にトライした宮城公博、今井健司、中島健郎(左から)(写真撮影=今井健司)
2013年、K6にトライした宮城公博、今井健司、中島健郎(左から)。今井は2015年、単独で挑んだチャムラン(7319m、ネパール)で遭難し、帰らぬ人となった(写真提供=関西学院大学山岳会)

平出と中島が組んだのは、2014年のカカポラジ北稜(5881m、ミャンマー)の撮影から。以来、数々の登攀を共にしてきた。なかでも平出にとっては4度目であった2017年のシスパーレ北東壁新ルート(7611m、パキスタン)から登頂し、第26回ピオレドール賞受賞(平出は2度目の受賞)、2019年のラカポシ南壁新ルート(7788m、パキスタン)から登頂し、第28回ピオレドール賞受賞は、世界の登攀史に残るものだった。

平出と中島がピオレドールを受賞した2017年のシスパーレ北東壁
ピオレドールを受賞した2017年のシスパーレ北東壁

二人は、先人や仲間、家族を大切にした。未踏峰や未踏のラインを登る際には、必ずその前にトライした先人を訪ね、話を聞いた。パキスタンでもよい人間関係を築き、サポートする人たちが多かった。そういった人柄は、仲間たちからも愛されていた

 

 

 

 

カメラマンとしての活動

また、二人とも、山岳カメラマンとしても活躍した。平出の動画撮影は、学生時代にさかのぼる。前述のシブリンからは本格的に自分の登山を記録し始めた。中島は父が版画の摺り師、母が染色家という両親の元に育ったことが影響しているのか、彼が撮る写真には絵心があった。そんな二人は、竹内洋岳の8000m峰14座も撮影している。平出はガッシャブルムⅡ峰(8068m)とブロードピーク(8047m、共にパキスタン)、中島はチョ・オユー(8201m)とダウラギリ(8167m、共にネパール)を撮影した。田中陽希の「グレートトラバース」(TV番組)では、平出は100名山、200名山、300名山全シリーズの撮影に参加。中島は前者2つに参加した。田中にとっても信頼できる撮影クルーだった。

この夏も開催されたトランスアルプスジャパンレース(TJAR)の撮影にも参加していた。TJARを4連覇した望月将悟と平出から、同時に同じような話を聞いたことがある。2022年、平出と中島はカールンコー(6977m、パキスタン)の未踏ルートである北西壁を予定していたが、TJARの撮影に参加するために出発を1週間ほど遅らせた。撮影を終えた平出の第一声は、「出発を遅らせてよかったですよ。今回も望月さんを撮影できました」だった。一方の望月は、「平出さんは赤石岳で待ち受けていましたね。会えると思っていたから、あれも聞きたい、こんな話もしたいとレース前から頭がいっぱいだったんですよ」という。小赤石岳から赤石岳への激登りがある。それを平出はカメラを構え後ろ向きで歩きながら、望月の正面をとらえ、登っていくのだ。

TJAR取材中の平出(左)と望月将悟
2022年、TJAR取材中の平出(左)と望月将悟(写真提供=望月将悟)

2017年、ビッグマウンテンスキーヤーである佐々木大輔がデナリ(6190m、アメリカ)カシンリッジを登攀し、南西壁を大滑降するプロジェクトに二人が参加したときも、佐々木と心の交流があった(ボリュームの都合上、詳細は次号『ROCK & SNOW』へ)。かねてより「カメラマンは、アスリートを追う一等席」と平出は言っていたが、並外れた身体能力と好奇心が成せることだったのだろうか

 

 

 

 

 

 

 

求め続けた、未踏の岩壁

中島はテレビ番組「イッテQ!」登山部でイモトアヤコらと国内やヒマラヤ、ヨーロッパの山々を登り、サポートや撮影する一方で、「グレートヒマラヤトレイル」やヒマラヤの秘境での登山などを撮影しており、それもまた中島だからこそ成し得た撮影だった。

平出、中島共々、ファインダーを通して他者が山に向かう姿を、彼らの人生を見ていた。それは自分とは異なる山への向き合い方でありながら、共感するものも見つけていた。これらの経験が彼らの登山や人生をより豊かなものにしたのではないかと感じる。

また、平出は近年二度にわたり、スペインなどヨーロッパを巡りスライドショーを開催している。アルピニズムが生まれ育った地に日本の登山家のストーリーがもたらされたのだ。多くの聴衆にアルパインクライミングの魅力を伝え、元気や勇気を与えてきた。彼らが自分たちの経験を惜しみなく広く伝えようという気持ちをもち、国内でも活発に講演や登山ツアーを行なってきた。二人そろって各地を周った。自分たちの登山を広く多くの人に伝えるという行為を経て、二人は本物の登山家になってきたのだと思う。

シスパーレ、ラカポシ、ティリチミールなどいずれも、未踏の壁にラインを描いたものであり、そこには二人のあくなき探求心もあった。7000m級の山で未踏の壁を登り続けている登山家は世界を見渡してもそう多くはない。二人には未知の領域に突っ込んでいきパフォーマンスを発揮するメンタルの強さ、技術、体力、経験があった。

K2西壁は、じっくりと取り組みたい存在であったはずだ。一方で彼らはそれぞれ、K2後のことも考えていた。アフガニスタンやシルクロード沿いの山々に興味をもち、天気などのデータ蓄積をしていたのは平出だ。中島は来年、前述の山本とガウリシャンカール(7134m、ネパール・チベット)を予定していた。20余年前、二人が大学生だったころ登ったディンジュンリサウスからよく見えた山であり、中島の胸の中にずっとあった。

志半ばでK2から帰らぬ人となった二人であるが、まだ誰も見たことのない世界を見たい、未踏のラインをねらいたいという自分たちの思いは、最後まで貫かれていた

 

 

 

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平出和也と中島健郎、K2西壁への軌跡をたどる - 山と溪谷オンライン

 

柏 澄子(かしわ・すみこ)

 

登山全般、世界各地の山岳地域のことをテーマにしたフリーランスライター。クライマーなど人物インタビューや野外医療、登山医学に関する記事を多数執筆。著書に『彼女たちの山』(山と溪谷社)。 (公社)日本山岳ガイド協会認定登山ガイド。
(写真=渡辺洋一

 

 

山と渓谷オンライン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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滑落の平出、中島両氏にピオレドール賞 家族が代理受け取り

 

 

時事通信

平出和也さん(写真左)と中島健郎さん

 

 

 

 今年7月、パキスタン北部カラコルム山脈にある世界2位の高峰K2(8611メートル)で滑落し、安否不明となった登山家で山岳カメラマンの平出和也さん=当時(45)、長野県出身=と中島健郎さん=当時(39)、奈良県出身=が、世界の優れた登山家に贈られる「ピオレドール(黄金のピッケル)賞」の今年の受賞者に選ばれた。  

 

 

イタリア北部で10日、授賞式が行われ、2人の家族が代理で賞を受け取った。  2023年7月に成功したパキスタン・ティリチミール(7708メートル)の未踏の北壁登頂が評価された。平出さんの受賞は4度目、中島さんは3度目。  

 

 

2人は今年7月27日、K2の西側の未踏壁を登頂中、約7000メートル地点から滑落。その後、上空から姿が確認されたが、2人に動きがないことや崩落の危険があることから、家族の同意の下で捜索活動が打ち切られた

 

 

滑落の平出、中島両氏にピオレドール賞 家族が代理受け取り(時事通信)