デザイン思考」の、その先へ
制御不能な世界のなかで「デザイン」はますます重要になる
ファスト・カンパニー(米国)
Text by Jarrett Fuller
イノベーションの源泉として注目を集めた「デザイン思考」。ところがここ数年、人工知能の発達などで、あえて人間がデザインをおこなうことの意義が問われている。デザイン思考の牙城、スタンフォード大学デザインスクール(d.school)の2人のディレクターが、その問いに正面から向き合う新著を出版した。
デザインが持つ「世界をよりよい場所に変える力」とは何なのか。米メディア「ファストカンパニー」が2人に聞いた。
「視覚的にも物理的にも化学的にもめちゃくちゃな環境において、建築家や工業デザイナー、プランナーが人類のためにできる最もシンプルで最もすばらしい仕事は、いっさいの仕事をやめることだ」。デザイナーで教育者のヴィクター・パパネックは、1971年の著書
『生きるためのデザイン』
のなかでそう語った。
それから50年たったいま、パパネックの言葉には納得できる。AIの台頭、不安定な民主主義、私たちを脅かす気候危機──すべてのシステムが崩壊していくこの世界で、デザイナーにできることなどあるのだろうか。
ところが、スタンフォード大学デザインスクール(d.school)のアカデミック・ディレクターのカリッサ・カーターと、クリエイティブ・ディレクターのスコット・ドーリーは、デザインの持つ力をポジティブにとらえている。デザインは世界をよりよい場所に変える力を秘めているというのだ。
デザインはいま、利益を生むツール、市場向けの売り物、権力を手に入れる手段として考えられがちだ。一方、カーターとドーリーの新著『最高の明日の作り方 素晴らしい未来をデザインするためのガイド』(未邦訳)は、よりよい未来を作りたいと考えるすべての人に向けたツールを提供してくれる。
デザインが経験を可能にする
──デザインをどのように定義しますか?
スコット・ドーリー:私はよく、固体、液体、気体にたとえています。デザインはまず固体として始まります。この段階でデザイナーはまず、世のなかで役に立つものを作ることについて考えます。
次は液体の段階です。ここではより具体的に、そのデザインがどんな経験を生み出し、どんなサービスに利用されるかを考えていきます。デザインとは商品そのものだけでなく、その周囲のものにも関係してくるのです。そしてここまでくると、デザインはまるで気体のように、どこにでも存在するものとして感じられるようになるでしょう。
デザインはデザインそのものだけでなく、デザインがもたらすサービス、経験、影響、システムすべてを指します。人々がデザインに求める役割は長い年月を経て、こうして広がってきたのです。
デザインとその他のものづくりとの違いは、デザインが人々の願望を反映しているところです。デザインは、私たちが望むものを形にして世界に生み出すことなのです。これは特別な姿勢ですが、便利な一方、有害な場合もあります。
カリッサ・カーター:私たちは、いくつものレベル、いくつもの層からデザインを考えます。たとえばスマートフォンを見てみましょう。このスマホはもちろん、デザインされてできたフィジカルな物体ですよね。デザイナーが四隅のカーブの半径を決め、本体の素材を決めたのです。
しかし、スマホはただフィジカルな物体というだけではありません。デジタルな物体でもあるのです。アプリのひとつひとつもデザインされています。アプリのフローを形作る枠組みがあり、アプリのアイコンやインターフェースにも、グラフィック・デザインが使われています。これらひとつひとつが、さまざまな経験を可能にしてくれるのです。
こうしたデザインのおかげで、私たちは国の端と端に離れていたとしても、ビデオ電話ができます。そのやりとりができるようにデザインしたのはどこかのデザイナーですから、こうしてデザイナー側の経験の層もどんどん積み重ねられていきます。このような商品や経験が、数えきれないほどのシステムとともに、この世界に息づいているのです。
私のスマホには、現在地によってシステムへのアクセス権限が決まるというプランがついています。新しいアプリを入れたいと思ってアプリストアをのぞくと、そこにはアプリの利用方法やダウンロード内容について、独自のルールがあります
テクノロジーはすべてのシステムのなかにあり、すべてのシステムにパワーを与えています。私たちの言動から学習するAIアルゴリズムといった最新のテクノロジーもしかりです。AIアルゴリズムは、デザインが定める決定によってデータ分析をおこなうのです。
ですから、デザインとはデータであり、テクノロジーであり、商品であり、経験であり、システムなのです。そのすべての層に、善かれ悪しかれ影響力があります。短期的な影響もあれば、長期的な影響もあるでしょう。いま私のスマホに入っているSNSアプリを通して、たくさんの人々が変化のために声をあげるよう、世界に呼びかけることができました。そして同じアプリを通して、学校でのいじめが広がったり、人々のメンタルが悪化したりと、悪影響もありました。
これらすべてがデザインのなせる業(わざ)なのです。このように、私たちはそれぞれの層に分けてデザインを考えつつ、ひとつの塊としてもデザインを捉えています。
──新著のタイトルは『最高の明日の作り方 素晴らしい未来をデザインするためのガイド』ですね。デザインが世界のすべてだとしたら、この本はどんな人に向けた1冊ですか? 世界のすべてがデザインされたもので、誰もがデザインという行為に関わっているとしたら、これはすべての人に向けた本ということでしょうか?
カーター:この本は、デザイナーだけに向けて書かれた本ではありませんが、もちろん私たちは、デザイナーたちに語りかけるつもりで執筆しました。本書は、自分が世界に対してどのような影響力を持つか、そして自分は世界とどのように関わっているのかということを考える人のための1冊です
親は子供の1日の予定を決めます。誰が子供を車で迎えに行くか、誰の家に行くかというようにね。それと同じように、親の判断が子供の経験を決めるのです。これはとても重要なことです。そうした経験はすべて、子供たちの1日のなかで大切な瞬間なのですから。本書は、そうしたことを大切にする人すべてに向けた1冊です。
すべての社員が意見を述べ、参加できるように職場の会議をデザインする人から、自分の住む町をよりよくするための政策を探求する人まで、あらゆる人に読んでほしいと思っています。
ドーリー:私たちがすること、そして作り出すものが世界を形づくっています。それが大きなものであれ、小さなものであれ、同じことです。誰もが本書の読者なのです。
組織のリーダー、子供を持つ親、教師。あらゆる人々が自分で思っている以上に、いまこの瞬間も未来の世界を形づくっています。私たちはその事実を確認したかった。そして、どうすればその事実を活用してよりよい世界を作れるのか、答えを知りたかった。より賢い方法でよりよい世界を作るには、どうすればいいのか? それを知りたかったのです
システムを制御するデザイン
──本書の主なアイデアのひとつに、「ランナウェイ・デザイン」というものがありますね。これはどういうものなのでしょう?
カーター:線路を暴走する電車を想像してみてください。その電車は何かに衝突し、被害を生むでしょう。「ランナウェイ・デザイン」は暴走列車に似ています。電車と違って目には見えませんけれど。私たちは暴走が起こっているとわかっているのに、あまりの荒々しさに圧倒され、コントロールすることができない。そうした印象を抱かせるのは、AIや合成生物学といった新しいテクノロジーです。
テクノロジーは、新たに生まれてはあらゆる角度から私たちに迫ってきます。テクノロジーは自然界にも大きな影響を及ぼし、気候変動もどんどん進んでいます。いままさに、世界は危機に瀕しています。
私たちはこの状況を「ランナウェイ・デザイン」と呼んでいます。世界がこうなっているのは、私たち人間が生み出したデザインの結果です。私たちは、なぜこんなにも世界が危機に瀕しているのかを把握し、私たちにできることについて話したいと思っています。
ドーリー:現在、私たちがものを作るときの材料は、かつて使っていた材料とはまったく違っています。そんないまこそ、自分の生きる時代に注意を向けてほしいと思っています。いまでは、作ったあとでも簡単に作り変えることができます。AIは文字どおり判断することができますし、自分自身で進化することができます。合成生物学は日に日に発達し、進化し、世界中に広まっています。そのため、暴走列車にちなんだ名前がぴったりでしょう。
──グローバリゼーション、経済的な脅威、人口の変動など、私たちが感じている脅威のうちどれくらいが、従来はデザイン以外の要因によるものと考えられていたのでしょうか? 私たちが作り出すものと、私たちのものづくりに影響を与える文化的・政治的・経済的な脅威が交わるとき、どんなことが起こるのでしょう?
ドーリー:いい質問ですね。デザインとは本来、プランを立てることを意味します。つまり、基本的にデザインとは、私たちにコントロールする力があるものを指すように感じられます。
しかしデザインの実践の大部分は、社会との関わりです。私たちが推奨する「プロトタイピング」とは、新たに作ったものがうまくいくかを見るために試作品を打ち出すことです。人的な要因や、私たち人間に関する物事をリサーチすることは、世界で何が起きているのか、そしてそれに対して自分はどう反応すべきかを理解することと同じです。
デザインの役割のほとんどは、世界のシステムをコントロールすることではなく、無数のシステムをつなぐことにあります。では、たとえばあるテクノロジーが確立されたとして、そこにはまだ手を加える余地があるでしょうか? それとも、もはやテクノロジーそのものが自ら行動しているのでしょうか? テクノロジーが独り歩きしようとしても、私たちはそこに参画し続けなければならないと思います。
それゆえ、私たちは必要とあらばこの暴走列車に飛び乗り、ブレーキをかけたり、進路を変更したりしなくてはなりません。これはとても難しい問題ですが、デザインとは常に、コントロールできないものに対処し、立ち向かう方法であり続けているのです。
カーター:ランナウェイ・デザインが生まれた要因のひとつに、世界のあらゆるシステムを引き離すのが難しいということが挙げられます。
もちろん、そうしたシステムも人間が生み出したものです。すべてのシステムが人間によってデザインされているのです。しかしいま、私たちはそれぞれ1人の個人として、自分の無力さを痛感する時代に生きています。時に現実はあまりに恐ろしいものになります。私たちの目的のひとつは、自分は無力であってもいいと感じてもらうことなのです。
小さな一歩が大きな変化につながる
──無力さというワードにとても共感しますが、私は本書のポジティブさに衝撃を受けました。それでもなお、本書を読みながら私はその無力さを感じてもいました。私たちの手に負えなくなったシステムはあまりに膨大です。私たち1人1人に何ができるかという点は気になります。
著書の最終章では、市場が持つ力と、市場がどうデザインに影響しているかを語っていらっしゃいましたね。ですが、そこに生まれる利益については言及されていませんでした。資本主義や民主主義という大きなシステムについても言及はありませんでした。
あなた方は、私たち1人1人や個人のデザイナーと、コントロールできないほどの問題を生み出してきた大きなシステムとの関係についてどうお考えですか? 私たちは個人として、そうしたシステムの持つ力とどう向き合えばいいのでしょう?
カーター:すばらしい質問をありがとうございます。まずは、個人の主体性が重要です。無力さという感情のハードルを越えて、「ほら、私にもできる。私にもできることがある」と思えるところから始めましょう。私たちはハイレベルな変化を求めていますが、同時にその変化は、まず最も身近な第一歩から始まるのです。
ドーリー:世界にはすばらしい目的のためにデザインを作り出す人がたくさんいます。しかし、たとえすばらしい目的であっても、問題が生まれることもあります。ですから私たちは、人々の問題解決のためのアプローチに関心があります。
現状のアプローチではあらゆる死角が生まれ、長い目で見れば問題解決が難しくなってしまうこともありますから。とても努力しているのに、そして物事が正しい位置におさまっているのに、それでもうまくいかないことがあるでしょう?
──具体的なお話をさせてください。著書の後半では、「実行できること」についてお話なさっていますね。たとえば「臆病になる」「姿を変える」「道に迷う」などですが、私にはこれが「実行できること」とは思えません。仕事をしながら1日を過ごすなかで臆病になったり、姿を変えたりするというのはどういう意味でしょう? 私たちを取り囲むあらゆるシステムは、その逆を推奨しているように感じます。
カーター:ここに挙げた行為は、見えないものを見ること、あるいは私たちが当たり前に思って重視していないものを見ることです。
たとえば「臆病になる」ことについて考えてみましょう。誰もが、自分が場になじめていないという感覚になったことがあるでしょう。すぐにその感覚を和らげようとするのではなく、一瞬立ち止まって考えられるでしょうか──なぜあなたはそう感じるのか? どんなときにその感覚になるのか? 周りの人たちはみんな共通点があるのに、私だけ共通点がないからだろうか? どうすればそのギャップを埋められるのか? 周囲の行動について気づいたことは何か? 彼らの基準とは何か?
つまり「臆病になる」こととは、自分の感覚や他者の感覚に敏感になる、そうした些細な瞬間のことなのです。
ドーリー:「臆病になる」こととは、見逃しがちなものをきちんと見る力のことです。自分と他者のギャップのなかには、それに気づかせてくれる機会がたくさんあります。
変化を起こすことのできる人たちは、そうしたギャップに気づくことができます。彼らは小さなものに気づき、その小さなものがいまは役に立っていなくても、喜んでその小さなものに気を配り続けます。そして最後は変化を起こすことに成功するのです。
自分が場になじめていないという気まずさを感じない限り、そして道に迷わない限り、変化を目にすることはできないでしょう。そうでなければ、人生をただそこにあるものとして歩いていくだけです
これからのデザイナーに必要なこと
──ここで話題を変えて、デザイン業界そのものについて話してみたいと思います。著書のなかで書かれているような変化を起こすために、デザイナーは専門職としてどう変わるべきでしょうか? デザインという分野や、業界の構造そのものも変わるべきでしょうか?
カーター:私たちが、自分たちの技術を象徴するような未来のテクノロジーや製品を求めたとしましょう。この場合、そのテクノロジーや技術はすべての人々によって作られたものでなくてはなりません。
現状では、とりわけ未来のテクノロジーは、少人数の集団によって作られています。デザイナーは傍観者のままです。完璧な世界があるならば、私はいまあるテクノロジーの出発点を消して、なかったことにするでしょう。そして、デザイナーを最初からものづくりの最前線に置きます。
なぜなら、デザイナーとは翻訳者でもあり、すべての人々に語りかけることができるからです。技術者、歴史家、人文主義者といったすべての人にね。そして、誰もが仲間外れにされることなく、同じ輪のなかにいられるようにするでしょう。
求められる「癒やし」のデザイン
──いまのお話は、本書の終わりで語られる「癒しのためのデザイン」につながりますね。「癒し」はイノベーションとはかけ離れた言葉です。癒しとは、修理すること、物事の本来の形に立ち戻り、そしてそれを再びよりよいものにすることです。単なるイノベーションとしてだけでなく、癒しとしてのデザインを理解するには、私たちはデザインをどのようにとらえ直せばいいでしょう?
カーター:癒しのためのデザインという概念の根底には、私たちが世に生み出すものはすべて、多かれ少なかれ他のものにも影響を与えるのだという考え方があります。
あなたが使っているアプリでさえ、あなたの周囲のシステムでさえ、そしてあなたの持つポリシーでさえ、順調に機能していて問題はなくても、周囲の何かを壊しているものです。
癒しのためのデザインを作り出すことは、自分が世に生み出すものに敏感になり、それが世界に与える影響に気を配るということです。私たちはデザインを考えるとき、起きそうな問題を予想することに慣れなければいけません。そして、そのデザインに責任を持ち、未来まで問題なく機能できるよう、自分の力で導いていかなければいけないのです。
ドーリー:癒しのデザインはすでに存在します。私たちはこの本で、癒しのデザインを皆さんに認識してもらい、その存在を祝福したかったのです。
本ではプリツカー賞を受賞した建築家のフランシス・ケレについて書いています。彼は学校や病院などの建築物を手がけるとき、地元で手に入る材料を使い、あらゆる人をプロジェクトに招き入れます。つまり彼は、すばらしい建築物を世に残すだけでなく、皆でもう一度作品を生み出すことができる場を提供し続けているのです。コミュニティは、自ら公共の場を作り出すことで活気づくでしょう。
私たちが伝えたかったのは、自分たちの行動の目的に対するマインドセットを変えようということです。
その目的とは、すでに完成した製品なのか? 新たに作り出す能力なのか? 作る行為そのものなのか? あるいは、コミュニティの人々が一丸となって何かを作ることで生まれる癒しなのか? いまこの瞬間よりも、その先に何を生み出すかのほうが、より重要なのです
制御不能な世界のなかで「デザイン」はますます重要になる | クーリエ・ジャポン (courrier.jp)