被害を隠蔽された傷は癒えない

パリ五輪サーフィン会場の「楽園」に隠された、核と植民地主義の暗い歴史

 
オリンピック開催地、タヒチのテアフポオに集まるサーファーたち Photo: Adam Ferguson / The New York Times

 

ニューヨーク・タイムズ(米国)

 

Text by Hannah Beech

2024年パリオリンピックのサーフィンの会場となった、南国の楽園として知られるタヒチ。しかし、この地の住民はフランスが長年にわたっておこなった核実験による健康被害に苦しめられていた。現地に住む人々は、いまでも核の影響を感じ続けている

 

 

 

 

楽園の暗い過去


南太平洋の海からテアフポオの海岸に向かって、美しく力強いうねりとともに、波が打ち寄せていく。50年前の7月もそうだった。だがそのとき、この小さな集落には、空気中の、目に見えない別の波も押し寄せていた。それはフランスが、本土から遠く離れた共和国の一部であるこの場所でおこなった核実験で生じた放射能の波だった。

ロニウ・トゥパナ・ポアレウはテアフポオで生まれた。家族が代々住む家はヤシの木とハイビスカスの茂みに囲まれている。現在、テアフポオの村長を務めている彼女は、渦を巻き泡を散らしながらサーフボードに推進力を生み出す理想的な青い波のおかげで、同地が地球の反対側のパリで開催される今年の夏季オリンピックのサーフィン競技の会場に選ばれたことを誇らしげに語る。

だが、観光パンフレットに載っている明るい海の風景の裏には、秘密が隠されていた。機密指定から解除されたフランス軍の資料によると、1974年7月に放射能の雲が突然上空を漂った後、テアフポオではタヒチで最も高い放射線量が記録されたのだ。それは住民には知らされなかった。
 

ポアレウのきょうだいは、当時のほかの子供たちと同様、放射性降下物の悪影響を特に強く受け、放射線被ばくが原因とされる各種のがんを発症した。ほかの親族や村人たちも、がんで亡くなった。数年前、ポアレウは人口1500人の村の一軒一軒を訪ね、60人の住民が同様のがんにかかっていることを発見した。村長になってからも、地域の被害の全容を知らなかったのだ。

フランス政府は、仏領ポリネシアで30年にわたっておこなった核実験による健康被害を長年認めようとしなかったが、ついに2010年、放射線関連の病気の被害者を認定して補償する手続きを開始した。それは官僚的で、煩雑な書類申請が求められるものだったが、複数のがんと診断されていたポアレウのきょうだいの一人は、申請に成功した。だがポアレウは、公式に認定されようとも、きょうだいたちの傷は癒えないと言う。

「オリンピックのサーフィン競技が地元で開催されるのはうれしいですし、テアフポオの名が世界中に知られて誇りに思います。けれども、家族の苦しみを見ると、フランスが憎くもなります」
 

発展と引き換えの危険


サーフィンの楽園と、がんのホットスポットというテアフポオの二つの現実は、島々と環礁で構成された、西ヨーロッパとほぼ同じ広さの仏領ポリネシアに残る、植民地主義の複雑な遺産を物語っている。

1966年から1996年にかけてフランスが約200回の核実験をおこなった場所として、仏領ポリネシアは急速に発展した。核兵器を爆発させる前に、フランスはタヒチに初の空港と現代的な港をプレゼントしたのだ。
 

核実験に関わる作業に雇用されたポリネシア人たちは、ヤシの葉で覆われた家を去り、仏領ポリネシアにある約120の島のなかで最大である、タヒチ島の新興住宅地に住みはじめた。サンゴ礁に囲まれたビーチや、テアフポオにはすばらしい波が来るという噂に誘われて、観光客もやってきた。

ポリネシアの進歩の輝かしい象徴として、南太平洋の環礁の上に立ち昇るキノコ雲の写真を額に入れ、新しいアパートの部屋に飾っていた家庭もある。

ところが、発展とともに危険ももたらされた。2024年、フランス議会はようやく、仏領ポリネシアの東端にある二つの環礁、ムルロアとファンガタウファで実施された核実験の有害な影響についての調査を開始した。2021年に同地を訪れたエマニュエル・マクロン大統領は、フランスが193回の核実験に関して仏領ポリネシアに「借り」があると認め、こう発言した。

「私たちフランスは、『太平洋の真ん中でうやむやになるだろうから、相応の責任を負わなくてもいいだろう』と自分たちに言い聞かせ、この地で実験をしたのです」

太平洋のほかの地域にも核実験の被害は存在する。現在は独立国になっているマーシャル諸島の環礁は、米国の核実験により壊滅した。英国も、自らが支配する地域で同様のことをおこなった

 

 

 

 

「これは仏領ポリネシアだけの問題ではありません」と、ポリネシア議会の代議士、へイヌイ・ル・カイユは言う。「太平洋地域全体で正義が求められています」
 

犠牲になる植民地


政府の医学研究者らが仏領ポリネシアにおける甲状腺がんの発生率が高いことを発見した一方で、2021年に設立された地元のがん研究所は、全体的ながん発生率はフランス本土よりも実際には低いとしている。それでも、多くのポリネシア人は、核実験による実際の死傷者数は過少に見積もられていると主張する。

地元でタブー視されているため、公立の医療機関に行かずに自宅で亡くなる人もいる。そして最近まで、がん患者の多くは治療のために海外へ送られていたという理由から、その一部は症例の記録に加えられていないとポリネシアの議員らは述べている。

仏領ポリネシアのモエタイ・ブラザルソン大統領は、自身の家族の4人が放射能関連の病気で命を落としたと語る。彼の祖父は、遺体から出る放射能が土壌に浸透するおそれがあったため、鉛で覆われた棺に埋葬された。

2023年の秋、ブラザルソンは国連で演説し、核実験による被害の正式な調査と、仏領ポリネシアの平和的な脱植民地化を訴えた。フランスからの独立を掲げる与党タビニは、現地の言葉でマオヒ・ヌイと呼ばれる仏領ポリネシア地域での核実験を終わらせることを唯一の使命とし、1970年代後半に設立された党だ

 

 

 

 

 

「政治的には、核実験の問題は長い間、独立の追求と重なってきました」とブラザルソンは説明する。「いまはもう実験はおこなわれていませんが、実験のせいで命を落とす人々はまだいます。フランス政府は責任を取る必要があります」

タビニ党の創設者で仏領ポリネシアの元大統領であるオスカル・テマルは、人道に対する罪を犯しているとして、国際刑事裁判所にフランスを告訴する取り組みの先頭に立った。

「私たちは核の植民地主義の被害者なのです。だから、自由を獲得することが喫緊の課題です」

 

 

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