[人と比べると幸せになれない]

 
と、この記事の先生はおっしゃっております。
 
100%正しいです、
ただ、ただ、私といたしまして、言いたいことは、
ただ、もっと強く言いたいことは、
 
(私の私感ですがーーー)
 
「常に、前に進むことです!」
 
(芸能界ですと、自分以外の他に47人とか、37人とか、宝塚とか、
嫉妬と羨望と、やっかみと、嫌味とくだらなさが、ぐちゃぐちゃしているはずです
====まさに、脚が抜けない、”泥沼です”)
 
 
 
そうしておりますと(常に前に進むこと、進んでいると)
(何か月後なのか、何年なのか、5年なのか?もしかしたら、7年後かも??)
 
“ある日、ふと気が付きますと”
 
今まで比較していた人(嫉妬など)のことが、”眼中にない”
 
あるいは、”もうそんな人見ていない!”
 
こんなことに気がくはずです。
 
過去や今日より、
 
現在より、
 
今、置かれている状況/状態/環境/レヴェル、
に、
 
後ろ髪を引かれることなく、
 
自分自身が知らない間に、
 
自然と、
 
おのずと、
 
どんどん前に進むことです。
 
前に進みますと、
 
長く、陰鬱な、輝きのない、ネガティヴなトンネルから、
 
 
 
一気に百倍もある広い未来や、
 
明るい、
 
新しい新鮮な空気の時空にいる自分になっています。
 
一度しかない人生、
 
超・短い人生、
 
他人の目や、
 
マスコミの評価などより、
 
一般常識に照らし合わせることなく、
 
自分自身が楽しい、明るい、輝きのある、
”幸せと感じる人生を送ることです”
 
 

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岸見一郎 25歳からの哲学入門

個性的な人生を送れば、人を羨ましいと思うことはなくなります

 
 
 
 
 

他人を『羨ましい』と思う気持ちをどうやって抑えることができますか?」

嫉妬まではしなくても、日々のなかで誰かが贅沢な生活をしていたり、楽しそうだったりする様子をSNSなどで見て「いいなぁ」と思ってしまうことはあるでしょう。それほど致命的に害のある感情ではないようにみえますが、いつも誰かを羨ましがっていては自身の幸福につながりません。

アドラー心理学に詳しい岸見一郎先生が解説します。


他人を羨ましいと思う気持ちは、自然に起きる感情ではありません。自分よりも給料が高い人を見ても、SNSで旅先の写真を見てもいっこうに我関せずと、別に何とも思わない人はいます。

自分が持っていないものを持っている人、幸運に恵まれているように見える人がいても、まったく羨ましいとは思わず、妬んだりしません。そのような人は羨ましいという気持ちを抑えているのではなく、そもそもそんな気持ちがないのです。アドラーは妬みについて、次のようにいっています。

「われわれの性格の中には、ある程度妬みの気持ちがある。わずかであれば害を及ぼすことはなく、ごく普通のことである」
 

しかし、妬みは有用なものでなければならず、そのためには

「妬みによって、仕事をし、前に進んで行き、問題に直面できるようにならなければならない」(前掲書)

といっています。しかし、有用な妬みがあるかどうかは考えてみる必要があります。

アドラーは、妬みがわずかであれば害を及ぼさない、また「仕事をし、前に進んで行き、問題に直面できる」ようになる有用な妬みがあると考えています。これは、妬みの感情があまりに一般的なので除外できないため、妬みの有用な面を認めざるをえないという考えです。

アドラーは、妬みは「われわれの仲間との関係に影響を与える根本的な態度の一つ」であるといっていますが、「生涯にわたって」)いつも妬みを感じる人はいるとしても多くはないでしょう。アドラーは、
 

「妬みから自由な人は誰もいないことを認めなければならない」

といったあとに、

「人生が円滑に流れている時には、このことは常にはっきりと現れるわけではない」(前掲書)

といっています。

妬む人がいつもそのような状態でいるわけではなく、誰かを妬むのは、人生の流れが円滑ではないということです。

「人が苦しみ、圧迫されていて、お金、暖かさが欠けていると感じ、将来に希望が持てなくなって、抑圧された立場からの出口が見えない時には、妬みを感じる」(前掲書

 

 

 

 

人生が何らかの意味で行き詰まっていると思ったときに、 自分が持っていないものを持っている人や、自分よりも幸福に生きている人を見て、 妬みを感じるのです。問題は、このとき「出口」を見出そうと努力するわけではないということです
 
 
 
 
 

人と比べると幸せになれない


妬みは、他者と自分を比べ自分が劣っていると思う時に起きる感情です。アドラーは妬みがわずかであれば害を及ぼすことはないといっていますが、それではどんなときに害を及ぼすことになるかといえば、他者と比べて自分が劣っていると強く感じるときです。

「いいなぁ」と思うくらいなら害はないのかもしれませんが、それでも人と比べ、しかも自分が劣っていると感じることが問題です。

「妬みの感情は、このように絶え間なく比べることによって引き起こされるので、それが幸福の可能性を促すように作用しない」

人と比べる(しかも、「絶え間なく」比べると)と幸福にはなれないのです
 
 
 
 
 
 
〔そのような人は〕自分のことを低く評価し、満足しないので、大抵他の人が自分のことをどう思っているか、他の人が何を達成したかについて絶え間なく比べるという状態に陥る。そして、自分は〔他の人に〕及ばないと感じるだろう」(前掲書)

他者と自分を比べ自分は及ばないと感じる、つまり、劣等感を持つことになりますが、劣等感があるから仕事に取り組むのをやめるのではなく、頑張っても敵わないと思って仕事に取り組まないために劣等感を持つのです。

アドラーは、他人が達成したことを自分が成し遂げた仕事と絶え間なく比べるだけでなく、「他の人が自分のことをどう思っているか」についても比べるといっています。妬む人は、その人が高く評価されたのに、自分は成し遂げられなかったことを他人がどう見ているかが気になります。もちろん、自分は低く評価されたと思うでしょう。

妬みはそのような劣等感を持つことで、仕事や課題に取り組むことにブレーキをかけます。このように考えると、「仕事をし、前に進んで行き、問題に直面できる」ようにさせる有用な妬みがあるとは思えません。
 

妬みの感情から自由になる方法


以上述べたことを踏まえて、どうすれば妬みの感情から自由になれるかを考えてみましょう
 
 
 
 
 
 
まず、誰かを妬むのは、自分にブレーキをかけようとしていることを理解することです。本当はやってみなければどうなるかもわからないのに、よい結果を出した人を見て、自分にはとてもできないと思って、取り組むべき課題に挑戦することを避けるのです。

次に、妬む人はよい結果を出した人が努力をしたということに目を向けようとしていないことを知らなければなりません。自分が課題に取り組んだときに望む結果が出ないことを恐れるので、成功したのは幸運だったと思いたいのです。

さらに、自分の仕事や自分がしていることの価値は自分で認められないといけないということです。仕事についていえば、何もしなければ結果は出ませんし、評価もされません。しかし、何かをすれば必ず結果が出て評価されます。これは避けることはできませんが、よい結果を出したいのであれば、努力をするしかありません。

仕事は必ず評価されますが、それとは別に、自分の仕事の価値を他人から評価されようとされまいと、自分で認めることができなければなりません。仕事だけでなく、自分の生き方も誰とも比べることはできません。その意味で個性的な人生を生きれば、人を妬むことも妬まれることもなくなります