清水建設が新1万円札の顔・渋沢栄一の豪邸移築、部材でも文化財指定された特殊例
星野 拓美
日経クロステック/日経アーキテクチュア
2024年7月3日、新紙幣の発行が始まる。新しい1万円札の顔となる実業家・渋沢栄一(1840~1931年)への関心が高まる中、
栄一らが暮らした渋沢家の旧邸宅を
清水建設が青森県六戸町から東京都江東区に移築した。
2024年1月には「旧渋沢家住宅」として、江東区有形文化財(建造物)に指定されている。
建物はJR潮見駅に近接する清水建設のオープンイノベーション拠点「温故創新の森 NOVARE(ノヴァーレ)」の中心に立つ。
木造2階建て、延べ面積約1200m2の豪邸だ。
主に「洋館」
「表座敷」
「御母堂居間」
の3つに分かれる。
2023年6月に移築工事が完了した旧渋沢家住宅。
渋沢栄一と
その子、
孫、
ひ孫が4代にわたって暮らした。
写真左から
「洋館」
「表座敷」
「御母堂居間」
(写真:吉田 誠)
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旧邸宅は、明治から令和まで5つの時代の中で、
何度も増築や移築を繰り返してきた。
最初は現在の江東区永代。
清水建設の当主であった2代・清水喜助(1815~81年)が設計・施工し、
1878年に表座敷が竣工した。
1908年に現在の港区三田に移築された時、
御母堂居間が増築された。
さらに1930年に洋館が加わり、現在の姿になった。
それから約60年後の1991年には六戸町に移され、
約30年間保存されてきた。
2019年に清水建設が建物を取得し、
ノヴァーレに移築。
江東区に里帰りした。
現在の港区三田に移築された後、洋館が増築されて「和洋館並列型住宅」となった。写真は三田時代の旧渋沢家住宅の様子。今回の移築ではこの写真の姿に復元した(写真:清水建設)
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今回の移築では、
調査を基に旧邸宅を1930年の姿に復元した。
近代住宅史が専門で、
江東区文化財保護審議会の委員を務める
神奈川大学建築学部の内田青蔵特任教授は、
次のように話す。
「旧邸宅は近代住宅史において
『和洋館並列型住宅』に分類できる。
ただし、和館と洋館を単純に並べて建てるのではなく、
表座敷を中心に1つの連続体として
まとめ上げている点は独特。
クラシカルでありながら、
シンプルでモダンな雰囲気を持つインテリアも貴重だ。
近代住宅史において重要な位置を占める建物と言える」
2代・清水喜助が設計・施工した表座敷1階の居間。天井には赤桐(あかぎり)の1枚板が使われている。1878年の竣工当初から原形をとどめる(写真:吉田 誠)
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広い縁側がある御母堂居間。1908年の移築時に増築された。渋沢栄一の孫である渋沢敬三(1896~1963年)の母が暮らした。表座敷の意匠を引き継いでいる(写真:吉田 誠)
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洋館の客間。英国調のインテリアが特徴。洋館の設計は、清水組(現清水建設)の出身で当時第一銀行(現みずほ銀行)の建築課長だった西村好時(1886~1961年)が手掛けた。格調高いデザインが魅力(写真:吉田 誠)
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清水建設は江東区文化財保護審議会と対話を重ね、保存・修復の基本原則にのっとって移築を進めた。整備方針は主に4つ。
(1)意匠を損なわない
(2)部材を傷めない
(3)可逆的
(4)区別可能
──である
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