期待とは違った中東のサッカー
「最終章」を迎えたイニエスタがいま、アラブ首長国連邦で思うこと
エル・パイス・セマナル(スペイン)
Text by Borja Hermoso
2024年に40歳を迎えたアンドレス・イニエスタは、自身のサッカー選手生命に限界を感じている。それに追い討ちをかけるように、6月には彼が所属するエミレーツ・クラブの2部降格が決定。かつてバルサのスターだったイニエスタは、いまどんな思いを持ってアラブ首長国連邦でプレーを続けているのか。
アンドレス・イニエスタは2023年の夏、アラブ首長国連邦(UAE)の「エミレーツ・クラブ」にサプライズ移籍した。エミレーツ・クラブといえばここ数年、UAE1部と2部を行ったりきたりしているクラブだが、そんな彼の新天地についてもう少し詳しく知るため、クラブの本拠地ラス・アル・ハイマ首長国で彼に会った。
イニエスタにとってエミレーツ・クラブは、今後よほど想定外のことがない限り、プロ人生最後の舞台になるだろう。イニエスタは5月11日、40歳になった。体はうそをつかない。個人トレーナーによる筋膜誘導療法の施術を集中的に受け、どんなに懸命にケアしても、トッププレイヤーに求められる体力の限界はチューインガムのようには伸ばせない。
それはUAEのような遠い異国で、サッカーのレベルが高いとはいえない国でも変わらない。そのことを自覚しているイニエスタは、1シーズンしか契約しなかった。
午後4時、イニエスタはペルシャ湾の海水に足を浸す。短パンにTシャツ姿の彼は、考え込んだような表情で高級リゾートのプライベートビーチを歩く。それから海を前に座って、こう言う。
「体が『やめてくれ』と言うことがある。それは、ピッチにいるときじゃない。練習や試合はいまも楽しいからね。コンディションを整えるために毎日、施術を受けなければならないことを考えるときや、子供たちとソファーに寝っ転がっている代わりに施術台に1時間半も横にならないといけないと考えるとき、チームがうまくいっていないことを考えるとき、あるいは夏、気温42度の暑さのなか、しかもこの国の恐ろしい湿気のなか練習しなければならないとき。
この暑さは、経験したことがなければ想像もつかない。『もういいだろう』と思うことが、以前は月に5回だったのが、いろんなことが積み重なって、いまは月に15回くらいになっている」
引退すべきときがきたことは、どうすればわかるのかと尋ねると、こう答える。
「『これまでだ』と自分のなかで言ったとき、そのときが引退のときだ。『もうダメだ』という思いが、『まだやれる』という思いを上回ったときだ」
それがいつになるか予測はついているかと問うと、こう言った。
「もうすぐだ。今年でなければ、来年だ」
日本でレギュラーから外されて
イニエスタは、12歳で入団したバルサでの最後の試合をいまも鮮明に覚えている。2018年5月20日、本拠地カンプ・ノウで争われたレアル・ソシエダ戦だ。ファンが掲げる横断幕のなかには「お前なくして、サッカーはありえない」と書かれたものもあった。
後半の途中でイニエスタに交代の声がかかると、彼はメッシにキャプテンマークを渡して抱擁を交わし、ピッチを去った。代わりに入ったのはパコ・アルカセル。人生には妙な偶然もあったもので、アルカセルは現在、イニエスタのチームメイトだ。イニエスタはこう打ち明ける。
「あのころの僕の夢は何だったのかと聞かれれば、それは40歳で、バルサから選手人生を引退することだった。でもあれが最後のシーズンになることは、自分のなかではっきりしていた」
バルサ退団後、イニエスタは荷物をまとめて家族とともに日本に向けて発った。目指したのは、友人であり、楽天の創業者である三木谷浩史が所有するサッカークラブ「ヴィッセル神戸」だ。
ヴィッセルはそれまで1タイトルも獲得したことがなかった。イニエスタはヴィッセルに2018年5月に入団し、5年間そこに在籍した。イニエスタとともにヴィッセルは2019年の天皇杯を制し、2020年にはスーパーカップで優勝。AFCチャンピオンズリーグへの出場権を獲得した。だがこのストーリーの結末は、イニエスタが夢見たのとは異なるものになる。
イニエスタの計画は吉田孝行監督によって先延ばしにされ、2023年1〜5月までの14試合でわずか30分しか出場できなかった。イニエスタは再びレギュラーになれる可能性を求めて、ヴィッセルを離れることを発表する。
またこの一件とは別に、2024年3月22日には日本の税務当局とのトラブルが報道され、イニエスタの日本での負の経験がさらに1つ増える。税務当局は、イニエスタの所得申告漏れを指摘し、5億8000万円を追徴課税したのだ。
だが、イニエスタの弁護士たちは次のような声明を出した──イニエスタは法に準拠して行動し、スペインと日本の税務当局から二重課税を受けてその両方を納税した結果、実際は「超過納税」が発生している。
現在、問題解決に向けて手続きが進められており、イニエスタの法定代理人は、スペインと日本両国の合意に基づき、超過納税分が返還されることを待っている。
日本ではこうしたトラブルがあったうえに、サッカー人生最悪の怪我をした。にもかかわらず、イニエスタの人生にとって日本は重要な経験となり、彼は感慨深げに日本のことを思い出す。イニエスタが日本で負った怪我は「右大腿直筋近位部腱断裂」という深刻なもので、回復までに5ヵ月間を要した。
「ヴィッセルが、選手人生最後のときになると確信していた。すべてが素晴らしくうまくいっていて、すごく良くしてもらっていた。だからこう思っていたんだ──バルサ、ヴィッセル神戸、そしてサッカーはおしまいだってね。ところが最後の最後で、いろんな事情からプレーできないでいた。でも、体はプレーすることを欲していた。それで自問したんだ。どうする? ここに残るか、それともプレーしながら選手人生を終えるために、別の感覚でプレーできる場所を求めて新たな冒険に出るか。それで、移籍することにした」
UAEを選んだ理由については、こう説明する。
「日本を去ることにしたとき、中東に注目した。スペインからあまり遠くないところで、異なるタイプのサッカーと異なるインセンティブを求めていたんだ」
身体的な現実は誰にも変えられない。だから「より激しくないサッカーを求めていたのか」と問うと、こう答える。
「そうだね。『より激しくない』というのはサッカーの面だけでなく、自分が置かれる環境全般の面でもだ。米国のメジャー・リーグ・サッカー(MSL)のような別の選択肢も考えた。でも最終的には、自分の場所はもう、そこではないことがわかった。それでUAEは、自分と家族の現在と未来にとって最も理想的な場所だと思ったんだ」
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