新会館設計に安藤先生「タダでええわ」 「屋上を作って」には「もうそんなカネないわ」 話の肖像画 落語家・桂文枝<23> 

 

 

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新会館設計に安藤先生「タダでええわ」 「屋上を作って」には「もうそんなカネないわ」 話の肖像画 落語家・桂文枝<23>  - イザ! (iza.ne.jp)

 

 

 

 

 

上方落語協会会館の竣工式に出席した建築家の安藤忠雄さん(左)と=平成24年、大阪市北区

 

上方落語協会会館の竣工式に出席した建築家の安藤忠雄さん(左)と=平成24年、大阪市北区

《社団法人化、落語定席(じょうせき)

(天満天神繁昌亭(てんまてんじんはんじょうてい))の建設・オープン―。

 

上方(かみがた)落語協会会長としての仕事はさらに続く。

 

平成24年4月には、

大阪市北区に上方落語協会の新たな会館が完成した。

 

設計は、世界的建築家の安藤忠雄(ただお)さん

(※昭和16年生まれ。文化勲章受章者)が無償で引き受けてくれた》

 

協会の事務所はかつて、古いビルの狭いところにあったんですが、

繁昌亭ができた(平成18年)ことで、

その中へ移りました。

 

ただし、繁昌亭の土地は

(大阪)天満宮さんから借りたものだから、

「返してくれ」と言われたら更地にして返さねばなりません。

 

だから、繁昌亭で少しもうかったおカネを使って自前の会館を建てよう、

ということになったのです。

 

 

安藤先生とは以前から親しかったのですが、

ある時期から同じマンションに住むことになって、

しょっちゅう顔を合わせるようになりましてね。

 

そのマンションに僕が移るときには、

くれぐれも、「オレより上に住むなよ」とクギをさされていたのですが、

結局選んだのは僕の方が「上」の部屋。

世界的建築家を〝見下ろす〟ことになってしまった(笑

 

 

そんな付き合いで、安藤先生に新会館の設計をお願いしたいと思い、正直に「おカネはこれこれしかありません」と打ち明けると、先生は喫茶店で、さーっと図面を書いてくれました。「あのー、これいくらお支払いすればいいですか?」と尋ねたら、「アンタらからおカネを取ったら後が怖い。タダでええわ」と言ってくださった。ありがたいことです。

 

《完成した新会館は安藤さん得意の〝コンクリート打ちっ放し〟の3階建て》

 

2階部分を広くとって、吹き抜けにしてほしい、と(安藤)先生にお願いしたのは、もしも将来、繁昌亭がなくなったとき、代わりにここを使おうという考えがあってのことです。まぁ、若手らの落語会くらいはできるでしょう。

さらに、「屋上をつくってほしいんですよ。天神祭をそこから見物したいから」と頼んだのですが、さすがに先生からは「もうそんなカネないわ」と怒られましたなぁ(苦笑)。とにかく、立派なものをつくっていただき、感謝です

 

 

 

文枝さんには会長としてやりたかったことがまだまだあった。そのうちのひとつが「真打(しんう)ち制度」の創設(復活)だ。東京の落語界には、前座(ぜんざ)→二(ふた)つ目(め)→真打ちという明確な区分があるが、上方にはない》

 

ひとつには、真打ち制度ができたら、「披露興行」ができるでしょう。出番をなかなかつくれない噺(はなし)家にも、その機会をつくってやれると考えたからです。会長の僕をサポートしてくれていた(桂)春之輔(はるのすけ)さん(現・四代目春団治(はるだんじ))が強烈なバッシングを受けつつも、いろんな若手に出番をつくるよう頑張っていたのも見ていましたから。

だけど、そのときは反対意見が多くて、結局は実現しませんでした。その理由は、とどのつまり、どこから始めるか?

「(真打ちを)誰が、どうやって決めるのか?」というややこしい問題がまずあった。それじゃ、入門から15年とか20年とかで一律にするか? という意見もありますが、そうなると「頑張っている人」と「さほど頑張っていない人」も〝平等〟に扱うことになってしまう…。そのときはそれらの意見をまとめるのが難しかったのです

 

 

 

その後も真打ち制度をめぐる検討は続いている。今夏以降、入門15年目の噺家を対象とした「上方落語・噺家成人式(仮称)」の公演が順次、実施される見通しになった》