日本遺産プロモーション映像【JAPAN HERITAGE OFFICIAL THEME SONG】

 
 
「日本遺産(Japan Heritage)」は地域の歴史的魅力や特色を通じて、我が国の文化・伝統を語るストーリーを文化庁が認定するものです。  本映像は、全国に104ある日本遺産ストーリーの魅力を、マーティ・フリードマンの楽曲「JAPAN HERITAGE OFFICIAL THEME SONG」に合わせて映像化したものになります。 日本遺産について詳しく知りたい方は、日本遺産ポータルサイトをご覧ください! → https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/ JAPAN HERITAGE OFFICIAL THEME SONG 作曲:マーティ・フリードマン 編曲:佐々木 章 演奏:マーティ・フリードマン&東京フィルハーモニー交響楽団&大倉正之助 ■撮影地 「重要文化財旧堀田家住宅」 → https://www.city.sakura.lg.jp/soshiki... ----------- "Japan Heritage" is a program recognized by the Agency for Cultural Affairs to recognize stories that tell of the culture and traditions of Japan through the historical attractions and characteristics of a region.  This video is a visualization of the charms of the 104 Japan Heritage stories throughout Japan, set to the song "JAPAN HERITAGE OFFICIAL THEME SONG" by Marty Friedman. To learn more about Japanese Heritage, visit the Japan Heritage Portal site! → https://www.japan.travel/japan-heritage/ The crew of "JAPAN HERITAGE" music video production Music: "JAPAN HERITAGE OFFICIAL THEME SONG" / Marty Friedman&Tokyo Philharmonic Orchestra&Shonosuke Okura Performed by:Marty Friedman Director/Editor:ITSUKA (AMP UP) Videographer: Kazuya Nakajima Lighting: Fuyuki Ishikawa Hair & Make-up: Yuri Yasuda Costume Designer : Satomi Shirata Producer:Kinya Takano "Former Residence of Hotta" [National Important Cultural Property/Scenic Beauty] (Sakura Garden) 

Marty Friedman

 
 
 
 
 
 
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世界的バンドから日本のお茶の間へ─英紙が見た「マーティ・フリードマンの奇妙な人生」

クーリエ・ジャポン

Photo: Jun Sato / Getty Images

 

 

 

ヘヴィメタル・バンド、メガデスの元ギタリストとして日本でもお馴染みのマーティ・フリードマンに、英紙「ガーディアン」がインタビュー。

 

その唯一無二のキャリアと、

 

いまだに魅了され続けているという日本への想い

 

を語った。

 

 

  【画像】黄金期のメガデス 

 

 

メガデスのギタリストが、

なぜ日本の昼間のテレビ番組で

化粧品の品評をするに至ったのか、

というのは、

ヘヴィメタル史上、最も困った問いと言っていいだろう。 

 

「チャレンジするのに夢中になったんですよ。

本当にこれが自分にできるんだろうか、ということに」と

マーティ・フリードマンは笑う。 

 

「その最難関が、ある番組の審査員でした。

女の子たちが登場して、念入りにメイクをする番組なんです。

この世のなかに、自分にとってこれほどどうでもいいことはないのに。

『ほう、このファンデーションにこのチーク、あの子によく似合うじゃない!』なんてね」 

 

フリードマンがメガデスに参加したのは1990年のことだ。

彼はこのヘヴィメタル・バンドが、

ミリオンセラーを達成して90年代のメインストリームに躍り出て、

メタリカ、

スレイヤー、

アンスラックスと並ぶ

このジャンルの「四天王」になるのに一役買った。

 

しかし2000年に脱退し、

その3年後には米国を去って、

日本での新生活を開始した。 

 

彼は日本で、ソロアーティストとして楽曲制作を続けながら、

この国のポップカルチャーにおいて唯一無二の、

存在感のある地位を確立してもいる。 

 

メイクについてのご意見番として招かれるだけでなく、

外国人初の日本遺産大使にも任命され、

国の行事で流す日本遺産のテーマソングの作曲を政府から委託されもした。

 

数々の広告やテレビ番組にも出演している。

なかでも「ヘビメタさん」は有名で、

映画『ウェインズ・ワールド』的な風刺でお茶の間の人気をさらった番組だった。

 

 

 「一時期は文無しのホームレスだったこともありましたが、どこにいても安全だとわかりました」。

 

メガデスを飛び出して、このなじみのない世界に来たときのことを彼はこう語る。

 

 

 「度胸があったから、とは言いたくない。

バカな奴だと思った人もいたでしょう。

音楽業界で食べていけるというのは、宝くじに当たったようなものだから。

でも、偉大なメタルバンドのリード・ギタリストでいるよりも、

音楽で僕ができることはもっとずっとたくさんあると思っていたんです

 

 

 

 

 

「メガヒットがなかったのをありがたく思っている」

フリードマンは、ロサンゼルスからビデオ通話で取材に応じてくれた。

 

目下、18枚目のソロアルバム『Drama』のミュージックビデオの撮影中なのだ。

 

豊かなメロディーの、インストゥルメンタルの楽曲を制作しており、

彼はそれを「人から涙と寒気を引き出す音楽的感動」と呼ぶ。 

 

ソロ作品でも攻めの姿勢に不足はないが、

転調やオーソドックスでない技法を用いた実験の話をするときの彼の眼は、

喜びに輝いている。

 

「あいつ、投げやりになってきたな、と言われるような奴には絶対になりたくない」と彼は言う。 

 

「成功したこともあったし、成功しなかったこともあったけど、

ある意味、自分を決めてしまうメガヒットがなかったのをありがたく思っているんです。

そのおかげで自分の音楽の純粋性を保てているんだろうな、と。

メガヒットしちゃうと、向上心がなくなりかねないでしょう」

 

 

日本に惚れたきっかけ

20年経っても、

いまだにフリードマンは日本社会に魅了されている。

 

東京は「ニューヨークを極端にした感じ」と彼は言う。

 

 「せわしなくて、

カラフルで、

やることが無数にあって、

でも何より気に入っているのは、

徹底して安全だということ。

この20年、ちょっとでも怖いものを目にしたり、感じたりしたことはなかった。

犯罪はまったくないです。

僕は歓楽街の隣に住んでるというのに! 

いったんそれに慣れてしまうと、そりゃね……」 

 

この国に惚れたきっかけは、ツアーだった。

「ファンや僕にとても良くしてくれたスタッフへの敬意から、その言葉を習得したいと思い、メガデスを去る頃までにはほぼ流暢というレベルになっていました。

でもその2~3年前からすでに、

日本の音楽ばっかり聴いていて、それを演奏したかったし、それに没頭したかった。

 

自分の音楽の夢に従ったまでです」 

 

 

国内のテレビパーソナリティとしての地位は、

制作会社の知己を得てから雪だるま式に拡大した。

 

「本当に突然動き出して、あらゆるテレビ番組に出るようになったんです。

バラエティ、

コメディ、

政治番組、

クイズ番組、

映画、

大企業のCM。

いずれも、自分がやろうと思っていたわけじゃなかった」

 

 

英語の自伝に書いた「筋金入りのファンも知らないこと」

2024年後半に出版予定の自伝『Dreaming Japanese』は、フリードマンが言うところの「日本社会に応じた変容」に焦点を当てており、上述の経緯もすべて書かれている。 「それについてはずっと何年も、すごく大勢の人たちから質問されてきました。そんなことをやった人は他に誰もいないって言われたんですよね。一部の人は僕のことを、日本へずらかってテレビに出ているギターの奴だと思っているかもしれないし、多くの人にとってはそれでおしまいなんだろうけど、この本には僕の筋金入りのファンでも知らないようなことまで書いています。初恋や初体験、結婚、離婚とかね」 たしかに、いざこざ話はあるだろう。1990年にメガデスに行き着く前、フリードマンはホームレス生活をしながら、マドンナやキッス、オジー・オズボーンのオーディションを受けては落ちていた。だが、ロックンローラーの回想録にありがちな、行き過ぎた物語はここにはない。 「僕はメガデス時代を通じて、バンド内で唯一のしらふな人間でした。だから見方は正確だし、視点も違っていました」。魅力あるロックの回想録を書くのに、「悲劇や瀕死の体験やドラッグの過剰摂取」が必ずしも必要なわけではない、と彼は言う。 「大勢の人が、馬鹿げたことやリスクを冒すこと、夢を追いかけるために心地よい状況を捨てることをしたがると思う。陳腐に聞こえるかもしれないけど、それがまさに僕がやったことであって、その部分に感動してもらえたらいいですね」

Christopher Lord

 

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