広大なキャンパスを持つワーゲニンゲン大学

 

広大なキャンパスを持つワーゲニンゲン大学 Photo: Yuxuan Fan / Getty Images

Photo: Yuxuan Fan / Getty Images

 

 

 

ル・ポワン(フランス)

 

Text by André Trentin

 

農業分野で世界のトップに立つオランダのワーゲニンゲン大学の学長は「農業をこのままの体制で続けることは不可能」と語ると同時に、すべてを有機農業に移行すればいいわけでもないと主張する。それではどうしたら、持続可能な農業を営むことができるのか。「農業界のスタンフォード大学」の取り組みを、フランス誌が取材した。


「環境や生物多様性を尊重しつつ、世界人口に対応する食糧を確保することは可能です」

すがすがしいほどに楽観的な意見だが、ワーゲニンゲン大学の学長ショーケ・ヘイモヴァーラの言葉なのだから、重みがある。ワーゲニンゲンはアムステルダムから南東に90キロのところにある小さな自治体だ。同大学は、あらゆる世界ランクのトップに君臨する農業界の権威として、この分野のスタンフォードとも謳われる。

オランダ政府の「シンクタンク」とも目され、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)からも諮問を受けているうえ、充実した予算(8億5200万ユーロ)を持ち、世界中に支所がある。またワーゲニンゲン大学は、毎年、農業のダボス会議といわれる「F&A Next」を主催。6万2000人におよぶ卒業生は堅固なネットワークを形成し、さまざまな国の省庁や多国籍企業、NGOに所属している。
 

欧州各地の農業従事者たちが不安を表明しているいま、質素なオフィスで語られた学長の言葉は異彩を放つ。

「農業はずっと生き残ってきたし、これからも生き残ります。たとえ政治家が長期的なヴィジョンを何も示さず、手を差し伸べなかったとしてもです」

こうした揺るぎのない言葉は、ワーゲニンゲン大学の存在意義である「革新」に対する彼女の忠実な姿勢からきている部分もあるだろう。

「このまま続けるのは不可能です。すべてを変える必要があります。20世紀の農業哲学は大規模な生態学的荒廃を生み出しました」

そう語るのは、ウェイナント・シュッケルだ。彼は大学内に約10ヵ所ある農場の一つとすべての実験センターを管理している。ここ4年間、彼が管理する1270ヘクタールの広大な農地のうち25ヘクタールという小さな一角で、新しい農法の研究がおこなわれてきた。
 

単一栽培、遺伝子的な均一性、凄まじい威力で動く機械、分別なく撒かれる肥料や殺虫剤、野生の自然が後退する世界──そういった古い農業世界を根底から変えたいと考えているのだ。彼は自分の農場で、耕作を避けて土壌を呼吸させ、自然排水を利用して土地を豊かにさせることで、「持続可能な方法で、より多くを生産すること」を目指している。面白いのは、彼が依然として合成製品の力を借りていることである。

「殺虫剤や化学肥料は、それ自体が悪いわけではありません。問題なのは、それらを見境なく使うことです。上手くやれば、使用する殺虫剤を20~50分の1にすることができます」という。グリホサート(除草剤に含まれる主な成分)に関しても迷いはないようだ。

「環境にとって、もっとも危険の少ないものです。とはいえ、これまではあまりにも見境なく撒き散らされてきました。代用品はありませんね。もちろん、より良い製品があれば採用しますが

 

 

 

農業

 

問題なのは、見境なく化学薬品を撒き散らすこと Photo:Don Mason / Getty Images

 

 

AIを駆使


シュッケルによれば、これらの製品をごく少量使用しつつ、精度の高い農業を促進するためには道具を見直す必要性があるという。現在、彼はドローンにセンサーを搭載した、非常に軽い新しいロボットの開発に農業用具のメーカーと共に取り組んでいる。

「AIを用いることで、収穫物全体にではなく病気の植物だけに手当てができるのです」
 

温度や湿度といった情報をロボットが大量に収集し、それをAIが処理するのだ。

「未来の農場」の新しい点は、いわゆる帯状作と呼ばれる方法だ。広大な土地で一種類の作物を栽培する代わりに、土地を3~15メートル幅の帯状に区分けし、さまざまな作物を育てる。さらに、小麦とエンドウ豆といった、互いに刺激し合う複数の栽培作物を隣り合わせに配置する混作をおこなうこともできる。

こうした方法を用いることで生物多様性を維持することができるうえ、虫や鳥たち、小動物が身を隠すための茂みや低木を確保することもできるのだ。

さらに彼は、巨大な風力タービンを指さし、化石燃料は「最大の問題ではない」とも語る。農場には35台の風力タービンがあり、生産した電力の余剰分は隣町に供給されている。いずれは電気分解装置を用いて水素を生み出し、トラクターやコンバインといった農業機械を動かすのに使おうと考えている

 

 

 

 

フードバレー」の形成


しかし彼らが見ているのは「『未来の』農場であり、『明日の』農場というわけではない」という。進展は少しずつなのだ。初期の成果は「1ヘクタールあたり小麦が10トン、ジャガイモが50~55トンで、素晴らしい収穫量」だったが、こうした生産方法には費用がかかり「少なくとも20%のコストアップは必要になる」。

とはいえ「パンを除いて、食品の価格構成のなかで原材料はそこまで大きな比重を持ちません」と、シュッケルは補足する。彼の実験は農業界から大きな関心を集めており、研究に注目する人たちを世界中から受け入れている。
 

「マクドナルド」「ユニリーバ」「ペプシコ」「マッケイン」といった多国籍企業からもやってくる。実は、民間企業との協働はワーゲニンゲン大学の遺伝子だ。周囲100キロには大小多くの企業が密集し「フードバレー」を形成しており、ユニリーバに関しては大学キャンパスのすぐ隣に研究センターを置いている。

これには歴史的な背景がある。今日(こんにち)のように環境や生物多様性の保護を前面に押し出すようになる前、1876年に創設されたこの大学は工業型農業を推進してきたのだ。世界第2位の農産物輸出国であるオランダは、いまでも工業型農業のプロトタイプである。

これについては、ワーゲニンゲンの卒業生ヤン・ダウウェ・ファン・デル・プルーヒが、大学が出資する学生向けの雑誌「リソース」のなかで語っている。彼は記事のなかで、この学校が何十年にもわたって「巨大な農産業複合体」としての歩みを続け、依然として「ビジネス界」を考慮に入れすぎていることを批判し、さらにオランダの畜産業者たちの怒りを買った窒素削減計画を考案したのはワーゲニンゲンだと非難してさえいる。
 

完全にオーガニックに移行するのは不可能


大学構内では、産業モデルに関する批判はあまり見られない。大学のポストに就く前、学長のヘイモヴァーラは育種専門の民間企業で働いていた。「農業の規模は重要ではない」というのが彼女の意見だ。

「大きな牛の群れのほうが小さな群れよりも環境に配慮していない、という科学的な根拠は、私の手元にはありません」という。また、ワーゲニンゲン大学の研究者や教員たちは、生物多様性への貢献が明らかではない垂直農業や温室栽培に対して何も文句はないという。遺伝子組み換えや新たな育種技術に関しても同様で、彼らに言わせれば、それらは品種開発に必要な研究を進めるためには、非常に役立つのだ。
 

有機農業に関しては、その価値を否定するわけではないものの、ワーゲニンゲン大学の誰一人としてそのモデルを世界中に広めようとは考えていない。

研究者のヒェルト・ケマは20年にわたってバナナの新種開発に取り組んでいる。しかしこの分野に関して「完全にオーガニックに移行することは不可能」だとし、「もしそうすれば、もうバナナはできませんよ。ほかの作物の多くも同じことでしょう」と語る。一方、経済学者のルール・ヨンヒェネールはこう主張する。

「世界人口の増加に伴って耕作地を拡大するというのは、できることではありません。ですから、私たちは有機農業ではない土地の生産増加に頼ることになるわけです

 

 

 

富裕国の食生活を変えるべき


学長は「西欧諸国は食事のあり方を変える必要がある」という点も強調する。要するに食べる肉の量を減らすということだ。方程式を教えてくれたのは、イングリット・ファン・デル・メールだ。彼女もほかの研究者と同様、中央の大きなフォーラムからそう遠くないところに並ぶ小さなオフィスで働いている。彼女はこう説明する。

「1キロの動物性タンパク質を生産するには、3〜6キロの植物性タンパク質が必要です。西欧諸国では、動物性たんぱく質の消費量が60%であるのに対して、植物性は40%です。この比率を逆にさえすれば、人口増加による必要性を満たすことができるわけです。実際、富裕国の食生活を変えれば、食糧生産のための表面積を増やすことができるでしょう」
 

これによって、さらに畜産による環境汚染(CO2、メタンガス、窒素)を削減できることは言うまでもない。とはいえ、彼女はすべての人にヴィーガンになるよう求めているわけではないという。

「単に少し肉の量を減らすだけでいいんです」

大学の未来は研究室からやってくる。そして実際、ワーゲニンゲン大学にはその力が備わっているようだ。リック・ファン・デ・ゼッデは、2200万ユーロ(約37億円)を投資した新しい温室を見せてくれた。

この最新型の建物には、数千種類もの植物が列を成している。それらはロボットによって栽培され、カメラがそれを記録し、データはすべてデジタル化されている。光合成の研究者である彼は必要な実験を一元管理している。

教員や研究者、さらに彼らと協働する学生たちから提出された研究プロジェクトはすべて資金面で恩恵を受ける。資金は、オランダ政府やほかのさまざまな機関、グリーンピースといったNGO、ビル・ゲイツやロックフェラーなどの財団、さらには民間企業からやってくる。
 

エチオピアでは「ぺプシコ」社と共同でジャガイモのプロジェクトが進められているし、ワーゲニンゲン大学のヒェルト・ケマはバナナ開発に関して、この分野のリーダー的存在である「チキータ」社や種子や殺虫剤の製造をおこなうスイスの「シンジェンタ」社(同社は中国の傘下に入っている)と緊密に連携し、「4~5年以内には準備が整うだろう」と期待を膨らませる。
 

スタートアップが生まれる環境


それでは何か新しいことがわかったら、どうするのか。

「何か有益なアイデアが浮かんだとき、引き出しの奥にしまっておきたいとは思いませんよね」と語るのは、慈善団体との連携に従事するフランソワーズ・ファニー・カステルだ。彼は50名以下のメンバーからなる「価値創造部」という、かなり独自な部門のディレクターを務めている。その役割の一つは、大学内での新しい知見をビジネスに変換することだ。

とはいえ「私たちは会社や団体に投資するわけではありません」と強調する。ボランティアにマネジメントコースを提供したり、インキュベーター施設を管理したりといった部分で力を発揮しているのだ。彼は「あまりの応募に圧倒されています!」と語る。毎年、(1万3000人のうち)2000人近い学生が起業のアイデアを持ってやってくるのだ。

最終的には70ほどのプロジェクトが検討され、そのうち5~10がスタートアップとして始動する。これもまた、ワーゲニンゲンの特徴であるプラグマティズムが示されている部分だ。学長はこう話す。
 

「新しいことを発見するための道は明確に示されています。しかし、私たちは常にそうしたものを具体的に結実させたいと考えているのです

 

 

「農業界のスタンフォード大学」が描くオーガニックじゃない「未来の農業」 | クーリエ・ジャポン (courrier.jp)