「わび・さび」は日本に”逆輸入”された言葉だったことを知っていますか?

クーリエ・ジャポン

Photo: Annie Spratt / Unsplash

 

 

 

 

 

「わび・さび」はいまや海外でも“Wabi-Sabi”として知られているが、この日本独特の概念を定義するのは日本人でも難しいだろう。ワシントン大学で日本語や日本文学を教えるポール・アトキンス教授が、「わび・さび」が日本国外に広まった経緯と、その美学に外国人が惹かれる理由を解説する。 

 

 

 

 

 

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日本に逆輸入された

先日ニューヨークを訪れた際、マンハッタンにある日本の書店に立ち寄った。日本に関する英語の本が並ぶなか、「わび・さび」専用の棚があり、『わび・さびの恋愛術』『わび・さび道』『芸術家、デザイナー、詩人、哲学者のためのわび・さび講座』などのタイトルが陳列されていた。 いったい「わび・さび」とは何なのか、そしてなぜ「寿司」や「空手」といったジャンルと並び、独自のコーナーが設けられるほどの扱いを受けているのか? 「わび・さび」は、一般的には伝統的な日本の美意識と説明されている。「傷がある」または「未完成な」という意味合いでの「完全な不完全さ」の美だ。実は「わび」と「さび」は似て非なる概念だが、日本以外では一緒くたに扱われることが多い。 日本で育った人でも、「わび」と「さび」を正確に定義するのは難しいかもしれないが、どちらも間違いなく日本独自の考え方で、とくに難解な概念ではない。 日本の古語や古典文学、伝統文化を研究する身として、私も「わび・さび」と、それが日本国外で理解されるに至った経緯について専門的な関心を持っている。 グーグル・ブックスをざっと検索してみると、この言葉が英語の文献に現れはじめたのは1980年頃だとわかる。おそらくこれは、日本の美術評論家・柳宗悦の評論集が1972年に『The Unknown Craftsman(無名の工匠)』として英訳出版されており、それに対する反応が遅れて訪れたのだろう。 本作中の「不規則性の美」と題されたエッセイのなかで、柳は「茶道」とその素朴な優美さについて語っている。茶道にとどまらず、柳はタイトルが示すように、完璧、洗練、対称性といった伝統的な理想とは異なる美の感覚に魅了されていた。 「『素朴さ』の背後に隠れた美がひそんでおり、私たちはそれを『渋い』『わび』『さび』という独特の形容詞で呼んでいる」と柳は書いている。 「渋い」とは、「質素な」とか「控えめな」というような意味だが、日本国外で広まったのは、わびとさびのほうだった。おそらく、二語が韻を踏んでいるためだろう。 米国やその他の国々で流行した後、「わび・さび」という言葉は複合語として日本に逆輸入された。

Paul S. Atkins

 

 

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