この散歩記事を

 

読んでいて、

 

『懐かしくて、涙が出てきてしまいました!』

 

 

===========================================================================

 

 

 

 

 

 

 

 

 

80年(昭和55年)前後に

若い女性の人気を集めたファッショントレンド

「ハマトラ」

 

(と下の記事にありますが、

私が知る限りでは、

1963年くらいから、1971年くらいですーーーーおせっかいでした、。丸!)

 

======================================

 

元町は、神奈川県の、”宝” です。

 

 

 

 

 

 

 

==================================

米軍住宅跡に隈研吾氏の建築、横浜臨港南部で昭和に見た未来をたどる

「昭和の夢」を探し横浜・元町から磯子へバス散歩(前編)

下田 健太郎
 
 
 
米軍住宅跡に隈研吾氏の建築、横浜臨港南部で昭和に見た未来をたどる | 日経クロステック(xTECH) (nikkei.com)
 
 

横浜市の臨港エリアで、元町地区周辺から本牧・根岸地区を経てJR磯子駅付近に至る南部。派手な大規模開発が目立つ山下公園以北に比べると、昭和時代の薫りを町並みの随所に強く感じる一帯だ。歩車共存でにぎわいを生んだ商店街、かつて注目を集めた大型ショッピングセンター、レジェンド級デザイナーによるインフラ構造物、電柱地中化など先駆け的な技術を盛り込んだ高度経済成長期の大規模団地――。社会全体が若く熱気にあふれていた時代に人々が「夢」を感じた場所を、巡ってみる。

「昭和の夢」を探し横浜・元町から磯子へバス散歩ルート

 

1:横浜元町ショッピングストリート
2:霞橋
3:キリン園公園(ビヤザケ通り)
4:横浜インターナショナルスクール
5:イオン本牧店および周辺(旧マイカル本牧)
6:浜マーケット
7:禅馬歩道橋
8:磯子アベニュー
9:ブリリアシティ横浜磯子(横浜プリンスホテル跡地)
10:汐見台団地A公園(通称「ぶた公園」)
11:汐見台小学校
12:汐見台中央商店街

※散歩時間の目安:ノンストップでおよそ3時間半(取材時。途中のバス移動を含む)。1~4は前編、5~8は中編、9~12は後編で紹介

前編の散歩ルート

前編の散歩ルート

[画像のクリックで拡大表示]

中編の散歩ルート

中編の散歩ルート

[画像のクリックで拡大表示]

後編の散歩ルート

後編の散歩ルート

[画像のクリックで拡大表示]

 

 

 

 

1:横浜元町ショッピングストリート、

 

 

2:霞橋、

 

 

3:キリン園公園(ビヤザケ通り)、

 

 

4:横浜インターナショナルスクール、

 

 

5:イオン本牧店および周辺(旧マイカル本牧)、

 

 

6:浜マーケット、

 

 

7:禅馬歩道橋、

 

 

8:磯子アベニュー、

 

 

9:ブリリアシティ横浜磯子(横浜プリンスホテル跡地)、

 

10:汐見台団地A公園(通称「ぶた公園」)、

 

 

11:汐見台小学校、

 

 

12:汐見台中央商店街。

 

 

オレンジ色の線は徒歩、青色の線はバスの移動を示す(出所:国土地理院の地図データに日経クロステックがデータを加筆)

 

 

 

 2024年を昭和で勘定すると「昭和99年」。来年は昭和100年の区切りを迎える。今日では日常生活から政治・経済の最前線に至るまで、社会の各所で昭和的な価値観や仕組みの限界が露見する半面、ここ数年はデジタルネーティブの環境で生まれ育った10代半ばから20代後半の若者層、いわゆるZ世代を中心に「昭和レトロブーム」が広がっているというから面白い。

 

 

 

 今回巡る横浜臨港エリアの南部は第2次世界大戦後、バブル崩壊に至る昭和後期に、大規模な産業集積とベッドタウン化が急速に進んだ一帯でもある。移りゆくそれぞれの時代を彩った文化的流行の発信源として注目を集めた場所もあった。社会全体が若く熱気にあふれていた時代に、多くの人々が未来への期待を込めて抱いた「夢」のかけらを、現在残る町並みのなかに探してみたい。そのほかの注目スポットも道々で幾つか見ていく。

 

 

 

 

 紹介する散歩ルートの全長は結構距離がある。そこで今回は、途中の数カ所で横浜市営バスを使うことにした。乗車する区間は、距離の長短によらず均一料金(取材時点で現金・交通系ICカードとも大人220円)の前払い方式なので、乗り慣れない人でも気軽に利用できる。車窓から町並みを眺めてのんびり移動する「バス散歩」もいいものだ。バスを含めて、行程全体の所要時間は3時間半程度。ちょっとした半日旅行としてお楽しみいただければ……。

 

 

 

横浜元町ショッピングストリートのメイン通りは延長約600m。車道幅員を縮小・蛇行させて走行車両の速度低下を促し、歩車共存空間を生み出す「ボンエルフ型」の導入で、全国でも早かった整備例の1つだ。この整備手法では、千葉県浦安市の団地「入船西エステート」(敷地内道路)や松江市の南殿町商店街などでの導入例もよく知られている。(写真:下田 健太郎)

横浜元町ショッピングストリートのメイン通りは延長約600m。車道幅員を縮小・蛇行させて走行車両の速度低下を促し、歩車共存空間を生み出す「ボンエルフ型」の導入で、全国でも早かった整備例の1つだ。この整備手法では、千葉県浦安市の団地「入船西エステート」

(敷地内道路)や松江市の南殿町商店街などでの導入例もよく知られている。(写真:下田 健太郎)

[画像のクリックで拡大表示]

 

 

 まずは徒歩で散歩を始めよう。

 

スタート地点は元町交差点だ。

 

最寄りの鉄道駅はJR石川町駅で徒歩2~3分。

横浜高速鉄道みなとみらい線の元町・中華街駅からも、

少し回り道だが5分程度でアクセスできる。

 

交差点の東側にこのエリアを代表する商店街、

横浜元町ショッピングストリートのフェニックス像を冠したモニュメント・アーチが見える。

 

 

 のっけからメインテーマを外れて恐縮だが、

04年2月に開業した

 

元町・中華街駅は

 

建築家の

 

伊東豊雄、

 

早川邦彦、

 

内藤廣

 

の各氏が空間デザインを担当

したことで知られる。

 

 

3氏いずれも土木系で初めて手掛けたプロジェクトとしても当時話題を集めた。同駅を経由するなら、ぜひご一見あれ

 
 
 

話を横浜元町ショッピングストリートに戻して、商店街を海の方向へ歩いていこう。この商店街では1955年(昭和30年)ごろから、店舗建物のセットバック化などによる本格的な歩行者空間の整備が始まった。

 

 

85年(昭和60年)には、歩車共存を図ると同時ににぎわい創出を狙い、「ボンエルフ型」の考え方を導入した大規模改修を実施して今日の姿の原型が生まれた。

 

 

 

車道の蛇行箇所で生まれる歩道部分の空間的余裕に、ベンチなどのストリートファニチャーを設置。にぎわい創出の仕掛けの1つだ。休日の混雑時には、こうしたベンチなどに腰掛けて休息する人を多く見かける。(写真:下田 健太郎)

車道の蛇行箇所で生まれる歩道部分の空間的余裕に、

 

ベンチなどのストリートファニチャーを設置。

 

にぎわい創出の仕掛けの1つだ。

 

休日の混雑時には、こうしたベンチなどに腰掛けて休息する人を多く見かける。(写真:下田 健太郎)

[画像のクリックで拡大表示]

 

 

 ボンエルフ型とは、

 

主に生活道路で、

 

車道の幅員を縮小したり

 

適度に線形を蛇行させたりして

 

走行車両の速度低下を図り、

 

歩道の拡幅も加味して

 

ゆとりある歩車共存空間

 

を確保する道路整備手法のこと。

 

70年代のオランダに発し欧州各都市で導入例が広まった。

 

日本でも昭和末期から平成にかけて、

 

商店街や大規模団地の生活道路整備で普及。

 

横浜元町ショッピングストリートは

 

全国でも早い時期の整備例の1つで、

 

以来、地元官民の密接な協働によるまちづくりで今の姿が形成されてきた。

 

 

 

ストリートファニチャーの例。取材時は2024年1月末で、横浜中華街に近い場所でもあるためか、春節向けと思われる装飾物が各所に見受けられた。横浜元町ショッピングストリートを中心としたまちづくりは、市と地元商店街(元町エスエス会)の密接な協働で進められてきた。(写真:下田 健太郎)

ストリートファニチャーの例。

取材時は2024年1月末で、

横浜中華街に近い場所でもあるためか、

春節向けと思われる装飾物が

各所に見受けられた。

 

横浜元町ショッピングストリートを中心としたまちづくりは、

市と地元商店街(元町エスエス会)の密接な協働で進められてきた。

(写真:下田 健太郎)

[画像のクリックで拡大表示]

 

 

 

 かつて80年(昭和55年)前後に

若い女性の人気を集めたファッショントレンド「ハマトラ」

(「横浜トラディショナル」の略称といわれる)

の発信源となったのも、

 

 

この商店街だった。

 

 

靴のミハマ、

 

 

バッグのキタムラ、

 

 

シャツのフクゾー

 

といった定番ブランドの店舗は、

今も通り沿いの“顔”。

 

家具や洋食器など、開港以来の歴史を背景にした商業集積も色濃い。

 

 

新型コロナウイルスの禍中は店舗の空きや縮小も見かけたが、徐々に以前の活気を取り戻してきている

 
 
 
 

商店街を抜けて海の方向に歩を進めると、山下橋東交差点に達する。交差点を右折して、本牧地区方向に伸びる大通りを直進する。少し歩いた先にある新山下1丁目交差点で左折してやや細い道に入ると50mほど先に、運河に架かる白い小ぶりの鋼製トラス橋が見える。誕生から約130年間にわたって現役を続ける歴史的な英国製プラットトラス橋、霞橋(かすみばし)だ。

新山下運河に架かる霞橋は支間長31.4mの小ぶりな橋で、橋上は片側歩道と新山下1丁目交差点方向に一方通行の1車線道。明治時代に生まれた英国製プラットトラス橋の部材を再利用し、2回にわたる移設を経て現役を続ける「幸運な橋」だ。横浜市が旧橋の架け替え事業として発注し、設計はオリエンタルコンサルタンツが担当した。(写真:下田 健太郎)

新山下運河に架かる霞橋は支間長31.4mの小ぶりな橋で、橋上は片側歩道と新山下1丁目交差点方向に一方通行の1車線道。明治時代に生まれた英国製プラットトラス橋の部材を再利用し、2回にわたる移設を経て現役を続ける「幸運な橋」だ。横浜市が旧橋の架け替え事業として発注し、設計はオリエンタルコンサルタンツが担当した。(写真:下田 健太郎)

[画像のクリックで拡大表示]

 元々は明治中期の1896年(明治29年)に隅田川に架かる鉄道橋として生まれ、その後、横浜市鶴見区と川崎市幸区をまたぐ道路橋として移設。さらにその一部の上部工を再利用したのが霞橋で、2013年に完成した。長い昭和時代を挟み、1世紀を超えてなお役目を果たす「幸運な橋」――。その武骨ながら往時の熱量を感じさせてくれる姿は、ひと目見ておく価値がある

 

 

霞橋から新山下1丁目交差点に戻って、大通りを本牧地区方向に散歩を続けよう。1ブロック先の新山下2丁目交差点で横断歩道を渡り、大通りを右折。やや細い道に入って少し進むと、緩傾斜のつづら折り階段が見えてくる。この階段を上っていこう