まさに、この写真のごとく、
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ロシアになればウクライナよりいい暮らしになる」現地取材で、挨拶をしてもそっけない“親ロシア派”住民の本音とは
〈「活動はロシア侵攻から次の日に始めた」「遺体の損傷はひどかったらしい」ボランティア男性らが語る“ウクライナ侵攻2年”〉 から続く
【画像】ハルキウでの取材中、目の前の団地に砲撃が着弾した瞬間
今回の取材で滞在していたクラマトルスクから、
かつての激戦地セベロドネツクへ
向かう街道の途中にシベルスクという街がある。
前線に近く、
ロシア軍から攻撃を受けるこの街にも、まだ住民が残っているそうだ。
ここへ行くにも軍の許可が必要だったため
軍の報道官を連れて行くことになった。
シベルスクへ向かう道は雪解けでぬかるんだ泥道で、
砲撃で出来たのか穴だらけで行くのにもそれなりの時間がかかった。
私は以前この道を通ったことがある。
2022年の取材で砲撃された時だ。
その時は道はここまで荒れてなかった記憶があるので、
道に出来たいくつもの大穴はロシア軍の砲撃によって出来たのだろうと推測できた。
街のほとんどの家屋は破壊されていた。
多くの住民が避難しているようだが、時たま人影を見ることが出来た。
車に乗っていると気が付かないが、歩いているとどこからか、ゴーン、ゴーン、と不気味な音が鳴り響いていた。この音には聞き覚えがある。砲撃が街のどこかで着弾しているのだ。
老夫婦に発電機を届けに行き、凄まじい攻撃に遭遇
前回の取材の2022年4月、
私はウクライナ北東部の街、
ハルキウを日本人ジャーナリストI氏と共に取材していた。
当時のハルキウはロシア軍が街まで2キロのところに迫っており、
頻繁に街中へ攻撃が行われていたため、
住民は地下鉄駅に避難していた。
取材の手伝いをお願いしたウクライナ人、
アンドリの友人がボランティア活動をしているというので、
その取材をしていた時にその音を聞いたのだった。
ハルキウ北東にサルトウカ
という団地が建ち並ぶ地区がある。
その地区は
ロシア軍の前線に最も近いため、
砲撃が集中的に行われていた。
その地区に住む老夫婦の元へ発電機を届けに行くのだという。
老夫婦には小児麻痺の子どもがいるため避難できないでいるという。
老夫婦のアパートに到着し、階段を登り始めた頃に、
そのゴーン、ゴーンという音は聞こえ始めた。
老夫婦の部屋にたどり着く頃には音は激しさを増しており発電機を設置している間には、雷が近くに落ちたようなバシャーン、バシャーンという音を出していた。着弾の衝撃波で部屋のガラスもビリビリと鳴り私達もボランティアたちも危機を感じていた
挨拶をしてもそっけない、親ロシア派の住民
発電機の設置を終えると
すぐに車でその場を離れた。
団地の合間を抜けようとした時にやはり、ポポポポッと遠くで砲撃音が聞こえた瞬間、近くでバンッバンッと着弾した。
車の窓ガラスが衝撃波でバリバリと割れそうな勢いで震えていた。
窓ガラスが割れて飛び散らないように開けた瞬間に次弾がバゴーンッと私達の目の前100メートルほどの団地に着弾した。
衝撃の凄まじさに体がこわばった。
破壊された団地の破片がバラバラと車に降ってきたが、お構いなしに団地の地下へと逃げ込んだ。
ボランティアたちもこんなに近くで攻撃を受けるのは初めてだそうだ。
曇った空の薄暗さが不気味な音が鳴り響くシベルスクの街をさらに不気味にしていた。
街を歩いていると時折、歩いている住民とすれ違った。
話を聞こうとこちらから挨拶をしてもかなりそっけない。
アンドリが「どうもこの街に残っている住民は親ロシア派が多いみたいだ」と言う。
アンドリも以前に来たことがあり、そう感じていた。この街に着いてからアンドリはあまり車を降りたがらない。雪がぱらついて寒いのもあったかも知れないが。
「ロシアになればウクライナよりいい暮らしになる」
ウクライナの団地はほとんどが旧ソ連時代に建てられたものだ。
団地には地下室が設置されてある場合が多い。
住んでいる住居が無事でも砲撃の多い地域の住民は地下室で避難生活を送っている。
日中は特にやることも無いので電気もない地下から出て団地の軒先で暇を潰している。そ
んな人達を見つけ近づこうとすると
「ニェット! ニェット!(だめだ! だめだ!)」と接触を拒否された。
取り付く島もなかった。
アンドリも他のボランティアたちも、
親ロシア派はロシアの世界を待っていると言う。
ロシアの世界とは。
私のウクライナ侵攻後のイメージだと
独裁体制でプロパガンダに溢れ、
人の命も軽く、
なにも信用できることなど無いのだが、
彼らが見ている景色は違うらしい。
アンドリも付いてきた報道官も
「彼らは他の世界を知らないんだ。ソ連時代を懐かしんでいるんだ」と言う。
2014年のウクライナの紛争を取材したドキュメンタリーでも、ウクライナから独立を求める親ロシア派住民はインタビューで「ロシアになればウクライナよりいい暮らしになる」と答えていた
なぜ親ロシア派になったのか
ウクライナの歴史をざっくりと簡単に説明すると、
このドンバスという地域は石炭や鉄鋼業で成り立っている
工業が主要産業で工場で働く労働者が多い地域だ。
ウクライナは1991年、
ソ連解体と同時に独立国となった。
独立後に
社会主義からいきなり資本主義に放り込まれたウクライナは
国際競争力が乏しく、
ソ連時代よりも経済的に困窮することとなった。
さらにソ連時代のウクライナはロシアから安い国内価格の天然ガスが供給されていたが、
それが国際価格になって値上がりし、
経済的困窮に追い打ちをかけた。
その影響をもろに受けたのがウクライナ東部の労働者たちであり、
ウクライナ政府に対する不満が溜まっていったのである。
そうした事情もあって親ロシア派住民は、
住んでいる地域がロシアになれば様々なものがロシアから供給されて生活が良くなると思っているのだろう。
あくまでこれは私の推測であって
、実際に話を聞いてみないことにはなんとも言えない。
だが、今のウクライナ国内で自分たちは親ロシアだとは口が裂けても言わないであろうから、ロシア側に行って話を聞くしかないのが現状である。ただし、ロシアのプロパガンダを信じ切っている親ロシア派の住民と話が通じるかどうかだが。
シベルスクの街を引き上げることに
ロシアはウクライナ東部のロシア語話者の住民へ、
プロパガンダを発信してきた。
ざっくりとしたその内容は、
ウクライナ政府はネオナチで、
ウクライナ東部のロシア語話者を虐殺している。
ブチャの虐殺はウクライナ軍によって行われた、
といったもので、
テレビやニュースサイトで発信されている。
荒唐無稽な内容が多く検証すればすぐに嘘だとわかるものが多い。
ロシア国営テレビ RTや、
ニュースサイトのスプートニクは
ヨーロッパでは提供を禁止されている。
ロシア語話者以外にも
陰謀論者なども信じており、
日本人でも少なからず信じている人がいる。
シベルスクの街を車でウロウロするが、
あまり話は聞けそうになく、引き上げることに。
鉄道をまたぐ橋に差し掛かると街を見渡すことが出来た。
橋からまっすぐに伸びた道の先を見ると白煙らしきものが上がっている。
おや、と思ったその時にバンッと音が響き渡った。
音の方向を見ると1キロほど先の住宅地に煙が上がっている。
砲撃が飛んできたようだ。
砲撃の嫌な記憶を思い出した私はすぐに車に乗り込み、
街を後にしたのだった。
写真=八尋伸 「ロシア軍では国内の刑務所から囚人を勧誘」ウクライナ軍の訓練を現地取材…スパルタ教官の“危険すぎる行動” へ続く
八尋 伸