まず、大森には大きく、

(東京23区の駅としては珍しく、東西が、”陰と陽”程違う、非常に180度相違した駅です。)

 

 

 

山王エリア

 

海岸エリア(大森駅東側、こちらが、戦後には、有名)

 

があり、

 

山王エリアは、山の王様とあるように、

高台を有す地となっていて、

かつては

文化人や

実業家、

政治家の邸宅が並ぶ住宅地(伊藤博文・井上馨など)

で、

今でもその名残が残っています

 

 

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「馬込・九十九谷(こく)」(丘が、永遠に、連続しているという意味)

 

(田園調布など、戦後のお金持ち相手などの、新興住宅地などより、ずうっと以前)

(高級住宅街「山王」には田園調布より古い歴史と伝統がありました

知名度は田園調布のほうが高いですが、高級住宅街としての歴史は「山王」のほうが長いのです---Precious.jp)

 

 

 

大昔は、東京一の多くの有名人や、文人/文化人が居住し、

大きなお屋敷が並ぶ、東京一二を争う、超・高級住宅地、

 

(兼、ウィークエンドハウス、別荘)

 

”射的場”や、林と雑木林の地域、

 

 

尾崎士郎をはじめ、多くの著名な文化人が住んでいた「馬込文士村」

 

日本考古学発祥の地 歴史的には、エドワード・S・モースが大森貝塚を発見

日本一、急かも?と思われる、駅前の天祖神社への階段、

 

駅前は、8~10行くらいが、永遠に並ぶ、銀行だけしかなかった駅前。

 

ドイツ学園と、ドイツ人居住区

よって、ジャーマン・ベーカリーや、

 

ドイツ風ハムとソーセージの、お肉屋さん、

 

「ウエムラ」の(当時日本一おいしかった)”ミートパイ”

(海岸側・東側には、”日本一の海苔屋さん”、「守半」が、今でも、あります。)

 

そして、おしゃれな、テニスクラブ

 

 

 

昼間でも薄暗い、「闇坂」(くらやみ坂)

そして、

 

「八景坂」安藤広重の浮世絵)と、

 

 

「八景園」

 

明治17年(1884年)に開園し、郊外随一の遊園地

として有名でした。

鉄道唱歌にも梅の名所として歌われています。明治35年(1902年)には、皇后(後の昭憲皇太后

しょうけんこうたいごう)が行啓され、記念碑が加納久宜子爵

かのうひさよしししゃく邸跡(山王三丁目31番21号)に建てられました

 

かつての坂上には、平安時代後期の武将、源義家

みなもとのよしいえ(1039年から1106年)が東征のおり鎧をかけたと伝わる

鎧掛松があり、

安藤広重の浮世絵にも描かれました。

 

八景坂

はっけいざか鎧掛松は有名でしたが、明治時代に枯れてしまったといわれています。区指定文化財

 

 

大森駅山王口前の池上通りの坂道です。

その昔、この坂上からの眺めは素晴しく、

近くは大森の海岸、遠くは房総まで一望のもとに見渡すことができたといい、

そこから八景坂

はっけいざか

呼ばれるようになったといわれています。

また、昔は相当の急坂で、

雨水が流れるたびに坂が掘られて薬研

やげんのようになったため、薬研

やげん坂と呼ばれたともいわれます。

 

 

世界初の栄養学校「佐伯栄養専門学校」

佐伯山緑地。(ここにありました)

緑地は小高い山に木々が茂り、散策路も整備され、地元の人々の憩いの場になっている

 

川端龍子公園 龍子会館

 

 

春日神社 創建は鎌倉時代

旧・望翠楼ホテル / Bousuirou Hotel 

高雅な雰囲気の洋館2階建てホテル

明治から昭和初期まで?営業、内外要人でにぎわった

  • 大正元年(1912年)頃開業。小林古径、川端龍子、伊東深水、長谷川潔ほか、日夏耿之介ら、近在に居を構える明治・大正の文士たちの会合「大森丘の会」の会場だったことで知られる。
  • オーナーは横浜の生糸商として財を成した家系の3代目当主、若尾幾太郎(1884~1938)という人物。
  • 大正7年(1918年)夏、作曲家(小説家でもある)のプロコフィエフは27歳のころ来日してこのホテルに10日間ほど滞在していた。
  • 大正10年台、より大規模で設備も充実した
  • 「大森ホテル」
  •  
  • 大正12年(1923年)11月、当ホテル内に「ILO(国際労働機関)東京支局」が開設された

大正1年、現在の山王3丁目に「望翠楼(ぼうすいろう)ホテル」がオープン。

大正11年にはそのすぐ北側に「大森ホテル」が完成します。

このふたつのホテルの創設により、

 

山王は内外要人の社交場として人気を集めることに。

 

そして、政財界人や文化人、

軍人や外国人が敷地を所有するようになり、高級住宅街となりました

高級住宅街「山王」には田園調布より古い歴史と伝統がありました | Precious.jp(プレシャス)

参考:大田区ホームページ
   『大田区歴史散策ガイドブック(大森、山王編)』
   『大昔の大田区(原始・古代の遺跡ガイドブック)』大田区立郷土博物館
   大森テニスクラブ
   山王草堂記念館
   尾﨑士郎記念館
   善慶寺

 

Precious.jp編集部

 

 

 

 

 

 

大森ホテル;洋館風のおしゃれな白いサイディングの外壁

大正11年(1922年)開業し、昭和30年頃まで営業していた。

大田区ホームページ:八景坂 (city.ota.tokyo.jp)

 

明治20年、東京で最初の海水浴場 大森海岸(通称:八幡海岸)

大森の歴史と成り立ち「色気と田舎くささの町 大森」|upskch (note.com)

そのため、昭和初期には、駅前で、捕りたてのカニが売られていた。

 

 

 

散歩ウォーキングには、東京一立派な五重の塔がある池上本門寺まで、

 

 

東京でありながら、

 

旧軽井沢のごとく、

 

知と教養とテニスクラブとドイツ人の町

 

 

よって、

 

お屋敷の住人の、

 

大企業などの会長/創業者さん達や、

 

文人/文化人たちは、

 

商業的な発展には、一切、”目を向けなく”

(皆さんお買い物ではなく、御用聞きさん達の、町でした)

 

 

70年前から、

 

商業的には、

 

色々なデパートや大型スーパーが、トライしても、

 

即、撤退。

 

何も知らない、昭和生まれ以降などの、

 

地方出身のディヴェロッパーさん、たちは、

 

両隣駅と、”ごちゃ混ぜの知識程度で”

 

数キロ離れた、お隣の、

 

大井町駅や、

 

あの、蒲田駅、

 

その、似ても似つかない両駅に、挟まれ、

 

見出し画像

単線駅としては、乗降客数が世界一(多説ありますが駅長さん情報です

明治9年 大森駅開通

 

 

 

 

 

「トウキョウでも、最後の、お屋敷街だった、空白居住地帯」

(もちろん、まだ東京には、いくつか、素晴らしい超・高級住宅地もありますが)

 

この記事によりますと、

 

その駅前の山王/池上通りを、拡張・拡幅

 

するというのは、”良いアイディア”とも、思われます。

 

しかし、

 

ちゃちな、レイアウトとデザインと、質、

 

ですと、

 

せっかくの、大開発も、「成功しません」

 

”大失敗に終わります!”

 

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とにかく狭い

大森駅山王・西口」

 

大変貌の道路拡幅ついにスタート 

駅前空間ゼロ→

 

‟立体”でスぺース確保

70年越しの

都市計画道路事業がついに始まる

 
 

 東京都建設局は2024年2月19日、

 

「補助第28号線(大森駅)」

の事業認可を国土交通省から取得し、

事業に着手すると発表しました

 

 

 

 大森駅西口駅前の「池上通り」を、

 

延長530mにわたって拡幅します。

 

現状の幅員15mに対し、

 

20~30mが確保されます。

 

 

 

 京浜東北線が停車する大森駅は台地の際に位置しており、

西口はその山側にあたります。

 

西口の山王地区は古くから開発が進んだ高級住宅街でもありますが、

 

駅前は狭く、

 

路線バスは

池上通り上に設けられた複数のバス停で乗降を行っている状況です。

 

 拡幅にあたっては歩道を拡げ、

歩行者と

自転車を分離、

 

さらに道路本線と

バス・タクシーの乗降場を分離するとともに、

乗降場を集約します。

 

 

 

 池上通りは都市計画道路「補助第28号線」に位置付けられながら、

 

すぐ坂が迫る地形もあり、

 

70年以上にわたって未整備となっていました。

 

高低差のある地形を最大限活用しながら、

駅前商店街の再生・強化を図るべく、

人工地盤を設けて重層的に駅前空間を構築するとされています。

 

【了