翻訳は胸が痛む苦しい作業だった」原爆資料館の展示案内にウクライナ語 翻訳した避難学生たち

 
 
ロシアがウクライナに軍事侵攻してからまもなく2年を迎えます。広島の原爆資料館では、16日から展示案内の音声ガイドに新たにウクライナ語が加わりました。この翻訳を担当したのは、ウクライナから避難してきた学生たち。つらく苦しい時間だったと同時に、復興した日本を祖国に重ね合わせ未来への希望を見出しています。 
 
 
 
◆翻訳したのは福岡で学ぶ避難学生たち
 福岡県太宰府市の日本経済大学に在籍するウクライナの学生たち。ロシアによる侵攻直後から福岡で避難生活を送っています。学生たちが、半年前から取り組んできたのが広島の原爆資料の翻訳です。きっかけは、去年5月にゼレンスキー大統領が広島の原爆資料館を訪れたことでした。この時、原爆資料館にウクライナ語版の音声ガイドがなかったため、日本語を学んできた学生に翻訳の依頼が来ました。 学生を指導したカテリーナ・クラヴェッツ先生 「原爆資料の翻訳は、学生たちにとって、本当に胸が痛くなる作業だったと思います。ただ、学生たちにとってはとてもいい経験でした。日本人は戦争の被害を乗り越えて立派な生活に戻りました。ウクライナも、きっとできると思います」 
 
 
 
◆祖父母と友人が現地に残る学生は 
2022年2月に始まったウクライナ侵攻。まもなく2年が経とうとしていますが、現地ではいまも多くの人が明日の見えない生活を強いられています。祖父母と友人が現地に残されているカテリナさんも、広島の惨状と母国のいまを重ねていました。 カテリナ・マニコフスカヤさん(21) 「一番難しかったことは自分の気持ちをコントロールすることでした。これほど恐ろしい被害について読む作業は、とても苦しくてたまりませんでした」
 
 
 
 ◆「きのこ雲」どう訳す? 
今回、カテリナさんたち学生が翻訳したのは、被爆者の遺品や写真などにそえられた説明文です。初めて見る単語の数々に苦戦したそうです。スヴィトラナさんが最も頭を悩ませたのが「きのこ雲」の写真の翻訳でした。 スヴィトラナ・レヂコさん(20) 「なぜ、『きのこ』というのだろうと。ああ、こういう形だからこういう用語なのだとわかりました」 被爆者の話も聞き、最終的に「きのこ」という言葉は使わず、「放射性物質の雲」と訳しました。 スヴィトラナ・レヂコさん(20) 「ウクライナ人にも分かりやすくなるように、どう翻訳すればいいのか、たくさん考えました」 
 
 
 
◆音声ガイドの貸し出しスタート
 そしていよいよ学生たちが翻訳した音声ガイドが完成。16日から広島の原爆資料館でウクライナ語も入った音声ガイドの貸し出しがスタートしました。 フィンランドから来た女性 「(新たな音声ガイドの導入によって)平和のメッセージがより多くの人に伝わると思います」 広島平和記念資料館 豆谷利宏副館長 「ガイドを活用することによって、より深く広島の被爆の実相を知って頂きたいというふうに思っています」
 
 
 
 ◆「日本人は諦めなかった。
ウクライナもいつか必ず」 翻訳を通して、広島の原爆被害から復興までの道のりを学んだ学生たち。
マリヤさんはウクライナもいつか必ず復興できると希望を抱いていました。 
マリヤ・コルネヴァさん(20) 
「日本人は諦めませんでした。今の長崎と広島の状況を見ると本当に感動します。今回の翻訳によって、より多くのウクライナ人が大事なことについて勉強できるようになると思います」 
 
学生たちは3月21日に広島の原爆資料館を訪問し、
今回翻訳した音声ガイドで展示について学ぶ予定だということです。

 

RKB毎日放送NEWS